平凡社 世界大百科事典

比較経済体制論

ある社会には,いろいろな経済制度・経済機構が,生産,流通,消費,金融,財政などいろいろな面において存在している。そして,それらはあれこれと無秩序にあるものではなく,互いに整合性をもって存在し,すべてが一つの有機的な相互連関をなしてその社会における経済活動の基本的な型(パターン)を形づくっている。そのようなものとして,人々が社会において経済活動を営む際にとり結んでいる社会的な諸制度・機構の複合体を,経済体制という。それぞれの国は,それぞれの経済体制をもっている。それらの構造と機能や,いろいろな視角・基準からみたときの長所や欠陥などについて比較分析したり,またそのための理論モデルの作成とか分析を行うのが,比較経済体制論である。略して経済体制論ともいう。

誕生

比較経済体制論は経済学の一分野であるが,その成立ちは比較的に新しい。その源流の一つは,1920~30年代に行われた〈社会主義経済計算論争〉である。この論争は,当時ロシアに現れた社会主義計画経済が合理的な経済体制として存続・発展できるかという社会的関心をも反映していたが,同時にそれがイデオロギー的論争としてではなく理論経済学の枠組みの中でのモデル分析的な議論として展開されたことに特徴がある。そして,この特質が以後の比較経済体制論の一つの性格となっている。論争は〈生産手段を公有化した社会主義のもとでは,市場機構がなくなる。したがって合理的な経済計算ができなくなり,合理的な資源配分ができない〉というL.E.vonミーゼスの主張で始まった。しかし,すでにこの問題は1908年のE.バローネの論文において原理的に解決をみており,中央機関の計画編成は競争的市場機構と同じ機能を果たせることがワルラス=パレートの一般均衡理論モデルを用いて示されているとも指摘された。F.A.vonハイエクは〈原理的に可能でも,合理的な計算のために中央当局は数百万の連立方程式を解かねばならず,実際上は実行不可能である〉と批判した。これに対し当時アメリカにいたポーランドの経済学者O.ランゲが,中央計画当局による価格調節のもとに各企業に市場機構におけると同じ自律的決定を与え,その作動結果を計画調節にフィードバック利用するという,〈競争的解決〉とも呼ばれるモデルを提示し,問題の現実的解決の可能性を示した。第2次大戦後,先進資本主義諸国では産業基盤の拡大,教育・保健分野の発展,公害問題など市場機構だけでは処理しきれない問題が続出し,〈市場の失敗〉などということもいわれるようになった。他方,社会主義諸国でも生産・消費の発展と多様化,民主主義の発展とともに,従来のようなソ連型の中央集権的計画経済では十分にその機能を果たせなくなってきた。また,いわゆる第三世界の国々にはさまざまな新しいタイプの国家経済も現れてきた。それぞれの国がそれぞれに体制問題をかかえるようになり,その状況から比較経済体制論が活発になってきた。1950年代には米ソ冷戦のもとでアメリカのソ連に対する効率的優越を主張するのに先走ったイデオロギー的な議論も現れたが,今日では主流ではない。

課題

1980年代に入って比較経済体制論の方向は多くのアプローチと問題意識により多様化している。いくつかの指標によりアメリカなど資本主義国とソ連などとの経済効率比較を行うあり方も依然として行われる。ただそこでも,資源・環境問題などの新しい指標も現れてきている。また,経済体制を,社会における個別経済主体や中央機関などの意思決定と情報の交流するネットワークとしてとらえるという見方もかなりに一般化してきている。そこではシステム論,サイバネティックスといった新しい考え方の利用をも含めて,市場と計画,分権と集権のメリット,デメリットについてはかなりのモデル分析が展開されてきている。また現実の資本主義における経済計画のあり方や,現存社会主義国における分権化と市場機構の導入・利用についても研究されている。いっぽう,人類学的な考え方をとり入れつつ共同体経済の意味を見直すアプローチなども展開されている。ただ,いずれの経済体制も,現代の技術進歩,情報革命,地球規模での資源・環境問題といった共通の波の中で新しい課題に面しつつあることが,それぞれのアプローチの中で示されている。かつてJ.ティンバーゲンがいったような形で〈一つの最適体制に収束する〉というのではなく,それぞれの国の歴史事情や特性をふまえた道筋が必要であるとしても,それぞれに新しい脱皮や転換への模索が必要となっており,比較経済体制論それ自身の飛躍も求められている。

飯尾 要