平凡社 世界大百科事典

堕胎

子宮内で発育中の胎児を,自然の分娩に先だって人為的に妊娠を中絶し,排出させること。〈おろす〉〈おとす〉〈はっさんする〉などとも称し,古くから行われていた。本来的にはすべての人工妊娠中絶が含まれるが,現代の日本では,母体保護法にもとづいて医師が行う人工妊娠中絶は堕胎には含めず,それ以外の非合法のものだけを意味すると解されている。また,妊娠の中断を目的とした胎児の殺害も堕胎に含まれる。

 堕胎の方法には手術などによる器械的方法と薬物を用いる方法がある。手術による場合は,消毒が不十分だと感染を起こしたり,手技が手荒いと子宮や腟に傷害を与え,大出血を起こして,母体に重大な障害を与える危険が大きい。一方,薬物による方法も古くから行われてきた。堕胎を目的として用いる薬物を堕胎薬といい,主として子宮収縮薬や下剤などが用いられたが,これも母体に対する危険性は大きい。非合法的に堕胎を行った罪は堕胎罪として刑法に定められている。→妊娠中絶

若杉 長英

社会的要因

堕胎は家族の食料取得量が少ない社会,あるいは乳児に与えることのできる食料が母乳以外にはないような社会に多い。そのような社会では,堕胎や間引きは現在生きている人の生存を守るために行われると意識され,私生児の存在を否定したことと関連している。

 子を得ないための方法には,大きく分けて避妊,堕胎,嬰児殺し(間引き)の三つがある。これらの間にどのような違いを認めるのか,またその結果としてどの方法を選択するのかは,性交,妊娠,出産,胎児,新生児に対して,その社会のもつ道徳的あるいは生理的な認識に左右され,またそれぞれの社会,階層の経済状態に大きく影響される。日本では明治初期までは,堕胎とならんで,間引きが全国的に行われていたが,間引きが嬰児殺しとして殺人に準じて扱われるようになってから,特異な場合を除いては姿を消し,とくに第2次大戦後は,避妊方法の改良・普及と家族計画の普及により,もっぱら避妊の方法がとられるようになった。しかし,母体保護法にもとづく人工妊娠中絶も後を絶たない。

 口減らし,あるいは私生児忌避以外に,男性と女性の社会的・経済的関係において堕胎を行う場合もある。西アフリカの海岸地方では,女はムラを離れて行商してまわり,男はムラに残る。女は行商のじゃまになるので妊娠,出産を嫌い堕胎を辞さない。それは夫の後継者をつくらないと同時に,男性に対する女性の経済的優位をもたらすことになる。他方,1960年代にウーマン・リブの運動のなかで,アメリカ合衆国の女性が堕胎を法的に認めるよう政府に働きかけたのは,女性の社会的・経済的独立にかかわってのことである。

波平 恵美子

民俗

日本では文献の上で平安時代以来知られているが,中世末期まではとくに違法行為とはみなされなかったらしく,ヨーロッパの宣教師の記載などから子どもの多い女性などにはかなり普遍的に行われたらしい。これは当時の人間のもつ生命に対する考え方が,胎児期の生命を一般の人間生命とはみなさなかったことからくる。近世においても,生活が貧しく多くの子どもを育てられぬ者,生計は豊かでも社会倫理上望ましからぬ行為によって妊娠した場合,さらに地位財産の相続上争いの種になりやすい出産児と予想される場合など,それぞれ農民,商家,武士など経済的,身分的な高下にかかわらず,実行されていた。これもやはり胎児が人格あるものとみなされなかった結果と考えられる。もちろん,決して望ましい行為でなかったことは,堕胎がやはり忌み,穢(けが)れとしてつつしみの対象とされたことから明らかである。しかし一方では出産の困難,異常妊娠,母体保護等から中絶を必要とする場合のため,近世以後医師の手で手術が行われることとなり,その方法も危険を伴うことが減じた。ことに京都で15世紀末ころから発達した産科中条流の名はひろく各地に知られ,都市を中心に流行した。いうまでもなく非合法の場合も多かったので,川柳などによまれて諷刺の対象ともなっている。薬方は水銀を主としたらしいが,民間ではホオズキの根,ヤマゴボウの根,ハランの茎,ナンテンなど主として子宮に挿入する方法や,高所から飛びおりたり階段から落ちるなど機械的な方法が用いられた。薬品には強い下剤を飲んだり薬を挿入するなどの薬物使用,さらに神仏に祈願したり呪術にたよるなど,概して他人に知られずに目的を達しようとした。自己で行うほか,施術者は産婆(間引き

千葉 徳爾