平凡社 世界大百科事典

ソビエト

ひろく助言,会議,和合などを意味するロシア語であるが,旧ソ連邦では各級の権力機関をいい,また国名にも用いられていた。このような意味でのソビエトの歴史は1905年の革命にさかのぼる。この時期にはイワノボ・ボズネセンスク(現,イワノボ)をはじめ,多くの地域にソビエトが出現したが,なかでも重要なのはペテルブルグ・ソビエトであった。これはストライキ指導のために各工場の労働者代表からなるストライキ委員会として発足したもので,ストが巨大なものとなり(10月スト),社会生活に重大な影響を及ぼすようになって,一定の政治的・行政的機能をもつ恒常的組織,ソビエトに変質していった。労働者代表は,工場の集会で労働者数に比例して選出され,その代表が集まってソビエトを構成し,そこでの決定を職場にもちかえった。この労働者とソビエトのつながりの緊密性が労働者の間におけるソビエトの力と権威の源泉であった。つづいてロシア各地に多くのソビエトがペテルブルグの例にならってつくられ,革命の推進に大きな役割を果たしたが,05年には革命勢力はまだ弱体で,やがて政府によってこれらソビエトはつぶされていった。

 17年,ペトログラードに二月革命が起こったとき,ただちに1905年の例にならってソビエトがつくられた。05年とちがって,兵士が革命勢力側についた17年には兵士のソビエトもつくられた。3~4月には全国各地に労働者,兵士,農民のソビエトがつくられ,6月に開かれた全ロシア・ソビエト大会はこれらソビエトを結集する組織であった。十月革命で臨時政府が倒され,権力のソビエトへの移行が実現した。このことは,18年1月の第3回全ロシア・ソビエト大会で〈ロシアは,労働者,兵士,農民ソビエトの共和国である。中央および地方の全権力はこれらソビエトに属する〉とする決議にも表明されている。しかし,現実には当時のロシアは危機的な状況にあり,中央集権的で強力なボリシェビキが諸ソビエト内につくられた党組織を通じてソビエトの活動を指導していった。

 旧ソ連邦には学校や保健など身近な問題を扱う村ソビエトから全体の問題を扱う共和国ソビエト,連邦ソビエトまで各段階のソビエトがあった。ソ連邦ソビエトは最高ソビエト(最高会議とも訳される)として,ペレストロイカによる変革までは国家権力の最高機関だったが,1988年の憲法改正により新設の人民代議員大会が最高権力機関となり,最高ソビエトは立法や法解釈,予算などを審議して人民代議員大会に提出するなどの権限をもつ機関となった。最高ソビエトは民族会議と連邦会議の2院から構成され,その議員は人民代議員大会から選出された。

 ソビエトは,その出発当初は,しばしばリコールが行われるなど民意をよく反映しうる組織体であったが,しだいにその選挙は空洞化し,共産党もしくはそれに近い団体の指名する単一の候補者があらかじめ決められていて,市民はその候補者へ信任投票を行うことが永年行われていた。1988年の憲法改正によってソビエトの選挙に複数候補制が導入された。ソ連邦崩壊(1991年12月)後も,ロシア連邦では1993年秋まで前記の最高ソビエトが存続したが,同年12月には新憲法にもとづき,新たな議会として連邦議会が発足した。これは二院制で,上院にあたる連邦会議と下院にあたる国家会議(国家ドゥーマ)からなる。

広瀬 健夫