平凡社 世界大百科事典

マラルメ(Stéphane Mallarmé)

フランス象徴派の師表とされた詩人。大蔵省官吏の子としてパリに生まれ,生涯の大半を高等中学校の英語教師として送る。12~13歳ころから幼い作詩を試みるが,1857年ボードレールの存在を知ったことが生涯の進路を決定づけた。第1次《現代高踏詩集》(1866)に投じた名編《海風》《溜息》を含む初期詩編によって詩壇に一地歩を築いた頃,彼は64年に始まる《エロディアード》創作を契機として詩的言語,さらには詩人そのもののあり方を熱烈に問い続ける前人未到の探究のさ中にあった。この深刻な危機体験の後,71年以降は,前期詩風の決算である《エロディアード》の一部を成す〈舞台〉(1871発表),《半獣神の午後L'après-midi d'un Faune》(初稿1865,76完成)を公にし,またポーの詩の翻訳を次々に発表するかたわら,危機体験そのものから得られたソネ群の推敲を並行的に続行し,これらは84年以降逐次発表されて,作者が生涯に2度自ら厳選し刊行した《ステファヌ・マラルメ詩集》(1887,99)の中核となった。長詩《葬いの乾盃》(1872)に始まる芸術家礼賛詩群とともに彼の後期詩編を形成するソネ群は,いずれも語にイニシアティブを与えつつ丹念に構築された自己完結的な語の建築であって,一国語による表現の極限を示している。

 85年以降は多年の思索を結晶させた文学論が諸雑誌に発表され,これらは散文詩とともに《逍遥遊Divagations》(1897)に集大成された。舞台芸術も含む広い視野に立って文芸の根本的あり方を深く洞察したこれらの散文作品(著者自身は〈批評詩〉と名づけた)は,現代フランス文学の直接の先駆として,ここに提起された問題の全体像が今ようやくその姿を明らかにしようとしている。また最晩年の大作《骰子一擲(さいいつてき)Un coup de dès jamais n'abolira le hasard》(1897)は特殊な組版,7種類の活字を使って詩化された内面の波動をそのまま視覚的に紙面に定着した空前の試みであり,ここに詩編は〈書物〉という肉体を得て宇宙的な相貌をとるにいたった。生涯の夢であった〈究極の歌(オード)〉は当然にも未完に終わったとはいえ,彼の言説は晩年彼の周囲に結集したバレリー,クローデル,ジッドら〈火曜会〉の若いメンバーに深甚な衝撃を与えて,20世紀前半の文学をそれぞれに代表する優れた応答を引き出すとともに,第2次世界大戦後は戦中に始まる本格的なマラルメ研究の成果が人類滅亡の危機意識に裏打ちされて,文学を根源的に問い直すサルトルら知的選良によって作家各自ののっぴきならぬ問題として深化されつつある。

 日本へのマラルメ紹介は1905年上田敏の名訳《嗟嘆(といき)》ならびにジュール・ユーレの探訪での詩人の回答の部分訳(いずれも《海潮音》所収)にさかのぼるが,一般には新奇な文学意匠と受けとられるか,単なる誤読の域を脱せず,真のマラルメ理解への道は1919年前後を境に鈴木信太郎の孤立した研究・翻訳によって切り開かれざるをえなかった。日本の文学者が明確な問題意識のもとにこの詩人を受容したのは,福永武彦ら〈マチネ・ポエティク〉同人を嚆矢(こうし)とし,それは十五年戦争末期,および戦後のことでしかない。

松室 三郎