平凡社 世界大百科事典

蘇軾

中国,宋代の士大夫(文人官僚)。号は東坡居士(とうばこじ)。その博大な人格とのびやかな詩文によって,ひろく人々に親しまれてきた。父の赤壁賦》はこの流罪中の作である。政局が転じて旧法党が政権を握ると,蘇軾は,しばらくは地方官にもなるが,多くは起居舎人,翰林学士など朝廷の天子側近の任に就き,57歳のときに礼部尚書(文部大臣にあたる)に官位を進める。しかし,再び新法党が政権の座に就くと,旧法党はきびしく弾圧され,蘇軾は,94年(紹聖1)には恵州(広東省恵州市)へ,97年にはさらに僻遠の海南島へと流される(〈海外の流罪〉である)。そのころの海南島はいまだ文明の及ばぬ異民族(リー(黎)族)の居住地であって,流罪人の生活はいたって過酷だったが,蘇軾はそれにくじけず,晩年の日々を楽しみ,珠玉の詩を生んだのである。1100年(元符3)になって大陸への帰還が許され,翌年,長旅に病を得た蘇軾は,66歳でその波乱にみちた生涯を閉じた。

 天下を救うことを使命として自覚する士大夫であった蘇軾は,おりからの新法党と旧法党の熾烈(しれつ)な抗争の渦中を生きて,投獄されて死刑の危機に臨み,流罪は2度に及ぶなど,その生涯はときに悲惨でさえあったが,その強靱な意志に支えられて,持ちまえの明朗闊達(かつたつ)さをついぞ失うことはなかった。のびやかな抒情表現に秀でた唐代文学を継ぐ宋代の詩文は,転じて理知的な思索の表現を特徴とするが,蘇軾こそその時代精神を代表する存在であり,〈中国のルネサンス〉を開く〈知の人〉であった。蘇軾の文学は,おおむねごく平凡な日常の営みを題材とするが,卑俗な生活に新しい美を見いだす繊細な感覚,博洽(はつこう)な学問に培われた明徹な思考力,加えてゆたかな詩藻のゆえに,従来の詩人にはない飄逸(ひよういつ)清雄なる詩境を開きえたのであり,精緻な論理を含む散文を実現したのである。その詩文は日本の〈五山文学〉に大きな影響を与えた。蘇軾の著作は《東坡七集》として集成されており,〈唐宋八大家〉の一人としてひろく読まれている。書家としては〈宋代四大家〉に数えられる。

山本 和義