平凡社 世界大百科事典

気道から吐き出される粘稠性のある液状物質で,喀痰(かくたん)ともいう。そのおもな成分は気管や気管支の粘膜からの分泌液であるが,これに炎症や鬱血(うつけつ)などによる種々の細胞を含んだ滲出液や,外部から侵入した細菌や塵埃(じんあい)などの異物と吐き出す際に加わる唾液が混じっている。

 健康人では1日に約100mlの気道分泌液がつくり出されており,これらは気道粘膜の繊毛上皮細胞の繊毛運動によって,細菌やほこりなどの異物とともにたえず口腔に向かって送り出され,無意識のうちに食道に飲み込まれている。その輸送速度は,気管では2~3cm/min,気管支では0.25~1cm/minといわれており,末梢の気管支へいくほど遅くなっている。このように,気道分泌液の役割は,気道内に吸入して粘膜表面に沈着した細菌やほこりを包んで運び出して浄化するとともに,吸入する空気に湿度と温度を与えることによって,繊毛の働きを維持し,肺を守ることである。気管支の炎症などによって気道分泌液の産生量が増加し,しかも繊毛上皮の働きが悪くなって輸送能力が低下すると,気道分泌液は気管支内に停留する。ある程度以上たまると,気管支の異物除去作用の一つであるによって吐き出されることになる。これが痰である。

 気道分泌液は一種の粘液であり,その構成成分はおもにムコタンパク質とムコ多糖類からなるムチンと呼ばれるものである。これらを産出する細胞は気管支腺と杯細胞の二つであるが,気管支腺がはるかに大きな役割をしており,その比率は40:1といわれる。気管支腺を顕微鏡で見ると,健康人では漿液産生細胞(径約35μm)と粘液産生細胞(径約50μm)とがほぼ同数であるが,慢性気管支炎などでは圧倒的に粘液産生細胞が多くなり,しかも大きさが増す。気管支腺でつくられた分泌液は,導管を通して気管支粘膜の表面へ送り出され,繊毛上皮をおおう。

 気道分泌液が粘液であり,単なる水でないことは,繊毛上皮細胞による輸送を考えるうえでたいせつな点である。気道分泌物の物理学的性質は,ある程度以上の圧力を加えないかぎり流れず,また与える圧力と流れる速度とは直線状(比例)ではなく,曲線状である。このような性質があるからこそ,気道分泌液は,1秒間に10~15回といわれる繊毛のビーティングによって,あたかもエスカレーターで運ばれる固体のように輸送されることができるのである。繊毛上皮をおおう粘液は,上がゲル層,下がゾル層と二つの層に分かれている。しかし,現在のところ,これがどのような意味をもっているのか,また,この二つの層は化学成分が異なるのか,あるいは繊毛運動による単なるチキソトロピー現象であって,可逆的な変化をしているにすぎないのかは明らかでない。→喀痰検査

工藤 翔二