平凡社 世界大百科事典

スピーナムランド制度

1795年にイギリスのバークシャーのスピーナムランドにあるペリカン館で決定された貧民への賃金補助制度で,バークシャー・パン法Berkshire Bread Actとも呼ばれている。この制度は賃金補助制度の代表的なもので,翌96年に制定された法律によって,バークシャーだけでなく南部の農村地帯を中心にほぼ全国的に採用され,貧民救済の新たな方向を示すものとして期待された。しかし結果的には,安易な賃金補助制度の典型的な失敗例に終わった。

 この制度は,貧民に与える救済の基準をパンの価格と家族の大きさによって決定するもので,労働による賃金が基準に達しない場合には,それとの差額を補助金として救貧費から支給するというものである。この方式は,科学的な貧民救済の方法とみなされ,貧民の最低生活を保障する制度として期待された。だが,実質的にはむしろ,地主や農業資本家の利益を守るものとして機能した。つまり,この制度によって,本来雇用主が負担すべき賃金の一部が救貧税から支払われることになり,低賃金が是認されただけでなく,救貧税の負担が地主層から小借地農業家などの低所得層に転嫁されたためである。加えて,労働者もこの制度によって最低生活が保障されたため労働意欲が減退し,生活状況はさらに悪化し,救貧税負担は増大した。しかし地主や資本家階級は,労働者の賃金の引上げには反対し,この制度の存続を望んだ。だが1815年以降になると,イギリス経済の不況により失業者や貧民が増大し,貧民救済への依存度が高まったことで,当初スピーナムランド制度で考えられた基準での救済は不可能となり,基準の切下げが行われた。さらにこの制度の弊害が指摘されはじめたが,制度を廃止することには資本家階級も労働者もこぞって反対した。資本家階級は貧民の不満が増大することへの恐怖や地代低下への危惧,労働者は低い賃金がさらに低くされてしまうのではないかという不安が,その理由であった。しかしながら,救貧税の負担増に対する資本家階級の不満が,結局は1834年の救貧制度

岡本 多喜子