平凡社 世界大百科事典

宇宙飛行

宇宙空間,すなわち地球の大気圏外を飛行すること。この場合,飛行体は無人であってもかまわないわけであるが,一般には,宇宙空間を人間が移動している状態,言い換えれば宇宙旅行space travelとしてとらえられることが多い。

空想の時代

宇宙飛行の発想をさかのぼれば,それはまず伝説や物語の中に見いだすことができる。その中では,人間は地上に対して天を一つの世界と考え,宇宙を舞台に観念的な自分の世界をつくり上げていた。そしてその世界との行き来が物語として残り,高い所へのあこがれは,壮大な建造物として残っている。この段階では,地球や宇宙そのものの知識が十分ではなかったから,とくに宇宙と大気中の飛行の区別はつける必要はなかったであろう。飛ぶことのできたうれしさのあまり太陽に近づきすぎ,翼を固めた蠟が溶けて墜死したギリシア神話のイカロスの話はその例としてあげることができる。また2世紀にはギリシアのルキアノスによって,月世界旅行のSFの第1号ともいえる,暴風雨で月まで飛ばされた船と乗組員の話がつくられている。

 その後,17世紀ごろまで目だったものはなかったが,地球と宇宙そのものに対する理解が深まるとともに,多くの人によって宇宙旅行が空想されるようになった。多くの観測データをもとに,惑星が太陽を焦点とする楕円軌道上を動くことを発見したJ.ケプラーも,月への旅行について思いを巡らし《ソムニウム(夢)》という月に移住する話を著した。またイギリスの僧侶F.ゴドウィンはこれをさらに発展させて,月の植民地を論じた書物を著しているし,シラノ・ド・ベルジュラックも,《日月両世界旅行記》に露の蒸発を利用して月に到達するという話を残している。これらは今日の宇宙飛行をある程度予言したものではあるが,根本的に不満足な点は宇宙飛行の原理がうち立てられていないことであった。

実現への懸橋

宇宙飛行の原理は,ケプラーの死後I.ニュートンが発見した万有引力の法則の中にあった。ニュートンはこの法則をもとに,宇宙飛行について,高い山の上においた大砲から十分大きな速度でうち出された弾は落下せず地球のまわりを回るであろうことを説明している。しかしながらニュートン自身はこれ以上宇宙飛行に深入りすることはしなかった。また,宇宙飛行を目ざした人々でもニュートンの示した8km/sという速度にあえて挑む人物は当分いなかったのである。

 これに挑んだのは(もちろん想像であるが)19世紀のジュール・ベルヌで,《月世界旅行》の中においてであった。産業革命の真っただ中であって,これまで不可能と思われたことが近代科学によって次々に実現しつつある時代であった。ベルヌは地球から月への脱出速度を約11km/sと見積もり,砲身270mの大砲から砲弾をうち出すことで実現できるものと仮定した。この方法はできそうに思えるが,実際にはとても実行できるものではない。なぜなら,砲身を出たときにこの速度に達しているためには,重力の加速度(約9.8m/s)の約2万倍という,ものすごい加速度で加速しなければならず,人間が生きていられるはずもないからである。ベルヌの話のおもしろさはむしろその後の無重量状態や,真空中での人々の反応,目的地である月に重点がおかれている。ここでも人間の宇宙飛行が主題であって,全体が新天地への旅行としてとらえられていることが,同じ飛行でも航空機による飛行とはそのはじめから趣を異にしているのである。

宇宙への第一歩

大砲による宇宙飛行が不可能であることを認識し,実現可能な方法を考えた人々は20世紀に入ると立続けに登場した。ロシアのK.E.チオルコフスキーは,1903年に《宇宙空間へのロケット》という論文を書き,ロケットこそが宇宙飛行に有効なこと,そしてそれまでの火薬を用いたロケットではなくて液体の推進剤を用いる方法を理論的に提案した。一方,09年にアメリカでR.H.ゴダードがロケットの研究を開始し,19年に《超高層に到達する方法》という書物を出版し,みずからも液体燃料ロケットをつくって実験していた。これら2人はソ連,アメリカという宇宙開発における二大国の先駆者として,とくに高い評価をうけている。このほかにも,1895年ごろにペルーのリマで,ポーレットPedro Pauletが最初の液体ロケットの実験をしたといわれているが,これらの人々の間には直接の交流はなく,それぞれが独自に活動していたにすぎなかった。実質的にもっとも現在の宇宙飛行に貢献のあったのはドイツ人たちであり,すでに1904年ごろ,マウルAlfred Maulはカメラをロケットに取り付けてうち上げていた。とくに第1次世界大戦後は宇宙飛行を目標にした研究が盛んになり,23年にいたって,H.オーベルトは《惑星間空間へのロケット》という本を出して,この中で理論だけでなく,具体的な提案を行い,またみずから小型のロケット実験を開始した。このときこのグループの一員であった少年フォン・ブラウンは,後にV2号という本格的なロケット兵器を開発したが,彼自身はあくまで宇宙飛行のためのロケットと考えていた。彼はドイツの敗戦によってアメリカの捕虜となり,以後はアメリカでロケットの研究を続けた。この間,真に現代科学としての宇宙飛行の特徴であるシステムを基本にした研究開発を実行し,それまで理論的に可能といわれながら実現しえなかった宇宙飛行を技術的に可能にするとともに,人類初の月への有人飛行を実現するきっかけをつくった。このスペースシャトルによる宇宙からの有翼機による帰還が可能になった現在でも基本的に変わっていない。

飛行方法

宇宙飛行において不可欠なのは,人間を地球から宇宙へ送り込むことができる性能のよい大きなロケットである。今日の宇宙飛行においては,最初にロケットによって数分間加速して,地球あるいは太陽系のまわりの楕円軌道にのってしまえば,残りの大部分の期間は動力の不要な慣性飛行である。地球から火星や金星などの惑星に飛行する場合,最少の加速という意味でもっとも効率がよいのは,地球の公転軌道と目的の惑星の公転軌道に接する楕円軌道上を飛行することである。この楕円軌道はホーマン軌道と呼ばれる。ただしホーマン軌道を利用するには,ロケットが目的の惑星の軌道に到達したとき,ちょうどその惑星がその位置にいなければならないので,ロケットの発射時期を選ばなければならない。この時期は,二つの惑星(地球から出発する場合なら地球と目的の惑星)の相対位置と,二つの惑星の公転軌道面の交線付近に出発と到着の軌道が位置しなければならないことから決まってくる。この時期からずれるに従って,より大きなロケットの速度を必要とし,したがってより多くの推進剤を使用しなければならない。通常,ロケットはホーマン軌道を利用する場合よりも余裕をもって設計され,1ヵ月間くらいの間ならば,ホーマン軌道より大きなエネルギーを必要とする場合でも到達できるようになっている。この期間を発射の窓またはランチ・ウィンドーlaunch windowと呼んでいる。同様のことは,地球の引力圏の中の人工衛星間の飛行や月への飛行に対してもあてはまる。例えば赤道に沿って回る軌道半径の異なる二つの円軌道の人工衛星間の行き来は,これら二つの衛星軌道に接する軌道に沿って飛行するのがもっとも効率がよい。このために出発,到着の時期を選ばなければならないが,そのチャンスは同一軌道面内を飛行しているかぎり,軌道の公転周期と同程度の期間ごとに訪れることがわかっている。

 なお,地球から他の惑星に出発するときの速度は,宇宙船が地球の人工衛星速度より大きな速度で地球を脱出した後に地球に対してもっている速度と地球の公転速度を合成したもので決定される。→ロケット

長友 信人
地球から惑星へ
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