平凡社 世界大百科事典

意識の流れ

アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズの造語で,意識を静的,要素的なものとする考え方を否定し,意識を〈流れ〉としてとらえるべきことを主張した。19世紀末から20世紀初めにかけて,人間意識の深層に対する興味が強まり,西欧文学の手法としての〈意識の流れ〉が用いられはじめる。ウィリアムの弟ヘンリー・ジェームズの小説には,この手法の片鱗がみとめられる。それは19世紀の心理主義小説とは異質のものである。たとえば恋愛心理の複雑な屈折や陰影をいくら精密に分析・表現しても,それは〈意識の流れ〉の文学にはならない。なぜなら前者は行動の動機としての心理に興味を向けるのに対し,後者は人間の内的世界それ自体の,一見不可解な〈流れ〉を追い続けるからである。1887年にフランスの作家エドワール・デュジャルダンが《月桂樹は切られた》でこの方向を模索しているが,それが完成されるのは1920年代のイギリス小説においてである。ジェームズ・ジョイスの大作《ユリシーズ》(1922)は,ダブリン市内を徘徊する中年のユダヤ人レオポルド・ブルームの1日を追って,彼の心に浮かぶ〈よしなし事〉を書きつづる。それはめんめんたる〈内的独白〉のかたちをとり,〈意識の流れ〉の手法の典型となった。またこれほど徹底していないけれど,バージニア・ウルフの《ダロウェー夫人》(1925),《灯台へ》(1927)などは,この手法の成果である。フォークナーの諸作品においても重要な効果をあげている。

川崎 寿彦