平凡社 世界大百科事典

俗講

中国,唐代の中期(9世紀)以降に寺院や盛り場で語られた講釈。俗とは通俗の意ではなく在俗の一般大衆のこと。したがってこの名称は僧侶が本来その語り手であったことを示す。その淵源は,仏説を平易に語り聞かせた〈唱導〉という通俗説法に求められるが,唐代ではこれが芸能にまで発展するにいたった。ただし唐代の俗講には三つの種類があった。第1は詔勅によって定められた日に選ばれた寺院で催されるそれで,例えば入唐僧の円仁が記録している長安での七つの寺の俗講がそれで(《入唐求法巡礼行記》会昌元年(841)の条),《華厳経》や《法華経》などが講ぜられている。その講述の儀式次第についても円仁の綿密な記録があり,これが六朝以来の〈講経〉の継承であることがわかる。第2は寺院で定期的に開かれたそれで,例えば長安の保唐寺で毎月八の日に開かれた俗講には,妓女までも大勢聞きに行ったという(《北里志》)。

 第3は盛り場に設けられた〈変場〉という寄席で語られたそれで(《酉陽雑俎(ゆうようざつそ)》前集巻五),ここでは仏教談義ではない講釈も行われた。ただし円仁が記す長安第一のタレント俗講僧の文などは,《因話録》によると仏典にかこつけて淫穢なことばかり語ったというから,実際には〈変場〉のような市中の演芸場と変りのない内実のものだったらしい。唐末の李賀の詩には妓女が王昭君の悲話を,吉師老の詩には女の旅芸人がやはりその物語を,それを絵にした画巻を繰り広げて聴衆に示しながら語りうたったことを詠んでおり,また釈迦の降魔の話を語ったものには絵の付いた巻物が現存するし,目連尊者が母を地獄から救う物語の写本には〈幷(あわ)せて図一巻〉という題がある。敦煌の壁画にも,それが絵解き的に語られるような配置で描いたものがある。しかし次の宋代では純粋の口誦芸能となり,《洛陽搢紳旧聞記》に記す俗講僧の雲弁もそうであり,都市の寄席で語られた講釈にいたって純然たる説話文学となった。

入矢 義高