平凡社 世界大百科事典

計画経済

一国における経済発展やその他の基本的経済活動が国家計画の作成・遂行を通して行われるとき,この国民経済は計画経済と呼ばれる。計画経済においては,財・サービスの生産・流通・分配が,国家により事前に決定された様式に従って,各生産主体の活動を通して実現されることになる。こうした経済運営メカニズムとうまく調和するのが社会主義的政治経済制度であることは明らかであろう。これに対して〈経済計画〉とは,一般に国家が経済発展に関する目標を定め,それを実現するための手段・方法を設定するという意識的な行為をさす。この場合,各経済主体は必ずしもこうした計画に従う義務を負うわけではない。この意味で経済計画は程度の差こそあれ,社会主義以外の経済体制においてもかなり広くみられる経済行為であり,計画経済とは区別される。

歴史

1917年にボリシェビキが政治権力を握ったとき,世界で初めての社会主義国がロシアに誕生した。ボリシェビキはマルクス主義者の党であり,そのめざす経済システムの根幹にはマルクス主義の政治経済理論に従って,最初から中央集権的計画システムが据えられていたことは当然であった。しかし17-20年の内戦期,それに続く21-25年の国内経済の復興期には,誕生したばかりのソ連は国家存亡の危機に直面していたのであり,目ざす経済システムの本格的建設に着手する余裕はなかった。とはいえ1921年2月にはゴスプランGosplan(ソビエト連邦閣僚会議国家計画委員会)が設立され,計画経済システムはともかくも動きはじめた。25年8月に初めて〈望ましい経済発展の指標(管理指標)〉が提示され,国家計画機関の本来の機能が実現された。さらに29年に採択されることになる〈第1次五ヵ年計画〉の準備作業に向けて,ゴスプランはその機能を全面的に発揮しはじめるのである。30年代に入るとソ連の経済運営はゴスプランを中心に比較的安定的に行われるようになり,ソ連型計画経済モデルが成立することになる(このモデルは何回かの小改革を経たが基本的にはソ連邦崩壊まで機能していた)。第2次大戦までは社会主義国といえば実質的にソ連1国のみであり,ソ連モデルが社会主義計画経済の唯一のモデルであった。戦後社会主義国が数多く誕生し,その結果計画経済のシステムも多様化してきて,ソ連モデルだけでは現在の計画経済を十分に理解することは困難になった。しかしその後も計画経済の基本モデルを提供していたのはソ連のそれであったことは否定しえない事実である。

ソ連の計画経済システム

制度

ソ連の経済計画には特有の概念が存在し,それはいくつかの原則によって表された。第1は党派性の原則であり,計画はなによりも共産党の政策の具体化でなければならないことが要求された。第2は指令性であり,計画は経済関係者を拘束する指令の形をとった(このような運営がなされる経済体制を指令経済という)。第3はアドレス原則であり,計画目標はその実施に責任を負う組織を特定化した。これにより計画の実施が保証された。第4は経済計算性の原則であり,各経済単位は自己の企業会計をもち,与えられた計画指標のもとで損益計算に基づき運営しなければならなかった。これらの原則のもとで実際に計画が作成されるが,そのとき重要な役割を果たす機関は,まず第1に中央計画機関としての国家計画委員会(ゴスプラン)であった。ゴスプランは生産計画を作成し各企業にその実施を求める責任を負った。他の重要な中央機関として,物資配分計画に責任をもつ資材・機械補給国家委員会(ゴススナブ),価格決定に責任を負う国家価格委員会,労働問題に責任を負う労働社会問題国家委員会などが存在した。作成された計画を実行に移す生産単位は企業ないしは企業連合である。また計画は実際に遂行されたか否か点検される必要があるが,その責任を負うのは中央統計局と国立銀行(ゴスバンク)であった。

 ソ連で作成される経済計画は対象となる期間により,操業計画(日間,旬間,月間,四半期),経常計画(1年),展望計画(中期計画(5年)・長期計画(15~20年))に分類された。これらの国民経済計画(とくに中期計画)の作成は膨大な人員と時間を消費する大事業であり,綿密な組織的取組みが必要とされた。この作成作業は,通常,以下の諸段階から構成された。(1)計画の書式,表,指標およびそれに関する方法の指示,(2)前期計画の結果の検討とその遂行実績の分析,(3)計画の基本方向の策定,(4)暫定的な生産・投資目標数字の作成と下部組織のための予備的な目標値の算定,(5)企業,企業連合,省,共和国および国民経済全体の計画草案の作成,(6)国民計画の確認,(7)国民経済計画の各該当部分の対応する諸機関への下達,(8)各共和国,地方,州,省,部門,企業連合,企業の最終的な発展計画の作成。以上がソ連の計画システムの概略である。

結果と実績

ソ連の計画経済はどのような結果をもたらしただろうか,またそれは資本主義的市場経済と比して,よりすぐれた実績をあげただろうか。この問題は社会主義の成立とともに早くから提起され,かつ現在まで繰り返し議論されてきた難しい問題である。まず体制比較を意味あるものにするためには,それを単一の次元ではなく,複数の次元で試みなければならない。社会的,経済的,政治的な観点からの総合的な比較検討が要求される。例を経済効率性にとろう。どちらの体制がより効率的であろうか。1920年にL.ミーゼスは,社会主義においては価格メカニズムが作用せず財の合理的配分が妨げられるので,それは資本主義に劣るだけでなく,そもそも運営不可能な経済システムであると主張した。この主張およびその修正版をめぐって,それを支持するL.ロビンズ,F.A.ハイエクらと批判するO.ランゲ,A.P.ラーナーらとの間で,激しい論争が展開された。これを経済計画論争といい,論争は理論的に両システムを検討するものであったが,論争の展開につれて多くの興味深い関連問題を派生し,ある意味ではいまだに論争は継続中なのである。

 では実績としてはどうであろうか。統計資料を検討すれば両システムの実績は明らかになるのではないか。こうした問題意識から出発したアメリカのバーグソンAbram Bergson(1914-2003)は,統計データを駆使して,社会主義は資本主義より著しく非効率であるという命題を提出した。この明確な主張も,彼の用いた分析上の諸前提の妥当性に関して多くの批判が集中しており,説得力を失う危険にさらされていた。たとえば,ソ連とアメリカを比較し,その結果アメリカの生産性水準がソ連のそれよりも高いことが観察されたとしても,それは両経済システムの差からではなく,両国の文化的・歴史的差から生じたものかもしれず,体制比較にはこうした固有の困難が伴う。また体制比較にはイデオロギー上の差異がしばしば色濃くつきまとうのであって,〈両体制は,等しく身びいきな議論を展開するのが得意である〉(M.エルマン)という結論は大きな説得力をもつ。もちろんこの理由からだけではないが,現実に米ソの専門家はともに,これまでの経験により自国のシステムの優位性は十分実証されていると考えていた。

その他の計画経済システム

第2次大戦後,多くの国が新しく社会主義国となり,その結果,社会主義計画経済システムは大幅に多様化した。とりわけ中国,ハンガリー,ユーゴスラビアの計画システムが,計画経済の可能性に新たな次元を導入した。中国はソ連とまったく異なる文化的・歴史的背景を有しており,その計画化はさまざまな意味でソ連のそれと乖離(かいり)している。ハンガリーは規制された市場メカニズムに依拠した分権的計画メカニズムを有し,集権的計画メカニズムと規定されるソ連の場合とは異なるアプローチを採用していた。しかしなんといっても社会主義計画経済に質的に異なる新しい観点を持ち込んだのはユーゴであろう。そこでは労働者自主管理(労働者管理)・住民自治に基づいて社会主義像が構築され,その一環として社会計画が位置づけられた。自主管理計画化と呼ばれるユーゴの計画化は,伝統的な意味での計画化と呼べるか否かまで含めて,社会主義における計画化の可能性に再考を迫る点で大きな意義を有していた。

阿部 望