平凡社 世界大百科事典

ソユールガール

14~18世紀のイランでみられた土地所有の形態。この言葉の語源は12~13世紀のモンゴル語〈ソユルガルsoyulghal〉に求められる。チンギス・ハーンの孫フレグがイランにイル・ハーン国(1258-1353)を建国するに伴い,この言葉は外来語としてペルシア語に借用され,母音が長音化した。元の意味は,遊牧分封制において,貴族層が,彼らに臣従を誓い,主従関係を結んで家臣になった者に対して,軍事奉仕の代償として与えた封,恩賞,特権を表す。しかし,14世紀以降のイランでは,遊牧社会における主従関係,生産と土地所有の関係だけを示す概念ではなくなり,農業的な諸関係をも含んだ土地所有の概念として使われるようになった。イル・ハーン国の末期まで土地所有の主要な形態であったイクター制を継承・発展させるものがソユールガールと考えられた。

 イクターでは,俸給の代りに授与された徴税権を伴う分与地に対して,軍人の権利はあくまでも一時的な保有関係であり,農民に対する支配権を認められていなかった。ところが,イル・ハーン国の中央集権体制が崩壊し,ジャラーイル朝をはじめとする地方政権が各地にできると,イクターの保有者であった軍人は,不輸不入の権利を獲得し,世襲的に所有していく体制を実現した。こうして成立したソユールガール制は,トルクメン(トルコマン)系のカラ・コユンル,アク・コユンルの両朝,サファビー朝(1501-1736)の時代に発展し,行政的なインムニテート(不輸不入)を特徴とする土地所有形態になった。これは農民に対する裁判権をもつものであった。

 ソユールガールに似た土地制度にトゥユールがあるが,これは保有者の権利においてソユールガールのように世襲を認められず,原則的に一時的な保有であり,行政的なインムニテートも弱かった。ソユールガールはサファビー朝末期には廃れたのに対し,トゥユールは1908年の廃止まで続いた。

坂本 勉