平凡社 世界大百科事典

スルタン

11世紀以後,主としてスンナ派イスラム王朝の君主が用いた称号。アラビア語で正しくはスルターンとよぶ。古代シリア語のシュルターナー(権力,権力者)に由来する。コーランではこの語は精神的・呪術的な権威を表すものとして用いられた。その後ハディースやアラビア語文献史料で政治的権威を示す語として使われ始め,11世紀以後になって王朝の支配者の称号として使用されるようになった。しかし,イスラム世界(シャー〉を使用した。

 オスマン朝におけるスルタン位は,1396年のニコポリスの戦の後,バヤジト1世がカイロにいたアッバース朝カリフの末裔からスルタン位を授けられたことに始まり,オスマン王家によって世襲された。その方法にとくに規則は存在しなかったが,事実上,16世紀末までは親から子,17世紀以後は一族の年長者によって相続が行われた。また,王位継承争いを防止するために,メフメト2世(在位1444-46,1451-81)は,即位後に〈兄弟殺し〉を合法化させた。しかし,17世紀初頭にアフメト1世は,これを廃止して王位継承候補者をトプカプ宮殿内の一室(ハレム)に隔離・教育した。このことはスルタンの行政能力の低下,軍人・官僚・ハレムなどの側近による執権政治への移行をもたらした。なお,1517年にエジプトを征服してアラブ世界を支配下に収めて以来,オスマン朝スルタンは,同時にカリフとしての資格を兼ね備え,その威光は遠く中央アジア,インド,東南アジアにまで及んだ(スルタン・カリフ制)。ただし,オスマン朝の年代記など文献史料では,スルタンよりも〈パーディシャーpādişāh〉〈ヒュンキャールhünkār〉がよく用いられた。しかし,勅令など公式文書では〈スルタンたちのスルタン〉を号した。オスマン朝ではこの称号は,1922年にスルタン位とカリフ位とが分離されて前者が廃止されるまで使われた。また,この称号は西アジア以外でも,東南アジアやアフリカのイスラム系王朝・首長国などでも,支配者の称号としてしばしば用いられただけでなく,さらに一般的にイスラム諸国の王家の一員,高官,学者,詩人,名士,神秘主義諸教団の長老などの固有名詞の前に尊号として付けられた。オスマン朝でもオスマン王家の女性たちの名に冠せられた。現代中東ではオマーンの君主がスルタンの称号を用いている。

永田 雄三