平凡社 世界大百科事典

サミット

主要先進国首脳会議。1973年の第4次中東戦争に際して,アラブ石油輸出国機構(OAPEC)はアメリカのイスラエルへの武器援助に対抗して,石油輸出禁止,石油産出削減,価格値上げなどの石油戦略をとった。この石油戦略が先進諸国に及ぼした影響は大きく,従来の先進国支配型の経済秩序をくつがえしてしまった。石油ショックからの立直しと,インフレの克服,当面の経済不況からの回復という緊急課題のもとで,フランスのジスカール・デスタン大統領の提唱で,毎年1回,先進国の首脳が一堂に会して,当面の課題についての自由な意見交換を行うことになった。第1回サミットは,75年11月パリ郊外のランブイエ城に先進6ヵ国(アメリカ,イギリス,イタリア,西ドイツ,日本,フランス)の首脳を集め開かれた(カナダは1976年から参加)。

 サミットは,当初,インフレの防止と着実かつ持続的経済成長の達成が目標であり,経済的側面の強い会議内容であった。しかし,79年12月ソ連軍のアフガニスタン侵攻後の第6回ベネチア・サミット(1980年6月)以来,80年代にはその内容に政治色を強めていった。ソ連のペレストロイカと新思考外交の推進,米ソ関係改善,東ヨーロッパ諸国の民主化革命の成功,ベルリンの壁崩壊などによって,冷戦構造の解体が進むなかで,第16回のヒューストン会議(1990年7月)からは,ソ連・東欧に対する対決姿勢を弱め,これらの諸国への経済支援が積極的に話し合われるようになり,サミットの存在意義が変容していく。91年7月の第17回ロンドン会議の終了後にゴルバチョフ大統領が招待されるまでになった。97年6月の第23回デンバー会議では,経済問題についてはこれまでどおり7ヵ国で話し合われたものの,ロシアが正式にサミットの一員として参加した。このG8体制の形成は,世界政治問題を含め,地球規模の問題群に対応することが必要となってきており,従来のG7の枠組みでは解決に向けた十分な有効性を発揮できないからでもあった。サミットに中国を加えてG9とすべきだとの声もある。→世界政治

星野 昭吉