平凡社 世界大百科事典

シュメール

古代バビロニア沖積平野の中・南部をさす地名。正しくはŠumer。現代のイラク南部の2行政区,ディーワーニーヤDī-wānīya,ナーシリーヤNāṣirīyaにほぼ相当する。この地は前3千年紀末には,KI.EN.GI(-RA)と書かれ,シュメルと読まれたらしい。シュメールはまた,この地で発達した世界最古の都市文明や,この文明の創始・発展に決定的に貢献した民族や,その言語の名をも示す。

定住--ウバイド期

この地はティグリス,ユーフラテス両大河の運ぶ肥沃な沈泥(シルト)によってつくられた沖積平野の中・下流地帯の低湿地で,アシの生い茂る沼沢や鹹湖があり,陸地の大部分は春に草の生えるだけの荒地であった。気候は前6000~前5000年ころも現在とほぼ似た半乾燥・亜熱帯状態にあった。この地への人類の居住は,沼沢地の魚,水鳥,ナツメヤシ,野猪に頼る狩猟・採集民によって始まったと考えられるが,前5000年ごろ(前3千年紀半ばまでの年代はなお推測的),最南部のシュメール人との関係は明確でないが,彼らを原シュメール人と考える学者もいる。この期中に沖積平野の中・南部の優位が確立し,シュメールの地が発展の先頭に立つことになる。

都市形成期

次の考古学的時期であるウルク期(前3800-前3000ころ?)には轆轤(ろくろ)製の無文土器とシュメール語を話す人々をおもな担い手とする最初の都市文明が,ここに圧倒的なエネルギーを伴って出現した。ウルクとほぼ同じ頃,エリドゥ,ウル,ギルス,ラガシュ,ウンマなども都市的規模に達した。ジャムダット・ナスル期(前3000ころ?-前2800ころ?)にはシュルッパク,ニップール,キシュ,エシュヌンナが都市的規模に発展し,また文字の表音文字としての使用法が現れ,絵文字が写す言語がシュメール語であることが確認される。

初期王朝期--都市国家時代

シュメールは前3千年紀初めから初期王朝期と呼ばれる時代(前2800ころ?-2350ころ。Ⅰ~Ⅲ期に区分)に入る。この時期にはシュメールでは前代からの都市のほか,アダブ,バド・ティビラ,ラルサ,ザバラムなどの都市が登場し,北に接するアッカド地方にもキシュのほか,シッパル,アクシャクなどセム人の影響の強い都市国家が出現した。なかでもキシュはこの時期のⅠ期から最も重要な都市国家の一つとなり,〈シュメール王名表〉と呼ばれる伝承においても,〈洪水後〉最初に覇権を確立した王朝とされており,セム人の,この時期における軍国的都市国家時代の形成に演じた役割は無視できない。なおシュメールの歴史における第3の人種要素として,フルリ人と関係のあるスバル人Subareansの存在を指摘する学者もいる。初期王朝期には王を指す称号ルガルlugal(字義は〈大きい人〉)がⅠ期より(〈ウル古拙文書〉),支配者をさす別の称号としてのエンシensi(語源はなお不確定)がⅢ期に現れ,社会組織がいっそう凝縮的となるとともに,都市国家間の同盟と戦争が繰り返されることとなった。

 考古学的にはこの時期の開始は底平上凸(プラノ・コンベックスplano-convex)煉瓦の使用によって確証されるが,歴史的にはⅠ期(前2800ころ?~前27世紀)は過渡期で,キシュの覇権とシュメール諸都市の都市同盟の時代であった。Ⅰ期中にウルク市の面積が400haに達したという。Ⅱ期(前27世紀~前26世紀)には,伝承においてキシュ第1王朝の最後から2番目の支配者とされる(エン)メバラゲシの銘文が出土しており,その子アガおよび彼らと戦ったという別の伝承をもつ,後の大英雄叙事詩(《サルゴンに敗れ,シュメールの地はアッカド帝国の支配下に入った。しかしアッカドの統治下においてもシュメール都市は存続し,そこではシュメール語が日常語として使用されていた。

統一王国--ウル第3王朝

アッカド王国(前2350ころ-前2170ころ?)がウル第3王朝(前2112-前2004)が成立し,〈シュメール・ルネサンス〉が実現した。

 創始者ウルナンムの現存世界最古の法典の編纂(〈ハンムラピによる統一の下でシュメール人はアムル人に吸収され,シュメール人の歴史的役割は終りを告げる。

文化的達成

シュメール文化は,シュメール語が日常語としては死語となった後も,メソポタミア最後の独立時代である新バビロニア時代まで,古典文学や宗教生活の中に文化語として生き続けた。またウルがセレウコス朝まで,ウルクはパルティア時代まで重要都市として存続したことに示されるように,シュメールの都市はメソポタミア文化の中核として生き続け,またその周辺やその後の古代諸文明にも広範な影響を及ぼし続けた。シュメール時代の文化的達成のおもなものとしては,(1)都市文明と都市国家の創始,(2)文字,バビロニア

山本 茂