平凡社 世界大百科事典

正史

中国,各王朝の歴史叙述として公認された編年体の史書を古史というのに対して使われた。10世紀以後,政府によって公認された特定の史書に正史の名が冠せられ,司馬遷の《史記》にはじまり欧陽修の《五代史記》に至る歴代17種の紀伝体歴史書を十七史とした。正史の数は時代が下るにつれ増え,明代二十一史,清では二十二史となったが,乾隆以後,《旧五代史》《旧唐書》を加えて二十四史,1922年大総統徐世昌は柯劭忞(かしようびん)の《新元史》を入れて二十五史とした。最近の中国では《清史稿》も正史に準じて扱っている。なお《史記》《漢書》《後漢書》《三国志》を前四史,遼,金,元の三史を後三史と呼ぶ。正史はすべて紀伝体であるが,付表のように表と志を欠くものも少なくない。また《後漢書》の志は晋の司馬彪(しばひよう)(?-306ころ)の《続漢書》の志,《隋書》のそれは唐の長孫無忌(?-659)の《五代史志》で補われている。また《史記》と《南史》《北史》が通史であるほかは,すべて断代史である。

 司馬遷の《史記》や班固の《漢書》など唐以前の正史には,史官の地位にあった一代の学者が,畢生の著作としてあらわしたものが多く,生の材料を使い,優れた史観と一貫した記述を行っている。唐・宋以後の正史はこれに対して,王朝の文化事業の一つとして作られる性格が強く,多人数による短時日の編纂のため粗漏や不統一を免れない。唐・宋以後は,朝廷に歴史編纂所が体系的に設けられた。皇帝の言動記録〈実録〉ができる。次に幾人かの皇帝の実録がまとめられて紀伝体の〈国史〉が編纂される。そして一王朝が滅びると次の王朝のはじめに,前朝の政治の得失を明らかにするため,〈国史〉をまとめて〈正史〉が誕生する。欧陽修の個人著作《五代史記》(《新五代史》)を除き,《唐書》以下の正史はこうしてできており,宰相が名目的な編纂者となるのが通例だった。南北朝以前の史料は正史によってのみ書き残されているものが多いのに対し,とくに宋代よりあとは,印刷術の普及とも関係して数多くの根本史料が伝わっており,正史の価値は相対的に下落する。しかし,専門に旧中国のことを研究する者にとって第一の材料である点はまちがいなく,人民共和国でも句読点を打った活字の標点本二十四史を刊行している。

 なお唐の顔師古の《漢書注》をはじめ,前四史にはとくに優れた数多くの注釈があり,また銭大昕(せんたいきん),王鳴盛をはじめとした清朝の考証学者たちによって,徹底した本文校訂なども行われている(《廿二史考異》《十七史商榷》など)。さらに,表,志を欠く正史については,その増補がこまかく試みられ《二十五史補篇》として集成されている。2000年の長期間,歴代各王朝の史実が詳しく知りうるのは正史の存在に負うもので,歴史を何よりも重視した中国の特質がここに凝集している。

梅原 郁
表-正史一覧表
表-正史一覧表