平凡社 世界大百科事典

分光分析

原子や分子の大きさは1cmの1000万分の1以下であり,人間の五感によってこれらを識別することは不可能である。そこで,物質に入射した光が,それに含まれる原子や分子の種類に特徴的な変化を示すことを利用した分析手段が広く用いられている。これが分光分析である。分光分析に用いられる光は,われわれの目に見える可視光だけでなく,それより波長の長い赤外光や波長の短い紫外光もしばしば用いられる。通常の光の概念からやや外れるが,赤外光よりさらに長波長部のマイクロ波や電波,また紫外光よりも波長の短いX線やγ線も分光分析に用いられている。可視光は電磁波のごく一部分の波長領域を占めるにすぎないが,これは,われわれの目に含まれる視物質中の色素が,380~780nmの波長の電磁波にのみ反応するからである。物質中の原子や分子は,それらに特徴的なしかたで入射した電磁波と相互作用する。

光スペクトル

調べようとする電磁波を,分光器を用いて異なる波長をもつ成分に分け,光検出器によってその各波長成分の相対的な強さを測定,比較したものを光スペクトルという。光スペクトルには,連続スペクトル,線スペクトル,吸収スペクトル,発光スペクトル,散乱スペクトルなどの種類がある。これらの光スペクトルに現れる吸収ピーク,発光ピーク,散乱ピークの波長は,いずれも物質中の原子や分子の種類によって決まる固有の値をもっているから,その波長を測定することにより物質の定性分析を行うことができる。また,これらのピークの高さは,物質中に存在する原子や分子の数と関係づけられ,定量分析の手段を与える。分光分析は,われわれが直接見ることのできない原子や分子の微視的な世界の様子を,光スペクトルの解析を通じて明らかにするものであると定義することができる。ここ半世紀の分光分析法の発達によって,われわれの物質世界に対する認識は格段の進歩をみた。この傾向はレーザー,エレクトロニクス,コンピューターなどの技術革新によってさらに加速されており,物質科学における分光分析の役割はますますその重要さを増している。→光スペクトル

吸収分光分析

光吸収による分光分析で,吸光分光分析absorption spectrochemical analysisともいう。この方法で用いる装置は,光源,試料部,分光器,検出器から構成される。光源から発せられた白色光は,試料によって吸収された後,分光器によって各波長成分に分けられ,検出器により電気信号に変換され,吸収スペクトルとして記録される。白色光源として紫外領域では重水素放電管,可視領域ではタングステンランプ,赤外領域ではグローバーgloberと呼ばれる炭化ケイ素発熱体が用いられることが多い。気体,液体,溶液の試料は,セルcellと呼ばれる容器に入れて測定を行う。セルの材料として,紫外領域で溶融石英,可視領域で光学ガラス,赤外領域では臭化カリウム,塩化ナトリウムなどのハロゲン化アルカリの結晶が用いられる。固体物質は種々の方法により薄膜状に成形して測定試料とする。分光器には,回折格子やプリズムを用いた分散型のものと,光の干渉波形をフーリエ変換によって光スペクトルに変換する干渉分光計の2種類がある。前者は紫外から赤外領域で最も普通に用いられるが,後者は主として赤外領域で使用されている。分解能,波長精度などの分光器の基本性能に関しては,後者のほうが原理的に優れており,機械精度など技術上の問題点が克服されれば,紫外・可視領域でも干渉分光計が用いられるようになると予想される。検出器としては,紫外・可視領域では光電子増倍管,赤外領域では熱電対や種々の半導体検出器が用いられる。また,撮像管やフォトダイオードアレーphotodiode arrayなどのマルチチャンネル光検出器が主として紫外・可視領域で用いられており,近い将来に赤外領域でも実用化されよう。吸収スペクトルに現れる吸収ピークの高さは,ランバート=ベールの法則(光吸収)により,試料の厚さと試料中の原子や分子の個数の指数関数として表される。吸収分光法による定量分析は,この法則を用い,吸収ピークの高さの対数をとることによって行われる。

発光分光分析emission spectrochemical analysis

光放出による分光分析をいうが,単に発光分析ともいう。この方法で用いる装置は,試料部が光源と同一である点以外は,吸収分光分析で用いるものと本質的に変わるところがない。発光分光分析では,光子を放出する励起状態の原子や分子を生成させるために種々の手段が用いられる。アルカリ金属原子の示す炎色反応は,バーナーの高温下での化学反応を励起に用いた,目を検出器とする発光分光分析の一種である。電磁波の照射による光吸収によって原子や分子を励起する発光分光分析を蛍光分光分析という。光散乱による散乱分光分析も発光分光分析の範ちゅうに含めることができる。発光スペクトルに現れるピークの高さは,試料物質中の原子や分子の数に直接比例するので,発光分光分析は定量分析に適している。また発光分光分析は吸収分光分析に比べて検出感度が高く,物質中の微量成分の分析に適している。

X線分光分析X-ray spectroscopic analysis

X線を用いた分光分析は,主として金属などの原子番号の大きな元素の分析に応用される。X線発光法では,加速した電子線の照射によって試料物質中の原子を励起し,それが放出する固有X線のスペクトルにより分析を行う。固有X線の波長と原子番号の間には,〈モーズリーの法則〉として知られる関係が成立するから,測定された波長から試料物質中の原子の原子番号を知ることができる。収束した電子線を用いたX線発光分析装置はX線マイクロアナライザーX-ray microanalyserと呼ばれ,物質の局所的な元素組成の分析に有用である。蛍光X線法X-ray fluorescence analysisは,X線の照射によって試料中の原子を励起する以外はX線発光法と同一の分析法で,やはり金属元素などの分析に適している。X線吸収法X-ray absorptiometryは,発光法に比べ一般的でないが,最近EXAFS(広域X線吸収微細構造extended X-ray absorption fine structureの略)が,新しい状態分析の手段として注目を集めている。

紫外・可視分光分析spectrochemical analysis in ultraviolet and visible region

われわれは目で見た色によって物質の識別を行うことができるが,これは自然光を光源とし,目を検出器とした最も単純な可視分光分析とみなすことができる。紫外・可視吸収法は,比色法とも呼ばれ,発色団を有する有機分子や,錯体などの無機化合物をはじめとして,種々の化合物の分析に広く用いられている。また,溶液中に含まれる金属イオンを錯体形成剤と結合させ,有色錯体として分析することもできる。試料物質を高温条件下で原子に解離させ,生成した原子の紫外・可視吸収を観測する分析法は原子吸光法と呼ばれる。この方法は試料中の微量元素,とくに金属元素の定量分析に適している。紫外・可視発光法のうち,蛍光法は生体物質などの定性分析に用いられることが多い。励起光源にレーザーを用いたレーザー誘起蛍光法は,感度がきわめて高く,気相における微量成分の選択的検出に有用である。また,レーザーの高い指向性を利用し,光ファイバーを通して生体内の組織の特定部分を照射し,散射される蛍光により診断を行う臨床医学的応用も試みられている。原子発光法は,プラズマ中などの高温条件下で試料物質を励起状態の原子に解離させ,その発光スペクトルにより分析を行う方法である。原子吸光法と同じく微量元素の定量分析に適しており,複数の元素を同時に定量できるという利点をもつ。化学発光法chemiluminescence analysisは,化学反応によって生じた励起状態の分子からの発光により分析を行う方法である。

赤外分光分析infrared spectroscopic analysis

赤外吸収スペクトルは,〈分子の指紋〉と呼ばれていることからもわかるように,分子の個性を鋭敏に反映した特徴的なパターンを示す。これは,赤外吸収を与える励起状態が,分子中の原子核の振動に関係するものであるために,その固有エネルギーが分子の構造のわずかな差異によっても敏感に変化するからである。したがって,赤外吸収法は,あらゆる種類の化合物(分子,結晶,イオン)の分析に適している。現在,数多くの化合物の赤外吸収スペクトルがデータバンクとして蓄積されており,コンピューターによる検索によって,スペクトルから未知化合物を同定することが可能となっている。赤外吸収スペクトルによる未知物質の自動定性・定量分析も近い将来実現するものと予測される。また赤外吸収スペクトルは,分子の置かれた環境にも敏感であり,状態分析にも適している。赤外領域での発光分光分析は,実験上の制約のため一般的でない。

ラマン分光分析Raman spectroscopic analysis

原子や分子の固有状態間の遷移を伴う光散乱は,この現象の発見者の名を冠してラマン散乱と呼ばれる(光散乱)。分子の振動状態の変化に対応するラマン散乱スペクトルは,赤外吸収スペクトルと同一の特性を有する。そのためにラマン散乱法は従来,赤外吸収法の補助的手段と考えられていたが,レーザーを光源に用いたレーザーラマン分光法の登場により,赤外吸収とは基本的に異なる原理に基づいた独自の応用分野が開拓されつつある。共鳴ラマン散乱法は,試料中の微量色素の選択的状態分析に有用である。CARS(コヒーレントアンチストークスラマン分光coherent anti-Stokes Raman spectroscopyの略)をはじめとする非線形ラマン分光法は,微量のガス分析や環境分析に応用されている。パルスレーザーを用いた過渡ラマン分光法を用いれば,1秒の100億分の1程度の時間でしか存在しない短寿命の分子の状態分析が可能である。また,ラマンマイクロプローブRaman microprobe法は,顕微鏡と組み合わせて,物質の局所分析に用いられている。

その他の分光分析法

γ線の吸収を利用したメスバウアー法は,鉄などの金属の酸化状態の分析に有用である。マイクロ波や電波の吸収は,NMR(核磁気共鳴)やESR(電子スピン共鳴)などの磁気共鳴分析に用いられる。電波望遠鏡で宇宙空間に存在する分子を探索することは,電波を用いた一種の発光分析であるということもできよう。→化学分析

浜口 宏夫