平凡社 世界大百科事典

スカルノ(Sukarno)

インドネシア民族主義運動の指導者,インドネシア共和国初代大統領。1901年6月6日,スラバヤでジャワ人の父とバリ人の母の間に生まれた。スラバヤの高等学校を卒業後,バンドンに遊学して26年にバンドン工科大学を卒業,建築技師の資格を得た。卒業当時のインドネシアは共産党の蜂起(1926-27)が失敗し,新しい知識人による民族主義の胎動が始まっていた。スカルノはその中で新世代のチャンピオンとして登場した。植民地政府に対する非協力と即時独立を唱える彼は,投獄(1929-31)と流刑(1933-42)の生活を続けたが,独立の闘士としての声望が高まり,日本軍政中に政界に復帰すると民族第一の指導者の地位を確立した。45年8月17日,ハッタ(後の初代副大統領)とともに,〈インドネシア民族を代表して〉独立宣言に署名してこれを読み上げ,翌18日にはインドネシア共和国初代大統領に選出された。次いで19日には大統領内閣を組閣したが,同年11月以降,行政権は首相の掌握するところとなり,スカルノの実質的権限は後退した。

 しかし,1950年代後半に至って各種の政党間の離散集合による政党政治が破綻をきたすとともに,彼のもつ国民的支持の獲得能力と各種の政治勢力間の調停能力とによって,その権力を著しく強化した。こうして,50年代末以降,〈指導された民主主義〉を掲げて,代議制による政党政治を停止し,軍と共産党の力の均衡の上に立ち,国際的には反帝反植民地主義(ネコリム)の路線を推進した。ナサコム(民族主義,宗教,共産主義の三者の団結)をはじめとする数多くの力強いスローガンを次々と創出して民族主義を謳歌したが,65年のスハルトに移り,67年3月には大統領職を停止され,さらに翌68年にはスハルトが正式に第2代大統領に就任した。晩年はボゴールで軟禁状態のうちに過ごした。スカルノは,誕生期にあったインドネシア民族の統一と団結の体現者であり,彼自身〈人民の代弁者〉であることを生涯を通じて自任していた。スカルノ没後十数年たった現在,〈民族の誇り〉としてのスカルノに対する思慕の念は,民衆の間でなお強靱に生きつづけている。

土屋 健治