平凡社 世界大百科事典

ウェッブ(Matthew Webb)

イギリスの冒険家。水泳に長じ,水夫を経て商船の船長となっていた1875年,前人未到のドーバー海峡横断を志し,8月25日午後ドーバーから泳ぎ始め翌26日朝,フランス側のカレーに到着し,最初の成功者となった。所要時間21時間45分。その後水泳の巡回興行を企て,アメリカへ渡って各地で長距離水泳のショーを行ったが,83年7月24日,ナイアガラの滝つぼを泳ごうとして失敗,激流にのまれて死んだ。

川本 信正
平凡社 世界大百科事典

ウェッブ(Philip Speakman Webb)

イギリスの建築家,デザイナー。W.モリスと出会う。モリスの新居レッド・ハウス(1860)をはじめ,主に地方の館を設計。また,モリス商会の家具その他のデザインを多く手がける。その強固な芸術信念は顧客を限定したが,手工芸復興に共鳴したデザイナーに大きな影響を与えた。

湊 典子
平凡社 世界大百科事典

ウェッブ(Sidney James Webb)

イギリスのフェビアン社会主義指導者。妻ビアトリスBeatrice Webb(1858-1943)とともに福祉国家の建設に貢献した。シドニーはロンドンの下層中産階級の出身,夜学で学び文官試験に合格。植民省に入り,1885年フェビアン協会に参加。ビアトリスは大実業家リチャード・ポッターの八女。父の友人H.スペンサーの影響をうけて社会有機体の科学的検証を志し,ロンドンのイーストエンドで労働者の生活調査を始め,シドニーの協力をうける。《フェビアン社会主義論文集》(1889)所収の,漸進的社会変化を説くシドニーの論文が彼女を魅了し,C.ブースの貧民調査報告の中の彼女の文章がシドニーを動かし,二人は92年結婚した。《労働組合運動史》(1894)に始まる夫妻の共著は,《イギリス地方政治史》10巻(1906-29)などの膨大なもので,《ソビエト共産主義,新しい文明?》(1935。2版以後,〈?〉が消える)までつづく。その間,社会改良専門家養成のロンドン政経学校London School of Economicsを設立(1895),ビアトリスは福祉国家の礎石ともいえる救貧法調査委員会《少数派報告》(1909)を発表,フェビアン調査部を設けてフェビアン協会を指導した。シドニーは第1次大戦中労働党書記長アーサー・ヘンダーソンに協力し,以後,自由・保守両党への浸透路線をやめ,労働党の政策樹立に貢献し,党の最初の社会主義綱領《労働と新社会秩序》(1918)を作成した。1922年シドニーは下院に選出され,第1次労働党内閣で商務相をつとめ,29年パスフィールド男爵として上院に移り,植民地相として第2次労働党内閣に加わる。ビアトリスは男爵夫人の称号を拒否。32年夫妻はソ連を訪れ,そこにフェビアン社会主義の楽園を見いだし,帰国後は科学的ヒューマニズムを擁護して余生を送る。47年12月夫妻はウェストミンスター・アベーに埋葬された。

 1911年夫妻は日本を訪れ,シドニーは東京で大英帝国の行政経験について講演し,日本の講壇社会主義者と接触し,京城(ソウル)で日本の朝鮮統治を観察した。共著の邦訳は大正デモクラシー期に多く,《国民共済策》(原著1911,大日本文明協会訳,1914),《労働組合運動史》(原著1894,荒畑寒村・山川均訳,1920),《資本主義文明の凋落》(原著1923,安部磯雄訳,1924),《産業民主主義》(原著1897,高野岩三郎訳,1927)などがある。

都築 忠七