平凡社 世界大百科事典

国民主権

国民主権とは,主権が君主や議会にではなく,国民にあるとする近代の憲法原理であり,〈主権在民〉と呼ばれることもある。しかし,その具体的な意味内容については,時代や立場によって考え方や理解のしかたが大きく異なっている。直接的には〈国民〉と〈主権〉の意味をどう解するかによって態度が分かれる。代表的なものは次の三つである。

 第1は,国籍をもっている国民の集まり(全国民)が国家権力をもつことを意味し,その全国民のために国家権力の行使つまり政治が行われることを求める原理だとする考え方である。フランス革命のなかで,ブルジョアジーにより〈国民(ナシオンnation)主権〉として主張されたものである。生まれた直後の乳児から死の直前の老人までの全国民に国家権力が不可分のものとして専属しているとするものである。このような全国民は,実際にはいかなる行動もできない集団で,国家権力もみずからは行使できない。そこでは国民代表と呼ばれる国民の一部にその行使をまかせざるをえず,代表制が必然となる。国家権力は全国民のものであり,個々の国民は,それについてなんらの権利ももっていないから,その行使に当然に参加できるわけではなく(したがって普通選挙も当然に認められるわけではなく),国民代表の行う政治について注文をつけ,その責任を追及する権利も当然にはもっていない。このような国民主権は,一方で君主主権を排除し,他方で資本主義の展開に批判的な民衆の政治参加をも排除しつつ,〈余暇と教養〉をもつブルジョアジーの代表による政治を保障しうるものとして,近代市民憲法にとり入れられていった。フランスがフランス革命で国民主権を宣言しながら,長いこと制限選挙制度をとり,労働者を中心とする民衆や女性を政治から排除しえたのは,そこで宣言された国民主権が〈国民主権〉だったからである。

 第2の考え方は,国民主権を政治に参加できる年齢に達した国民(市民)の集まりとしての〈人民〉が国家権力をもっていることを意味し,そのような人民によって人民のために政治が行われることを求める原理だとするものである。これは,フランス革命のなかでブルジョアジーにも従属する立場にあった民衆の自覚的な部分(戦闘的なサンキュロット)から〈人民(プープルpeuple)主権〉として唱導されていたものである。人民は,その構成員からも明らかなように,自分で直接に国家権力を行使できる。しかも,〈人民(プープル)主権〉のもとでは,人民の利益や意思は,その構成員たる個々の市民の利益や意思の集合と考えられているので,すべての市民が国家権力の行使に参加する当然の権利をもち,直接民主制が政治の原則となる。代表制をとる場合でも,直接民主制に代わるものであるから,代表は人民の意思に当然に拘束され,人民に責任をとらなければならない。政治は〈人民の,人民による,人民のための政治〉でなければならない。革命期の民衆の自覚的部分は,このような原理によって社会で多数を占める民衆を特権階級からだけではなくブルジョアジーからも解放しようとしたのである。このような考え方は,その後も民主主義の原理として労働者を中心とする民衆から一貫して主張され,第1の考え方を批判する役割を果たしている。

 第3の考え方は,国家権力は国家自体のものであり,国民主権とは政治に参加できる年齢に達した国民(市民)の集まりである人民が国家の統治組織において国家意思の最高の決定権をもっていることを意味するというものである。国家権力自体は人民のものではなく国家のものであり,人民は国家のために国家意思を決定できるにすぎないから,そこでは人民の意思による人民のための政治が当然に保障されることにはならない。この考え方は,上から資本主義化が行われたドイツや日本に特有のもので,国民主権も君主主権もすべて国家のためのものであるとすることによって,国家権力自体がだれのものかという主権原理本来の問いかけを避け,主権原理をめぐる論議を無益なものにしようとするものである。

 第1の考え方は,第2の考え方の歴史的・社会的担い手の強化に伴って,また人間の平等を中心におく民主主義思想の普及に伴って,しだいに第2の考え方の方向に妥協的に展開し,現代においては第2の考え方にとって代わられようとしているといっても大過はない。第3の考え方も同様に第2の考え方にとって代わられる方向にあるといえよう。

日本国憲法と国民主権

日本国憲法は,前文第1段と第1条で国民主権をとり入れた。その制定時には,明治憲法の天皇主権から日本国憲法の国民主権への転換に伴って,〈国体〉(国家の根本的特色)が変わったかどうか激しく論争された。尾高・宮沢論争は,その代表的なものである。尾高朝雄は,真の主権者はノモス(法の理念)であって,天皇主権も国民主権もノモスに従って天皇や国民が政治を行うべき責任をもっていることを意味するにすぎないから,天皇主権から国民主権への転換は〈国体〉の変革を意味しないと主張した。これに対して宮沢俊義は,ノモスの主権を認めるとしても,ノモスの具体的な内容を最終的に決定する権能(責任)が天皇にあるとする憲法と国民にあるとする憲法は質的に異なるとして,〈国体〉は変わったと主張した。しかし,当時の論争においては,日本国憲法の国民主権が先にあげた三つの考え方のいずれをとっているかは,自覚的には論じられなかった。天皇機関説問題に象徴的にみられるように,明治憲法下では主権の問題をまともに検討するだけの学問の自由が認められていなかったので,主権論の水準は低く,当時の論争もその影響を受けていたのである。しかし,論争後は,学界においては,先にあげた第3の考え方またはその亜流が支配的なものとなっているようにみえる。1960年代の後半ころから国民主権についての再検討が始まり,第1,第2,第3の考え方の歴史的・社会的担い手,目的,構造などがしだいに明らかにされてきている。

 日本国憲法の国民主権の意味については,主権原理が〈国家権力はだれのものであるか〉を定める憲法原理だという主権原理の本来の意義を考慮し,かつ15条1項(公務員の選定罷免権),同3項(普通選挙の保障),同4項(投票の秘密と無答責),44条(選挙人と議員の資格の平等),57条(会議の公開),79条2~4項(最高裁判所裁判官の国民審査),96条(憲法改正の国民投票)なども考慮するならば,第2の考え方がとられていると解すべきであろう。たしかに,日本国憲法の中にも43条1項(全国民の代表)や51条(議員の発言表決の無答責)のように,第1の考え方になじむ伝統的な規定も含まれている。しかし,日本国憲法が第2の考え方をとっていると解するからには,これらの規定についても第1の考え方になじむように解釈すべきではなく,それらを含めて憲法のすべての関連規定は第2の考え方と整合性を保つように解釈され,運用されるべきであろう。→主権

杉原 泰雄