平凡社 世界大百科事典

スプリト

クロアチア南部,アドリア海にのぞむダルマツィア地方最大の港町。イタリア名スパラトSpalato。人口17万5140(2001)。この近郊で生まれたローマ皇帝ディオクレティアヌスは晩年を過ごすべく宮殿を造営(295-305),これが町の起源となる。東西215m,南北180m弱の3万8000m2を占める長方形の広大な敷地は,厚さ2m,高さ20m以上の城壁に囲まれ,東西南北に銀,鉄,銅,金の4門をもつ。7世紀初めアバール人とスラブ人が近くのソリン(サロナエ)を破壊,住民がここへ避難して住みつき,しだいに発展した。8世紀末にはカトリックの大司教座が置かれている。11世紀初めハンガリーの下に入り,1420-1797年はベネチア,その後はフランス支配時代(1806-12)を除きオーストリアに属する。1888年に鉄道で内陸部と結ばれ,港も近代化されて繁栄,1918年ユーゴスラビアに所属した。第2次大戦前は同国最大の軍港,貿易港として重きをなし,多くの領事館もあった。

 現在はリエカに次いで第2位の貿易港で,造船所,港湾建設会社のほか,プラスチック・石綿・麵類・セメント工場などで町は活況を呈する。放送局,単科大学(化学技術,電気工学,法律),博物館(歴史考古学,人民革命),海洋研究所,オペラ劇場,古文書館がある。バルカンのミケランジェロと称されたメシュトロビッチの彫刻200点を展示する美術館は糸杉の丘陵に立つ。同じ彼の手になるルネサンス時代の詩人マルリッチ(1450-1524)像は町の中に,10世紀の愛国的な司教グルグル・ニンスキの巨像は金門のそばに立つ。旧市街そのものが生きた博物館といえるが,特に皇帝の霊廟だった聖堂,ロマネスク様式の鐘楼,ユピテル神殿だった洗礼堂,前15世紀エジプトで造られたといわれる二つのスフィンクスが目につく。見晴らしのよいマリヤン公園やシュロの立ち並ぶ海岸通りには観光客が絶えない。近くに飛行場があり,ブラチュ島やフバル島へは定期便も出ている。

田中 一生