平凡社 世界大百科事典

バース党

第2次世界大戦後いくつかのアラブ諸国に生まれたアラブ民族主義政党。アラブ復興社会党の略称。バースba`thは復興,再生を意味する。1940年代初期のシリアのアラブ民族主義運動の組織を母体とする。それは,パリに留学し帰国後教員となったホウラーニーの率いるアラブ社会党と合併してアラブ復興社会党となった。党組織はイラク,ヨルダン,レバノン,スーダン,南イエメンなどに拡大し,機構としては,これら各国レベルの組織を統括する地域指導部と,これら地域指導部を全体として統括するパン・アラブ指導部が設置された。〈統一,自由,社会主義〉に基づく単一アラブ国家の樹立を主張するが,そこではとくにアラブの統一を強調し,反資本主義,反帝国主義,反シオニズムをスローガンとした。

 バース党の基本命題であるアラブの統一は,(1)シリア,エジプト(アラブ連合共和国,1958年2月~61年9月),(2)シリア,エジプト,イラク(1963年4月,調印のみ),(3)シリア,イラク(1963年10月,決議のみ),(4)エジプト,イラク(1964年5月,合意のみ),(5)エジプト,シリア,リビアの3国連合(1971年4月,機能せず)の5回にわたって試みられた。しかしこれらの試みは,エジプトの指導権,ことにナーセルの立場とバース党との衝突をきたし,成功しなかった。

 民族主義とアラブ社会主義という立場は,1950年代後半以降,政治イデオロギーに弱い軍人や社会経済的貧困層(シリアではとくにアラウィー派などのマイノリティ)の入党を促進する要因となった。バース党は,シリアでは63年,イラクでは63年と68年に,将校のクーデタを媒介として政権を獲得した。その後バース党は,パン・アラブ指導部と地域指導部,文民と軍人,スンナ派と他の諸宗派という諸要素が錯綜し,党内諸グループの対立・抗争が激化した。その結果,イデオロギー的力点が,統一よりもアラブ社会主義に移行し,アラブ民族主義がパン・アラブ的性格を弱めて各国ナショナリズムの傾向を強めた。

木村 喜博