平凡社 世界大百科事典

国家

一定の境界線で区切られた地縁社会に成立する政治組織で,そこに居住する人々に対して排他的な統制を及ぼす統治機構を備えているところにその特徴がある。

国家の機能

一般に政治の機能は,社会内部の異なる利害を調整し,社会の秩序と安定を維持していくことにあるが,こうした機能の達成のためには,社会の組織化が必要である。国家は,政治の機能を遂行するためにつくられた社会の組織にほかならない。社会の構成員が国家という組織からみられるときには,国民あるいは公民と呼ばれる。社会において個人や集団相互間の紛争が共通の規範によって解決され,必要な場合には相互の協力が十分に期待できるような状態を秩序ある状態と呼ぶならば,国家の機能は,何よりもまず,社会の秩序を築き,それを保持し,かつ外敵の侵入に対して,それを防衛することにある。国家には,そのために必要な権力が付与されている。たとえば,近代以前の西欧社会では,教会,領主,ギルドといった多様な個人や集団が,それぞれ社会の秩序を維持していくのに必要な権力を保持していた。しかし近代社会では,秩序を維持するのに必要な権力は近代国家の手に集中されており,他の集団の有する権力はその集団の目的に必要な限られた範囲にしか許されていない。もとより,今日の国家は,秩序の形成と保持以外にも,多くの公的な問題を処理する責任を負わされている。しかし,秩序が保たれていない限り,こうした責任を果たすことはほとんど不可能であるといえるから,今日においてもやはり国家の機能は,何よりもまず社会の秩序を築き,保つことにあるといってよい。

国家の特性

国家は,こうした独自の機能をもつ組織であるために,他の組織とは異なった性質を有する。第1に,普通の組織,たとえば,企業,組合,教会,クラブ,学校などの場合には,それらの組織に参加するかしないかは各自の自由であるが,国家の場合には,生まれながらにして,いずれかの国の一員である。ある国家の一員であることをやめるには,原則として他の国家の一員となることを求められる。第2に,どの組織も,その規則に違反したものに対しては,多かれ少なかれ,何らかの制裁を課することによって,規則を遵守させようとするが,国家と呼ばれる組織は,他の組織に比べてはるかに強大な制裁力をもっている。他の組織の場合には,組織のそれぞれの目的を達成するのに必要な範囲においてのみ制裁力の行使が認められるが,国家の場合には社会全体の秩序を保持し,その秩序を破る者に制裁を課することが,その目的の一部だと考えられるからである。第3に,国家の規則,すなわち法は,他の組織の規則とは異なり,国家のなかにあるすべての個人と組織とを拘束する。他の組織は国家の法の許容する範囲でしか規則を制定することができないし,規則を遵守させるための制裁力も,法に認められる範囲内でしか行使できない。

 国家の権力は非常に強大であるため,その濫用の危険もきわめて大きい。とくに,社会の内部に階級対立のような深刻な亀裂が存在する場合には,ある特定の集団が他の集団を抑圧し支配するために,国家の権力を濫用する可能性が高い。また,国家権力の行使を委託された人々は,しばしば自己の私的利益のために国家権力を濫用するおそれがある。こうしたことのために,自由と権力の対抗関係において自由を確保するには,権力を制限しなければならないとする地方分権制が制度化されているのも,国家権力の濫用あるいは恣意的な権力の行使を抑制しようとするものであるといえよう。

国家の諸形態

われわれが今日国家と呼んでいるのは,近代天皇制の歴史的な解明と深く結びついており,古代史,中世史の主要なテーマである。

 ここでは,典型的には西欧近代世界に出現し,19世紀以後の世界に強い影響を与えた国家の諸類型について記述する。ちなみに,欧米で国家を指すstate,Étatなどの語は,16世紀のイタリアにおけるstatoという語に由来するが,これはおもに中世の都市国家の統治機構を意味するものであった。近代的な国家概念はこの系統に属し,マキアベリが《君主論》で用いたのが最も早い例とされているが,これはラテン語で〈組織〉を意味するstatusと同義である。

国民国家

絶対主義国家は,中世共同体の崩壊過程に成立したことによって,共同体から解放された人々を基礎として,社会の秩序と安定をつくりだす課題を負わなければならなかった。その意味でそれは,明らかに近代国家の最初の形態であったといってよい。しかし,その内部には経済的利害をめぐる鋭い対立が存在していた。その出発点においては,封建領主層あるいは貴族層の特権を剝奪し,中世共同体を解体しようとする点で,絶対君主と小農民や商人層との間には利害の一致があったと考えられる。しかし,共通の敵が力を失いはじめると,こうした一致は破れざるをえない。共同体から解放された各個人にとっては,私的観点からする富の追求こそ当然の要求であったが,こうした要求は絶対君主の利害と相反するものであった。一般民衆の不満が増大して無政府状態の危険性が現実化し,しかも絶対君主がこうした事態に対応しうる手段をもちえなくなれば,絶対主義は崩壊する。ただ,絶対主義の存在理由が新しい社会体制における新しい統合の必要性にあったとすれば,たとえその存在理由が疑われることになったとしても,統合の必要性そのものは消滅しないであろう。それゆえ,絶対王政を打倒するためには,統合の単一推進者であった絶対君主に代わるべき新たな統合の担い手が登場しなければならない。

 絶対君主のもとで平準化が強行され,封建領主などいわゆる中間団体の支配特権が排除されて,すべての人々が平等な国民主権へと転換し,文字どおり近代国民国家が形成される。絶対主義国家も少なくともその版図においてはすでに国民国家であった。しかし国民主権が確立されることによって,国民的自覚(そのイデオロギー的表現が国民主義にほかならない)を備えた国民国家が成立することになったのである。

夜警国家

近代国民国家は,まず市民社会を基盤として成立するが,この時期の近代国家の特徴は,自由放任主義の下で国家の機能を最小限にとどめようとするものであった。さまざまな形で生ずる利害の対立を自由に放任することが,社会の秩序と安定にとって最も望ましい結果をもたらすものであるとすれば,国家の果たすべき機能は外敵の侵入を防ぎ,国内の基本法の遵守を確保することで十分である。19世紀のドイツの革命家F.ラサールは,こうした国家を皮肉をこめて〈夜警国家〉と呼んだ。このように,自由放任主義の下で国家の機能が極小化されていた時期には,法律を制定することが重要な意味をもっていた。国内社会において国家が干渉しうる領域は,市民の安全と社会の秩序を保持するのに必要な最小限度の事柄に限定されていたから,必要な事項はすべて明確に法文の形で示すことができた。したがって,法律をいかなる形で制定するかが政治上の最も重要な問題であり,制定された法をいかに執行するかは,第二義的な意味しかもちえなかったといってよい。

 国家の機能を区分する際にも,まず立法権と司法権がとりだされ,執行部あるいは行政権は残余の領域と考えられていた。この時期の国家は,立法部が政治の中心的位置を占めていたという意味で,〈立法国家〉と呼ぶことができよう。

福祉国家

20世紀に入るとともに加速度的な進行を遂げた工業化と都市化は,社会の大規模化と複雑化とを促進することによって,市民社会の前提である個人の予測可能性と自律性を著しく低下させた。とくに普通選挙制が確立されて,市民に代り大衆が政治過程に登場するとともに,夜警国家を支える自由主義の基本理念も後退せざるをえなかった。自由主義の基本的理念とは,国民の自由の保障にほかならないが,自由の保障が意味をもちうるのは,人々が保障された自由によって積極的に個々人の福祉を追求しうる場合に限られる。それゆえ,自律的市民が自己の責任において各自の福祉を追求することが原則とされ,しかもその原則が現実にも意味をもちえた市民社会においてのみ,自由主義は意味をもちえたのである。しかし,大衆の登場とともに自己責任の原則は崩れる。個人はもはや失敗の責任を全面的に負うことには耐えられないし,実際,恐慌や戦争のように,個人の予測能力や統制能力をはるかにこえたところに,その原因が求められる場合も多い。かくて人々は,各自の個別的な福祉の実現に関しても,多くの事柄を政治に期待することになる。それゆえ,現代社会の諸条件の下で社会の統合の必要性にこたえようとするならば,国家はこうした各個人の期待を満たすように努力するほかはない。要するに,現代の国家は社会のあらゆる領域に介入しつつ,各個人の個別的な福祉の実現に力を貸すことによってのみ,社会の秩序と安定を保ちうるといってよい。こうして,あらゆる現代国家は,単なる政治体制の相違をこえて,福祉国家に移行する必然的な傾向をもっているのである。

行政国家

夜警国家から福祉国家への転換は,国家機能の著しい増大を伴うものであった。たとえば,労働者の発言権の増大とともに,失業や貧困も国家によって救済されるべきであるとする要求が強まり,失業救済や社会保障も国家の重要な任務となるにいたった。また,資本主義の高度な発展をみた国では,恐慌が飛躍的に大規模化する傾向が現れ,資本主義の秩序を維持するためにも,経済に計画的統制を加える必要が生じた。

 こうして,国家の機能は著しく複雑化し,かつ大規模化したが,それに伴って行政部の比重が急激に増大する傾向が現れたのである。一般に,法律は問題を処理する枠組みを示すだけであるから,問題の複雑化とともに,法律の施行にあたって法の規定をいかに適用するかが重要な意味をもってくる。いいかえれば,行政部による自由裁量の範囲と意味とが,かつてみられなかったほどの重要性を与えられることになったのである。また,これらの複雑な問題を処理していくためには,高度の専門的能力が必要とされることになり,法律の制定に際しても,立法部よりは専門的熟達者を多く含んでいる行政部のほうが有利な地位に置かれることになった。こうして多くの国で,立法部自身が法律案の起草にあたるよりは,むしろ行政部が法律案の起草にあたることを常態とみなすような傾向が現れた。立法部は単に行政部の提案に賛否の意思を表明するにとどまる場合も少なくない。さらに戦争や恐慌のような非常事態に際しては,立法部がその権限を大幅に委譲する行政国家〉と呼ばれている。夜警国家から福祉国家への転換は,同時に立法国家から行政国家への転換を意味したといってよい。

現代の国家観

一元的国家観

これは,国家に絶対的な意義を与え,国家権力の倫理的意義を強調する立場である。教会と領主の権力に対抗しつつ,近代国家が形成される過程で成立した主権論は,近代における一元的国家観の最初の形であった。ホッブズやルソーにみられる社会契約説も,共同体から解放された原子的個人から出発して,近代国家の主権を弁証しようとするものであり,やはり一元的国家観に属するものであった。しかし,近代国家の完成に伴う自由主義国家の成立は,こうした一元的国家観を積極的に主張する理由を失わせたといえる。

 ただヘーゲルは,ドイツの後進性のゆえに,国家権力の存在理由を強く主張すべき立場にあり,市民社会に一定の意義を認めながらも,同時に国家を倫理的理念の現実態として高く評価した。ヘーゲル的立場は,工業化の進展に伴う社会問題の拡大と帝国主義の成立に伴う国際緊張の増大に伴って,国家権力の積極的意義が評価されはじめるとともに,ドイツ以外の国でも注目されるようになった。たとえば,イギリスでもT.H.グリーン,F.H.ブラッドリー,B.ボーザンケトらが,ヘーゲルの影響の下に,国家の倫理性を強調しつつ,国家が社会問題に積極的に介入することを正当化したのである。ヘーゲル的立場は,のちに著しくゆがめられた形で,ナチズムやファシズムの国家観に現れたが,しかしそこでは少なくともヘーゲル哲学の合理性は完全に排除され,国家一元論は著しく非合理的かつ神話的な形をとることになったといえよう。

多元的国家観

理想主義的国家一元論に対する批判として,おもにイギリスに現れた国家観で,国家の他の社会集団に対する絶対的優位性を拒否し,国家を他の経済的,文化的あるいは宗教的諸集団と同様に特定の有限な目的をもつ集団の一つであるとみなす立場である。この立場は主として,バーカーE.Barker,G.D.H.コール,H.J.ラスキらによって主張された。多元的国家観は,まず国家と全体社会を同一視することを拒否し,国家は全体社会からみれば,その機能の一部を分担する部分社会にすぎないとする。さらに,これまで国家主権とされてきた権能は,他の諸集団においても集団統制のために行使されているもので,したがって,国家の主権は絶対性をもちえないとされ,主権の複数性が主張される。多元的国家観という呼称も,こうした主権の多元性あるいは可分性の主張に基づく。国家と他の社会集団とが並列的にとらえられる場合には,国家の存在理由はその機能に求められなければならない。その意味では,多元的国家観は,国家の構造や形式よりも国家の活動内容を重視する機能的国家観といってよい。この国家観は,何よりもまず国家機能の圧倒的増大の下で,国家の絶対化を防ぎ,自由主義の原則を貫こうとする立場であったと考えられる。

階級国家観

国家を階級抑圧の機関であるとみなす立場である。この理論はおもにマルクス主義の国家論として展開されてきた。マルクス主義によれば,生産力が増大するに従って,あらゆる社会には階級対立が発生するが,それとともに社会に必要な共同事務の遂行を果たす公権力は,その社会機能と同時に,支配階級による被支配階級の抑圧という政治的機能を果たすことになる。階級対立の形態が,古代社会(奴隷制),中世社会(農奴制),近代社会(資本制)と歴史的に変化してきたのに応じて,国家の形態もまた古代国家,封建国家,近代国家と変化してきた。こうした階級対立は,これまできわめて長い歴史をもってきたが,それは超歴史的なものではない。原始社会においては,まだ階級対立は発生していなかったのであり,したがって国家も存在していなかった。国家の起源は原始社会の氏族的権力組織が崩壊して,奴隷制社会が形成されたときに求められる。

 このように,国家の起源が階級対立の発生に求められるとすれば,階級対立の消滅は当然に国家の死滅をもたらすであろう。すなわち,最後の階級社会である資本主義社会が廃止されて,社会主義社会が形成されるならば,〈プロレタリアートの独裁〉を経て,やがて国家は消滅するとされる。プロレタリアート独裁は,過渡的に国家権力の一時的極大化を示すけれども,それは国家権力の役割の肯定を介して,それを否定する過程として,いわば弁証法的に理解されている。しかし,現実の社会主義国家(社会主義)においては,資本主義国家と同様に国家機能の著しい拡大がみられ,今日までのところ国家の死滅を予告するいかなる兆候も現れていない。

国家批判の系譜

近代国家の最初の形態は絶対王政であったから,国家に対する批判もまず絶対王政に対する批判という形をとった。その一つは信仰の自由を守る立場から暴君の放伐を説いたモナルコマキmonarchomachi(ラテン語)であり,他の一つは封建時代に認められていた特権の回復をめざす立憲主義である。とくに立憲主義の主張はのちに普遍化されて,国家権力に対し基本的人権の保障を求める権利章典の制度化を導いた。絶対主義国家はやがて市民革命を経ることで,国民国家へと変貌するが,この過程において指導的役割を果たしたブルジョアジーは,国家機能を最小限にとどめることを望んだ。その帰結が夜警国家観にほかならないが,それは同時に市民社会自体が安定した秩序を実現しうると想定していた。すなわち,まず国民の共同生活は国家という形式的側面と市民社会という実質的側面をもつとされる。そして市民社会では,各個人は利己的な経済活動を通じて相互に結合されるが,自他の利害計算を支配する合理性のゆえに,市民社会自体に高い予測可能性が成立し,それに基づいて安定した秩序も成立する。かくして,市民社会を高く評価する人々は,国家に対してはむしろ消極的態度をとる。たとえば,J.ロックは国家と市民社会を区別し,市民社会は国家に一定限度内で統治を信託しているにすぎないと主張した。またA.スミスは,人間は〈神の見えざる手〉によって導かれているとして,市民社会の自律性を説き,最小の政府こそ最良の政府であるとした。このように,市民社会の自律性を主張することは,国家批判の系譜においても重要な位置を占める。マルクスの階級国家論も,国家の階級的性格を指摘し,国家の中立性の仮面をはぎ,さらに無階級社会における国家消滅の必然性を説くことで,国家批判の新たな観点を確立した。しかし,市民社会の衰退は,当然に国家に対する批判をも弱めることになり,むしろ大衆社会においては,国家の積極的な役割を是認する立場が強くなっていく。また,ドイツのような後発的な近代国家にあっては,市民社会に一定の評価を与えながらも,市民社会に内在する分裂を克服するために,国家の積極的な役割を強調する立場が現れる。ヘーゲルの国家観はその代表的な例といえよう。20世紀に入ってイギリスやアメリカで盛んになった多元的国家論は,国家も多元的政治社会の一つにすぎないとして,その絶対化を拒否する試みであり,国家批判の側面をもっていたことはいうまでもない。

 今日では,かつてヨーロッパに成立した国民国家の理念と制度が,ヨーロッパ以外の全世界に普及拡大するにいたっている。こうした傾向に対して,国民国家はそのヨーロッパ的起源のゆえに,アジアやアフリカなどの第三世界には必ずしも適合しないとする批判も強い。ただヨーロッパ的国民国家には,人権の尊重や法の支配などのすぐれた成果もある。今後の課題は,国家が各地域の伝統や風土と融合することで多様化の方向をとるのをみきわめながら,国家の成果というべきものをいかに受け継ぐかにあるといえよう。

阿部 斉

国家の起源をめぐる諸学説

国家の起源をめぐる議論は,すでに述べたように何をもって国家とみなすか,国家の定義の問題とかかわっている。ここでは,20世紀の主要な議論を紹介する。E.マイヤーやW.コッパースは国家を人類社会に普遍的に存在するものと考え,狩猟採集民の群れ(バンド)にさえ国家的な要素を認めていた。またR.H.ローウィのように,小規模な群れや村は別としても,血縁・地縁の絆(きずな)をこえて形成される結社に国家的なるものの萌芽を見いだそうとした学者もいる。

 しかし今日では,大部分の人類学者は国家の起源を論ずるにあたって,まず社会経済的な階層化や権威・権力の集中,労働の専門分化などの問題をとりあげるようになってきている。たとえばフリードM.H.Friedは国家形成の第一歩として社会的,政治的な階層化を強調したし,カーネイロR.L.Carneiroは社会階層ひいては国家を生み出す背景として特殊な地理的環境を重視した。カーネイロのいわゆる地理的限定理論によれば,それ自体は良好な土地だが,周囲を不毛の砂漠や山岳,あるいは海などに囲まれた地域において国家が興りやすいという。そうした地域では人口集中によって人口圧が生じ,土地をめぐる争いが激化し,その結果,敗者の勝者に対する服属と納税が始まり,政治経済的階層が生ずるというのである。ちなみに,こうした地域では被征服者が周囲の地域に逃れて新しい村をつくることはきわめて困難だからである。

 一方,サービスE.R.Serviceは国家形成に寄与する要因として,(1)再分配の経済システム,(2)戦争の組織,(3)公共事業,の3種の組織の効用ないしは社会統合に及ぼす効果を強調する。ちなみに,(1)は多様な生態条件にある地域が開発されるとともに労働の特殊化,専門化が助長される場合に,さまざまの地域のさまざまな産物をある指導者の下に集めて再分配することによって生ずるし,また遠隔地貿易などによっても促進される。(2)は成功をおさめたときには種々の富(戦利品,捕虜,貢納など)をもたらすのみならず,〈民族的な誇り〉をも高め,結局は軍事指導者を中核とする統治機構を強める。(3)は神殿を建造したり水利システムをつくるために組織される。要するにこの種の組織化が始まることによって,当初は一時的であり限定されていた指導権が恒久化し強化され,ついには世襲化ないしは制度化されて,国家的機構の基礎が築かれるというのである。

 従来,国家の起源をめぐって,たとえばF.オッペンハイマーやR.トゥルンワルトが唱えた征服説や,K.A.ウィットフォーゲルの灌漑説などが注目を浴びたが,それらは,サービスの理論によれば,上述の組織化と指導権の制度化を生み出すいくつかの要因の一つにすぎないことになる。国家形成へいたる道筋は必ずしも一つではなく複数でありうるという見解はR.コーエンやL.クレーダーによっても示されている。

中村 孚美

国際法上の国家の類型

主権国家は,日本のように,原則として単一国家である。単一国家は,同国家を代表する単一の中央政治権力をもつ。ところが,国家の中には,他国と結合することによって,主権を喪失はしないが,制限されるものがある。こうして,国家の種類分けがなされるが,それは,18世紀から20世紀にかけて現実に存在した種々の国家結合から帰納されたタイプにすぎない。したがって,実際には宗主国・従属国である。同君連合は君主国について認められ,複数国家が偶然に同一人物を君主とする身上連合personal union(例,1714-1837年のイギリスとハノーバー朝)と,複数国家が合意して同一人物を君主とする物上連合real union(例,1814-1905年のスウェーデンとノルウェー)とに細分される。国家連合confederation of states(例,1815-66年のドイツ連合)も連邦制も,複数の国家が結合して,それ自身の機関を設けるときに成立するが,国家連合では,その機関の権限が直接には構成国だけにしか及ばないのに対し,連邦制では,構成国国民にも及ぶ。保護国・被保護国は,主権の重要部分を委譲するという方法で,弱国(被保護国)が強国(保護国)の保護下に屈するときにみられる。宗主国・従属国は,国家の一部(従属国)が独立しようとする過程で,本国(宗主国)の国内法によって制限された主権を認められるときに成立する。これらの国家結合のうちで現存しているといえるのは,連邦制のみである。

 なお,国家の基本的権利・義務としてあげられるのは,内政干渉)などである。こうした国家の基本権の観念は,歴史的には自然法思想に基づき,国家も生来的に固有の権利をもつという形で主張された。しかし,前記の被保護国,従属国の場合のように,主権は必ずしも固有のものでなく,制限されることがあることに注意する必要がある。

松田 幹夫

現代の国際社会と民族国家

国際政治の基本的な行為主体actorとして,国家は,戦争から平和にいたるさまざまな国際現象の担い手の役割を果たしてきている。国家は,ふつう,民族国家nation stateと呼ばれる。民族国家は,近世ヨーロッパを舞台にして,17世紀中ごろ以降,その誕生をみた。三十年戦争に決着をつけたウェストファリア条約(1648)が,民族国家体系を成立せしめる歴史の一大契機となった。それ以前の国際社会は,なによりも政治と宗教とが未分化の中世世界であった。ローマ教皇が国家の次元を超えてヨーロッパの教会領に君臨したり,また神聖ローマ帝国では,いろいろな領邦の領主が選挙侯として皇帝を選出するというように,異質な政治の行為主体が混じり合う世界であった。

 多元的な政治体系に代わって,共通の構造属性をもつ国家が,その規模の大小にかかわらず,国際政治の主役となったのである。その際,共通の構造属性とは,第1に,国家が固有の領土をもつこと,第2に,固有の人口をもつこと,そして第3に,対外的に主権をもつことである。国際法は,一般に国家を,〈一定領土内に居住する国民に対して,これを支配する政府組織を有する法的主体〉として定義する。ここで大事な点は,国家が物理的暴力(警察力および軍事力)の唯一正統な独占主体であり,かつ,より高次のいかなる政治的権威にも服さないことである。このような国家主権の平等性を基礎にして現代国際社会が成り立っている。

 民族国家体系が生成・発展していく背景には,確かにその一方で,世俗的権威による宗教的権威への優越という発展があったが,その他方では,それぞれの国家が,農業社会から工業社会へ脱皮していく経済的近代化の過程があり,同時に常備軍と官僚機構をあわせ備えていく政治的近代化の過程があった。

国家と国家体系の変質

この体系は,最初は,ヨーロッパ,それからアメリカ大陸,そしてアジアへと拡大する歴史をたどったが,とくに第2次大戦を境にして,国家群の増大をみることとなった。たとえば,1945年に国際連合が発足したとき,構成国の数は51ヵ国であった。ところが,80年代に入って,その数は3倍の150ヵ国をこし,90年代末には180ヵ国をこえた。民族国家体系は,ここで一挙に膨張をみた。しかし,この膨張過程は,同時に国家体系および国家の重要な変質をまねいてきている。

 まず第1に,民族と国家とを一体とする構成原理に大きな変容をみてきていることである。それはとくに,長く植民地の地位におかれたがゆえに,民族と国家とを外の力によって人為的に分断せしめざるをえなかった多くの開発途上国の事例にみられる。第2次大戦後独立をみた多くの途上国は,民族国家の構成モデルに容易にあてはまらず,いまなお国家の形成過程にある。

 第2には,国家間の力powerの不均質さがいっそう顕著になる方向での変容である。軍事力の次元では,圧倒的な核兵力をもつ米ソが国際政治で〈2者独占〉の状況にあったし,また経済力の次元では,先進工業諸国と開発途上諸国との間の貧富の差が広がる一方である。まさに国家群の膨張は,国々の不平等構造,ゆがみを強めることとなった。そのことが国際政治でさまざまな紛争を生み,その解決をますます困難なものとしている。

 第3に,国家および国家体系の変質として見のがせない現象に,国々の〈国際統合)。

 第4の変化として,多国籍企業やさまざまな営利・非営利の非政府組織(世界政治

鴨 武彦