平凡社 世界大百科事典

スターリン批判

スターリンの名と結びついたソ連邦における共産主義の運動,政策および体制に対する党内外からの批判を指す。1930年代には亡命中のブハーリンやトロツキーの復権や,30年代の農民への抑圧,さらに当時の党幹部であるモロトフやフルシチョフらの責任は論及されなかった。この報告はアメリカ国務省により公表され,また同じ56年6月に党中央委員会決定がスターリンの個人崇拝への批判を繰り返した。これらの決定・報告は世界の世論や各国共産党に巨大な衝撃を与え,なかでもポーランドでは改革派のゴムルカが政権につき,ハンガリーでは10月に反ソ蜂起が起こりソ連軍が介入する事態を招いた。

 これらのこともあって,スターリン批判は57年のモロトフ,カガノビチの指導部からの追放後も発展しなかったが,61年の第22回党大会であらためてスターリン批判が行われ,その遺体はレーニン廟から除かれた。収容所群島》(1973)やメドベージェフの《歴史の審判を求めて》(1972。邦訳《共産主義とは何か》)の著作にもうかがうことができる。とくにペレストロイカの〈歴史の見直し〉でスターリン体制そのものの本格的見直しが始まり,これは遂にはソ連社会主義そのものへの批判へと向かうこととなった。

下斗米 伸夫