平凡社 世界大百科事典

NEP

Novaya ekonomicheskaya politikaの略称で,〈新経済政策〉と訳す。ソ連邦で1920年代にとられた経済政策の体系。より広くは,その時代の社会・政治制度全般を指す言葉としても使われる。

 1918年から21年初めにとられていた戦時共産主義は,工業の急速な国有化と集権的管理,農業面における食糧割当徴発制を特徴としていたが,このような政策は工業管理機構における機能不全,農民層の深刻な不満と反乱にあって維持するのがむずかしくなっていた。21年3月の第10回ロシア共産党大会は食糧徴発制に代えて現物税を導入し,現物税導入後に農民の手元に残る穀物については自由処分を認めた。通常この決定はネップを導入した画期的な決定とみなされているが,その後の展開からみれば,最初の一歩にすぎないということもできる。実際,当初自由取引に付けられていた限定はしだいに解除され,それも現物交換よりも貨幣を介した流通が主となった。工業面でも,一部の小企業が国有化を解除されたり,私企業者に賃貸されたばかりでなく,国有形態にとどまった大・中規模の企業も独立採算制の原則に移され,市場において製品を売買するようになった。こうしてネップは市場メカニズムの広範な利用によって特徴づけられることとなった。このような変化は21-22年に徐々に進行したが,当時はまだインフレーションが収束せず,貨幣流通も安定的に機能しえなかった。23年の〈鋏(はさみ)状価格差危機〉の克服を経て,24年の通貨改革によってようやく貨幣流通も安定したことは,ネップの確立を意味した。もちろん,このような市場メカニズムの広範な利用と同時に,計画化原理の導入も試みられてはいたが,それが本格化するのは1920年代後半からである。

 ネップのもとでの生産力復興は25-26年までに第1次大戦前の水準を回復するに至ったが,それをこえた工業発展のためには工業への新たな投資が必要となった。ここに投資の源泉をどこに求めるかという問題,都市と農村の市場的連関の問題,価格規制をめぐる問題などが深刻化した。27年末に始まる穀物調達危機,28年以降とられた〈非常措置〉(穀物を調達するのに自由取引原則によらず行政的圧力による方式)は,このようなネップの矛盾の帰結であると同時に,ネップの基本特徴たる市場メカニズムを根本的に棄損するものであった。29年における第1次農業集団化政策の開始は,ネップ期の経済政策からの根本的転換であった。こうしてネップは1920年代末に終了した。もっとも,かつてのソ連の公式見解としては,社会主義への過渡期としてのネップは36年まで続き,その時期に社会主義建設が完了したという時期区分がとられていた。しかし,ペレストロイカ期の〈歴史の見直し〉の中で,この見解は放棄され,ネップ終了は1920年代末だとする見方が通説化した。

 より広い意味でのネップは,上述のような経済政策面にとどまらず,1920年代ソ連社会の全般的特徴に注目した言葉として使われる。共産党内において相対的に自由な意見表明が許されていたのみならず,非党員の〈ブルジョア専門家〉もそれなりの役割を演じていたこと,労働組合をはじめとする諸社会団体が国家機構から相対的に独立した位置を占めていたこと,比較的自由な文化政策がとられていたこと,かなりの程度平等主義的な社会政策がとられたことなどがその特徴である。これらの特徴は,その前の戦時共産主義期ともその後のスターリン時代とも異なる独自の刻印をこの時代に与えている。こうした特徴は,ある場合には〈ブルジョア自由主義への譲歩〉〈ブルジョア的堕落の危険性〉と評価されるが,ある場合には,より自由な社会主義社会建設のモデルとも評価されている。

 スターリン批判以後,東欧やソ連の〈改革派〉の間で,スターリン体制とは異なった社会主義の可能性を示すものとして一部で注目されている。

塩川 伸明