平凡社 世界大百科事典

転向

広くは,ある個人の信念・行動が圧迫強制によって方向転換することを指すが,一般には,共産主義思想を放棄すること。その個別的事例はしばしばみられるところであるが,歴史的事件としての転向は,1933年6月,当局に拘束されていた日本共産党幹部佐野学と鍋山貞親が,コミンテルンの方針を拒否し,民族主義と天皇制に立脚する〈一国社会主義〉の建設を説く〈獄中からの転向声明〉を発するに及んで,多くの共産党員が引き続き集団的に転向した事例を指す。この事件は当時の共産主義運動にきわめて大きな打撃を与え,社会的にも反響を呼んだ。転向の態様やその後の動向は個人によって異なるが,欧米の知識人の〈転向〉が共産主義そのものへの失望の結果としてなされたものであるのに対し,日本では当局の強制と懐柔を直接の契機とし,いわば〈良心に反して〉なされた事例が圧倒的に多かったため,転向者は,敗北感,挫折感,あるいは革命への裏切りの意識に苦しむことになった。転向文学をはじめとして当時転向について記された文献の多くは自己批判ないしその内面的処理の問題を扱っている。

 戦後,転向についてさまざまな角度からの研究と活発な議論が展開されるようになった。転向の理論的説明には,転向という現象のどの部分に本質を見いだすかということが関係し,そのことは必然的に日本におけるマルクス主義受容をどのような観点から把握するかという問題に帰着する。マルクス主義を何よりも革命のための理論とみる立場からは,転向は政治的裏切りであり糾弾の対象となる。また,日本のマルクス主義受容が,現実を捨象し抽象性のなかに閉じこもる知識人特有の傾向に沿ってなされたとみる場合は,転向は一切の理論的なものの放棄であり,大衆の動向への屈服であるということになる。また,マルクス主義への帰依が共同体へのロマン的回帰の願望に発するものとみて,転向とは,その回帰の媒介がマルクス主義から伝統的なものに変化したことにほかならないとする見方もある。さらに,マルクス主義の実践を青年期に特有の正義感や急進的理想主義のあらわれとみて,転向とは〈大人になること〉,すなわち成熟もしくは通俗化の結果であるとする見解もある。

 このように転向は,さまざまな次元の問題をはらんでおり,研究する側の関心に応じた形で転向像が形成されているのが実情であるが,こうしたなかで,鶴見俊輔をはじめとする思想の科学研究会の編著《転向》は,転向をその契機に着目して〈権力の強制によっておこる思想の変化〉と定義することで,その概念の一般化を図り,共産主義者にとどまらず,戦時体制に協力した自由主義者や社会主義者,終戦時の軍人,戦後の学生運動の人々にいたる広範な事例に転向の概念を適用して検討を試みた。この結果,昭和の知識人たちの思想の変化の諸相が明らかにされるとともに,転向は思想史研究上の方法的概念にまで高められた。しかし,扱われた人物の中には,その思想の変化が必ずしも〈権力による強制〉の結果とはみなし難い事例もあり,その場合,転向は,反体制側から体制側への,あるいは進歩的思想から保守的思想への,政治的立場や思想の内容の変化を指す言葉として用いられている。その後,こうした意味での転向の用例が一般化し,たとえば明治維新後新政府に仕えた旧幕臣,天賦人権論を放棄して進化論を唱えた加藤弘之,平民主義から帝国主義へと転換した徳富蘇峰等の場合も転向の事例として挙げられるようになった。

 こうして,転向はきわめて一般的な言葉となったが,他面で,その内容がややあいまいになり,単なる思想の変化や発展との区別をどこに求めるかということが問題になっている。言論の自由や政治的自由が歴史的にみて非常に限られた時期と地域においてのみ存在してきたことを考えると,転向はきわめて普遍的な性格をもった現象であるといえよう。しかし他方で,転向が当局による〈温情主義的〉な懐柔の結果でもあったことに着目すると,思想弾圧の形態も含めて,日本特有の問題が浮かび上がってくる。転向が単なる歴史的事件としてのみならず,日本の思想状況全般にかかわる問題としてとりあげられ,かつその概念的一般化が試みられるのは,転向のもつそうした特質に由来するのである。ただ,転向という言葉を一般概念として,共産主義者以外の事例に用いる際には,この言葉の本来の語義が非難の意味をもつこと(キリスト教への転向文学

坂本 多加雄