平凡社 世界大百科事典

太陽

天体としての太陽

太陽系の中心に位置し,地球にもっとも近い恒星。平均的な恒星の一つであり,スペクトル型G2型の主系列星に分類される。太陽系の総質量の99.9%を占め,惑星その他の多くの太陽系天体を従えている。その放射する光や熱や風は惑星その他に種々な影響を与え,惑星の大気を作り,それを動かし,地球上にはついに生命を芽生えさせるに至ったのである。地球上に住むわれわれ人類にとっては,太陽は単なる一つの恒星ではなく,われわれの生活を全面的に支配するかけがえのない偉大な天体である。

見かけの運動

太陽は東から出て西に没する。次の日も同様である。しかしこの1日の間に太陽の位置はその背景,すなわち星空に対してほぼ1°東にずれている。これを重ねて1年経つと,太陽は星空を一巡することになる。実際には東へ,東へとずれるだけではなく,季節によってあるいは北寄りに,あるいは南寄りにもずれる。このように星空を背景にした太陽の描く軌跡が黄道である。黄道は天球に投影された赤道と23.°5の傾きで交わり,両者の交点が春分点と秋分点である。この傾きのために温帯では太陽の高度が夏は高く冬は低く,季節の変化が生ずる。同時に日の出,日の入りの方位も大きく変化し,日本では太陽は東西方向に対して30°も夏は北寄りに,冬は南寄りに出入する。このために夏は日が長く,冬は短い。春分の日や秋分の日はいわゆる昼夜平分の日であるが,実際は平分ではない。一つには地球大気の屈折作用のために,太陽はつねに多少浮き上がって見えており,日の出入の際にはその量が太陽の視直径をやや上回るくらいであるためである。さらに日の出入は太陽の中心が地平線と一致するときではなく,その上縁が接するときと定義されているからである。この二つの効果を合わせると,太陽の中心が視直径の1倍半余地平線下にあるときに,すでに日の出になることとなる。日本の緯度では,この効果は4分にも達する。すなわち春分,秋分の日には昼は夜より十数分も長いのである。

 もし太陽が天球上の赤道を毎日同じ速さで1°ずつ東へずれていくのならば,東経135°の地点ではつねに日本標準時の正午に太陽が南中するはずである。しかし実際には太陽が1°ずつ東へずれていくのは,赤道と23.°5傾いた黄道に沿ってである。春分点付近で考えると,黄道上で1°動いても赤道に沿っては0.°92しか動かない。これを何日も積み重ねるとその差は相当なものとなる。のみならず黄道上の太陽の速さは決して一定ではない。地球の軌道が楕円だからである。地球は太陽に1月にもっとも近く,7月にもっとも遠い。それに応じて太陽の動きは1月にもっとも速く,7月にもっとも遅い。その差は3%くらいである。このわずかな非一様さも積み重なると,その効果は大きくなる。以上二つの効果の結果として,南中時刻は1年を通じて複雑な変化をする。2月中旬には平均より14分遅く,11月上旬には16分も早くなる。これが均時差である。このため,例えば日の出のもっとも遅いのは1月上旬,日の入りのもっとも早い時期は12月上旬であり,ともに冬至の日には一致しないというような一見矛盾したことが起こる。

 太陽を望遠鏡で観測すると,たいていの場合黒点がいくつか見える。毎日観測を続けると,黒点が太陽の表面を東から西へ移動していくのがよくわかる。太陽は自転しているのである。さらによく調べると太陽の自転軸は黄道面に垂直ではなく約7°傾いていることもわかる。傾きの方位は9月の初めに地球から太陽の北極がもっともよく見える方向である。黒点の観測から自転周期を求めてみると,黒点は赤道に近いほど短い周期で回っていることがわかる(表)。すなわち太陽は剛体の球のように自転しているのではなく,赤道に近いほど速く回っているのである。これを赤道加速と呼ぶ。このように太陽はたえずねじれながら自転しているので,その体内にはたえず歪が蓄積されていく。この歪のエネルギーが太陽活動に重要な意味をもつのである。

距離,質量,その他の諸量

太陽と地球の平均距離は1天文単位と呼ばれ,天文学上重要な定数の一つである。天文学の場合測距の基本は三角測量である。ところが太陽の場合,直接三角測量をすることは容易ではない。それは地球上に十分長い基線をとれないからである。そこで太陽に比べてもっと近い惑星や小惑星までの距離を測ったり,その他いろいろなことが試みられてきた。しかし最近のレーダー測距の進歩によって,金星までの距離が,三角測量ではとうてい得られなかった高い精度で測定できるようになり,1天文単位=1億4959万7870kmと国際的に取り決められた。

 地球は太陽のまわりを1年の周期で公転しているが,太陽からどのくらい離れたところを公転するかはほぼ太陽の質量だけで決まり,地球の質量にはほとんどよらない。それは次のように理解される。太陽をほぼ円形軌道に沿ってめぐる地球には,地球の質量に比例した遠心力が働いていて,太陽から遠ざかろうとする傾向がある。この力は軌道が大きいほど大きい。この傾向を引きとめるのが太陽と地球の間に働く万有引力である。万有引力は太陽の質量にも地球の質量にも比例し,また軌道が大きくなるにつれて弱くなる。この2種の力を等しいと置くと,共通な地球の質量が消え,太陽の質量と軌道の大きさの関係が求まるからである。このようにして,1天文単位が決まれば,太陽の質量が万有引力定数を介して決まるのである。現在,国際的に1.9891×1030kgと取り決められている。

 同様に,太陽系のいろいろな公転周期をもつ惑星や小惑星の軌道の大きさは,共通して太陽の質量でほぼ決められているので,軌道の大きさの比は太陽の質量にほぼ無関係となり,公転周期の比だけで決められる。これがケプラーの法則である。すなわちわれわれは諸惑星の公転周期を知るだけでも,一応もっともらしい太陽系の模型を考えることができるのである。さらに進んで離心率その他の諸量を導入することによって,1天文単位の値は知らないでも,惑星の天球上の運動を高い精度で算出することができるのである。これを現実の太陽系にあてはめるには模型の縮尺を知ることだけが残されている。その縮尺を決めるのが,例えば地球と小惑星エロス,あるいは金星との間の距離の測定であり,これがわかれば,模型について計算された距離の相対値から,直ちに地球と太陽の平均距離が求まるのである。

 1天文単位の距離から見た太陽の視半径は16.′0であるから,実半径は1天文単位の約1/200,69万6000kmである。これは地球の半径の109倍に相当する。太陽の質量は地球の33万倍であるから,太陽の表面重力は地球の28倍,平均密度は地球の約1/4,1.41g/cm3である。平均として水よりも比重が大きいのに,太陽全体がガス体であるのは,非常な高温のためである。

太陽定数

気温の日変化や年変化は太陽と地球上のある地点との相対位置の変化によるものであり,その間太陽の放射量自体はいっこうに変化していない。また黒点の増減による変化も微々たるものにすぎないことが長年の観測によって知られている。すなわち太陽の放射量は時間とともにほとんど変化しない定数と考えられる。習慣として,1天文単位の距離で,地球大気の外で,太陽光線に垂直な1cm2の面を1分間に通過する太陽放射のエネルギーをカロリーで表したものを太陽定数と呼ぶ。その最近の値は1.96cal・cm⁻2・min⁻1である。

 太陽の放射は赤色からすみれ色まで広がるだけではなく,赤外線や紫外線にも及び,おのおのの放射に対する地球大気の透明度が著しく異なるので,地上の観測から大気外の値を推定するのは容易でない。にもかかわらず長年にわたる観測から,太陽放射が定数と考えられるほど変化しないものであることが確立されており,その値が最近の地球大気外からの測定値とよく一致することが見いだされている。地球大気外からの観測では地球大気の透明度に対する補正の不確かさがないので,0.1%程度の微細な変化と太陽活動との関係をも調べることができる段階に入った。

 太陽を中心とし,1天文単位を半径とする球面のどの部分をとっても,1cm2当り上記のエネルギーが流出している。この全球面をよぎって流出するエネルギーの総量を考えると,それは太陽表面という球面についても同じはずである。ところがこの球面の面積は前の球面の約4万分の1である。したがって太陽表面の1cm2当りには,太陽定数の4万倍のエネルギーが流出していることになる。これに黒体放射の法則をあてはめて温度を求めてみると,5780Kとなる。これが太陽の有効温度である。

太陽のエネルギー源

太陽の内部に半径1/4の球面を考えよう。この球面をよぎるエネルギーの総量はいぜんとして太陽表面をよぎる総量と等しい。二つの球面にはさまれる部分ではエネルギーが発生していないからである。しかし,これより半径の小さい球面を順次考えていくと,エネルギーの総量はしだいに減少する。つまり半径1/4より内部の中心核でエネルギーが発生しているのである。ちなみに,太陽の中心では温度は1500万K,密度は水の160倍,圧力は2000億atmにも達する。中心核では宇宙でもっとも豊富に存在する水素の核,すなわち陽子がヘリウム核に変換される熱核融合反応が起こっている。1個のヘリウム核を作るのに4個の陽子が必要であるが,でき上がったヘリウム核の質量は4個の陽子の質量の和より若干小さい。この質量の減少がエネルギーの発生につながり,γ線の形で放射される。放出されたγ線は太陽の内部をかけめぐり,1000万年もかかって表面から光や熱として放出される。現在われわれは実に1000万年も前に発生したエネルギーの恩恵に浴しているのである。中心核での核反応の際ニュートリノも発生する。ニュートリノにとっては巨大な太陽もほとんど素通しである。2,3秒で表面に出て,8分後に地球に降り注ぐ。したがってその量を調べると,太陽の原子炉の現在の状態を知ることができる。実際観測された量は期待される量の数分の1である。この食い違いについては目下いろいろと検討が加えられている。

 上記の核反応によって太陽は毎秒500万tずつ質量を失っている。この割合できたとすると,太陽がほぼ現在の姿になってから現在に至るまでの45億年間に太陽は1/4000だけ軽くなったことになる。すなわち太陽のエネルギーは一応無尽蔵といえるのである。

太陽の一生

約50億年前に銀河のどこかにちりとガスからなる雲が漂っていた。雲には濃淡があった。濃いところがなぜかさらに濃くなり,そのちりやガスの相互間の万有引力がしだいに強まり,それらがかってな方向に動こうとするのを抑えて,まとまった集団となった。集団の収縮に伴って重力エネルギーが解放されて内部はしだいに暖まり,圧力が上昇し,収縮の歩みを鈍らせるが,いぜんとして収縮は進む。内部の温度がしだいに上昇して1000万Kに達すると,ついに水素の熱核融合反応に火がつく。太陽という星の誕生である。この原子炉の温度が何度に落ち着くかは,そこに発生した高温高圧によって支えなければならない星の質量によって決まる。質量が大きいほど原子炉の温度は高くなければならない。太陽の場合それは1500万Kである。

 現在,太陽では4個の陽子から1個のヘリウム核を作る反応が起こっているが,粒子の個数が1/4に減ることによって,中心核の圧力が減る傾向が生じている。中心核が押しつぶされないように,太陽は温度を上昇させることによって,圧力の減少を自動的に防ぐ。このためエネルギーの発生量は増加し,太陽はしだいに明るくなり,また膨張していく。計算によると100億年後には明るさは現在の2倍に,半径は1.4倍に増すはずである。

 この時点で今まで燃えていた水素が中心部からまずなくなり,もえかすのヘリウムがしだいに中心部にたまってきて,原子炉は球殻状の層をなして,次々とより上層の水素を食っていくこととなる。この段階に入ると太陽は急速に大きくなり,明るさは現在の500倍に,半径は100倍にもなる。ただし表面温度は下がって赤い星となる。赤色巨星である。やき尽くされてどろどろになった地球から見ると,赤い太陽が空を覆わんばかりの大きさで輝いているであろう。ここまでくると,今までの燃料であった水素はまったく底をついて,もえかすのヘリウムが内部を満たす。燃料切れになった太陽の内部はどんどん重力で収縮し,その結果温度が上昇する。温度が1億Kに達すると今度はヘリウムに火がつく。この反応は激しく,爆発的であり,太陽はおそらくその何割かの質量を失うことになる。身軽になった太陽の中心は適当に冷えてしばらくはヘリウムが穏やかに燃える。しかしやがてヘリウムも底をつき,次の燃料に火がつくというようなことを重ねて,これまでと同じくらい激しいいくつかの変動を経て,多量の物質を消耗して,惑星状星雲になり,白色矮星(わいせい)となる。質量は現在の半分に,半径は1/100に減り,原子エネルギーはすっかりなくなり,高温のために白く輝くが,その明るさは1/1000くらいにすぎない。太陽はやがて光を失った小さな天体となってその生涯を閉じるであろう。

対流層

太陽の内部のうち,半径を単位として1/4より内部は原子炉である。そこから外へ向かって7/10に至る層は安定で,エネルギーは放射の形でゆっくりと外へにじみ出していく。時間がかかるのはガスが極度に不透明で高度の保温材であるからである。温度はしだいに下がって7/10の層では200万Kくらいになる。温度が低くなるとガスの保温力はさらに増加して温度の降下率が大きくなる。一般的に,大気の中で仮にある気塊が上昇したとすると,周囲の気圧が低下するために,気塊は膨張して温度が下がる。その下がった温度が周囲よりもし高かったとすると,その気塊は熱気球の原理で上昇を続けるであろう。半径7/10より外の層ではまさにこのようなことが起こっている。これを対流層と呼ぶ。ここでは水素(あるいはヘリウム)が電離されるかされないかの状態にあり,気塊の昇降に従って電離の潜熱が放出されたり吸収されたりして,気塊の温度変化を鈍らせるために,対流の傾向が助長されるのである。対流層では内部からのエネルギーは対流運動に乗って外へ運び出されるが,この対流運動は上層の大気に大きな影響を与える。対流層は太陽表面近くまで広がるが,最後の,深さ数百kmより上層の大気ではエネルギーは再び放射の形で流出する。

光球

太陽はガス体であるのではっきりした表面をもっているわけではない。可視光で見える大気の部分を光球と呼ぶ。大気を垂直に見下ろした場合,見える深さは数百km程度である。これは太陽半径の0.1%にも満たない深さである。大気を斜めに見通すともっと浅い層を見ることになるので,太陽の中心から遠ざかるに従って,われわれはより浅い層を見ていくことになる。事実,太陽は一様な明るさではなく,周辺に向かって暗くなっている。これを周辺減光と呼ぶ。このことから光球の中で温度がどのように分布しているかを知ることができる。最下層から最上層へと,温度は6400Kから4300Kへと減少し,圧力は0.1atmから0.001atmへと下がる。太陽定数から求めた有効温度5780Kは実はその中間に位する。太陽表面の中心における放射の波長分布は約6000Kの黒体放射のそれに近いけれども,若干の有意義な差が認められる。これは大気の不透明度が波長によってわずかに異なるために,波長によって異なる層を見るためである。同じような事情は波長別の周辺減光にも現れる。このようにして得られた不透明度の波長変化はわずかで,地球大気のように夕焼けや青空を現出するような著しい変化ではない。吸収の主役は中性水素原子に電子が1個余分についた水素の負イオンである。

 太陽放射の波長分布をもっと詳しく調べると,上記の連続スペクトルに何千という多数の吸収線があることがわかる。これがフラウンホーファー線である。これらは種々の元素に固有のスペクトル線であり,吸収の強さを測ることによって,光球のモデルに基づいて,元素の量を導き出すことができる。その結果,ヘリウムを除けば,光球大気はほとんど水素で構成されていて,わずか1/1000がその他の多数の元素で占められていることがわかる。このようにして導き出された元素の存在比は恒星から求められたものともほぼ一致し,宇宙を理解するうえにも重要な役割を果たす。

 吸収線が現れるのは,吸収線の波長の光に対して光球がとくに不透明だからである。光球がまさにその波長の光を吸収する元素を含んでいるのであるから当然であろう。不透明だから浅いところまでしか見えない。そこでは温度が低い。したがって吸収線の波長の光はその両脇の波長の光に比べると弱く,あたかも吸収されたように見えるのである。このようなわけで,スペクトル線の解釈からも光球のモデルが検討できる。光球のモデルは,エネルギーが放射の形で流出しているという放射平衡と,大気が静水平衡にあるという仮定から,今までに述べた種々の観測に合致するように導き出され,ほぼ完成の域に達しているといえよう。

 黒点や粒状斑が光球のほぼ全面を覆っているのが認められる。これらは1000km程度の大きさのふぞろいな多角形の構造であり,そのおのおのは8分くらいの寿命をもっている。スペクトル写真をとると,フラウンホーファー線はまっすぐな直線ではなく,ドップラー効果のためにジグザグに見える。このことは粒状斑の気体が1km/s程度の速さで,その中心部で上昇し,縁で降下する運動をしていることを物語っている。このように粒状斑は光球のすぐ下にある対流層の最上層に達した気塊の運動のありさまを表していると考えることができる。

 さらに太陽大気は規則正しい振動もしている。太陽面上の任意の一部の領域について,スペクトル線のドップラー効果による偏移を長時間観測することによって,太陽の全面が,数千kmから数万kmにわたる種々な大きさの領域に分かれて,大きさに応じて平均5分くらいの周期で振動していることが判明してきた。この振動は対流層まで含めた大気が一種の楽器のように特有の音色を発していると見ることができる。したがって振動を詳しく調べることは対流層を打診することにつながり,地震波によって地球内部の診断ができるのと同じように,太陽の内部についての手がかりが得られると考えられている。事実対流層の底は今まで考えられていたよりずっと深く,半径の7/10まで達していなければならないし,またそれより中の太陽の部分は表面よりも速く自転しているのではないかというような考えも出始めている。

彩層

皆既日食のとき,太陽が月に隠されていき,ダイヤモンドリングが消えた途端に,接触点に近い月の周囲に沿って紅に輝く薄い層が見える。これが彩層である。10秒も経つとこの薄い層は月に隠されて見えなくなり,スピキュール(針状体)と呼ぶ。これらも太陽の表面では多数の短い暗条として認められる。

 さらに単色像には太陽面が粗い網目模様で覆われているようすが見える。網目の大きさは3万km,すなわち,太陽の直径の1/40くらいの大きさである。おのおのの網目の中心から周に向かって1km/s足らずの水平方向の流れがあり,周では2km/sくらいの速さでガスが降下している。つまりこれも対流運動である。よってこれを超粒状斑と呼ぶ。超粒状斑の周はよく見ると微小な明点の密集地帯であり,スピキュールも集まっていて,あたかも磁力管が水平方向の流れで周へ掃き寄せられたかのように見える。おのおのの超粒状斑は1日も経つと識別がつかなくなる。

 皆既日食のときに撮れる彩層のスペクトルは輝線スペクトルである。それは背景に光球がないからである。この輝線スペクトルは光球の吸収線スペクトルの明暗を裏返したようなものである。すなわち,光球の強い吸収線は彩層でも強い輝線として現れる。励起の状態に大差がないためである。つまり温度が光球の延長上にありとくに激しい増減がないことを物語っている。しかし例えば光球では認められないヘリウムの線が強く現れることなどから,上層へ向かって高温のコロナへの移行が始まっていることが想像される。おおまかにいうと,彩層の温度は下から上へ,5000Kから8000Kへと上昇し,圧力は1万分の1atmから100万分の1atmへと減少する。

 彩層に現れるもっとも劇的な現象はフレアである。典型的な例では,単色像で見ていると,プラージュの一部が数個の斑点状に,見る見るうちに非常に明るくなり,点がつながって2本の紐状になり,紐の間隔が広がり,やがてゆっくりと数十分かかって明るさが元に復する。時を同じうして太陽電波に種々なじょう乱が生じ,X線が増加し,地球上では電離層に異常が起こり,デリンジャー現象が起こる。さらに1日余おくれて極地方にオーロラが現れ,地磁気あらしが起こる。この現象は単色像でもっとも観測しやすいのであるが,本質的にはコロナに蓄えられた磁場の歪みのエネルギーが解放される現象と考えられているので,後出〈太陽活動〉の章で詳述する。

コロナ

皆既日食の際光球が月に完全に隠されたときに,白色に輝く光芒状の光冠が見える。これがコロナである。明るさは光球の100万分の1でほぼ満月の明るさである。その99%はそれ自身の発光ではなく,光球の光がコロナの自由電子によってほぼ直角の方向に散乱されたものである。したがって色は白く,かつ偏光している。たいへん希薄で1億分の1atm,密度にすると実験室で到達しうる最高の真空度に相当する希薄さである。

 コロナは太陽の縁から遠ざかるにつれて明るさを減じ,半径くらい離れたところで1/200に減光し,前景にある黄道光の明るさがその半分を占めることとなる。黄道光は惑星間空間に分布するちりによって太陽の光が散乱されたもので,これも白色であるが,この方向では偏光していない。そのスペクトルは光球のスペクトルそのもので,多数のフラウンホーファー線が認められる。これをFコロナと呼ぶ。いわばにせのコロナである。これに対して太陽のコロナは同じ散乱光であっても,7000km/sにも達する自由電子の激しい熱運動のためにドップラー偏移が著しく,フラウンホーファー線はほぼ完全にかき消されて一見連続スペクトルのように見える。よってこれをKコロナと名づける(以後コロナと呼ぶ)。

 コロナの可視光の明るさの1%はコロナ自身の発光であり,輝線から成り立っている。これらは十数個の電子を失った鉄その他の元素によって放射される。以上の諸特性からコロナは100万Kをこえる高温にあることがわかった。メートル波で太陽を見ると,希薄なコロナすらたいへん不透明でコロナだけしか見えないが,電波の観測もコロナの高温を示唆している。

 可視光の輝線は総量がわずかであるが,それは輝線の線幅が狭いからであり,輝線の波長の光では連続光の何十倍も明るいものがあり,活動領域ではもっと明るい。高山に設置されているコロナグラフはこの事情を利用したもので,いわばコロナ輝線の単色像を常時観測するための装置である。

 彩層が光球の延長程度の温度であるのに,それに接しているコロナが100万K以上の高温であるのは意外であるが,実はその間をつなげるたいへん薄い層があるのである。このことは,地球大気外からの観測で,数万Kから数十万Kにわたる種々な温度で発光する,種々な電離度のイオンの輝線が多数観測されることによって確かめられている。しかし,境界層のある場所や形状についてはまだ定説がない。

 太陽内部から外に向かって温度がしだいに下がってきたのに,その外のコロナで温度が急増するのはなぜか,現状では十分具体的な説明がなされていないけれども,対流層の運動のエネルギーが磁場を介してコロナに流れ出す過程で,イオンや電子の運動のエネルギーに変換される,すなわち熱化される結果であると考えられている。

 コロナの輪郭は黒点の極大期と極小期で異なり,前者では円に近く,後者では赤道方向に扁平な楕円形になる。いずれにしても輪郭は単純ではなく,多数の光芒から成り立っているように見え,しかも幾本かの顕著な光芒,ストリーマーが長く伸びているのが認められる。また低いところではアーチ形の構造が随所に見られる。これらはすべてコロナの磁力線に沿った構造なのである。コロナは高温であるために,その最外層のガスを引力で引きとめておくのがむずかしい。そのためにコロナからは絶えずガスが流出していると考えられている。事実人工衛星からの観測で,地球付近で数百km/sというガスの流れがあることが知られている。これが太陽風である。さらにこの風は間欠的に強くなり,それが,地磁気のじょう乱と同じく,27日の周期である期間繰り返されることが判明している。

 地球大気の外からX線で太陽の写真を撮ると,光球は低温のためまったく見えないで,温度の高いコロナの全貌がとらえられる。すなわち,コロナの俯瞰図が得られる。こうした図形において,コロナにはときとして巨大な欠損部があることが発見された。これがコロナホールである。上記の間欠的に強い太陽風の根もとを逆にたどると,実はこれらのコロナホールに行き着くのである。コロナホールから流れ出したとくに強い太陽風が,太陽の自転につれて27日の周期で地球に吹きつけられるのである。おそらくコロナホールでは磁力線がアーチ状ではなく外へ射出した,ガスやエネルギーが流出しやすい形をしていて,下からの運動のエネルギーが十分に熱化されないまま,強い太陽風として宇宙空間に放出されるのであろう。事実コロナホールでは温度も密度も周囲よりやや低いのである。

太陽活動

太陽活動は11年を周期として盛衰を繰り返す。これをもっとも端的に表すのが黒点相対数である。黒点は3000ガウスという強い磁場をもっていることがスペクトル線のゼーマン効果から知られている。黒点はふつう東西に並んだN極とS極の対として現れるが,極性の東西関係は南北半球で逆であり,また11年ごとに南北の極性関係が入れ替わる。したがって太陽活動の周期は22年であると考えるほうが妥当である。

 黒点の強い磁場は太陽自転の赤道加速によって作られる。太陽内部に南北方向に磁力管が横たわっていたとすると,自転につれて低緯度の部分が先回りして,磁力管はしだいに東西方向に寝ていき,伸ばされて,太陽の周に鉢巻のように巻きつくことになる。磁力管が伸ばされると断面は小さくなり,磁場は強くなる。磁場を含んだ気体は磁場の圧力をもつために,周囲の気体より密度が小さい。したがって浮き上がる傾向をもっている。東西に引き伸ばされた内部の磁力管の一部はこのようにして浮上する。磁力管の一部がコロナまでもち上げられたと想像すると,光球面に磁力管の断面が1対の黒点として現れるであろう。

 黒点の根は深く対流層にまで達している。一般に電離されたガスは強い磁場を横切って運動することができない。動くためには磁場を引き連れて動かなければならない。したがって黒点の直下では対流運動は強く抑えられる。そのために内部からのエネルギーの流出が少なく,温度が低く,周囲に比べて暗く,黒点として見えることになる。対流層の深いところでいわばふたをされた結果,内部からのエネルギーはそのわきを通って外へ出てくる。黒点のまわりの白斑やプラージュ領域には,こうした余分のエネルギーがばらまかれているのであろう。太陽内部では磁力管は気体の運動のままに振り回される。磁力管をこねまわす気体の運動は上記の赤道加速だけではなく,もっと複雑なものである。粒状斑や超粒状斑に象徴される運動もあれば,太陽を数葉の子午面で分割した超特大の対流運動も考えられる。いずれにしても,内部の磁力管の束はきれいなそうめんの束のようなものではなく,曲がったり,ねじれたり,ささくれ立ったりしたぼろぼろの古縄のようなものになっているであろう。このような縄の一部が光球を貫いて上昇していくと,その断面はきわめて複雑な様相を呈するであろう。これが黒点の複雑な形やその時間変化に対応しているのである。

 コロナに押し上げられた磁力管はもはや気体にもてあそばれない。コロナが希薄だからである。ここでは気体が磁力管のあるがままに,それに沿ってしか動けない。新しく浮上した磁力管はすでにコロナを埋めている磁力管との間に新しい力の均衡状態を見いださなければならない。この葛藤(かつとう)の間に磁場の歪みとして蓄えられていた莫大なエネルギーがときおり爆発的に解放されるであろう。これがフレアである。

 フレアの発火点はコロナの中にあり,ループ状の磁力管の頂点である。その温度は数千万Kに達し,鉄の原子を例にとると,そのもっている26個の電子のうち,1個または数個を残してほとんどはぎ取られた状態にあることが,地球大気外からのX線の観測からわかっている。ここで発生した高速粒子は磁力管に沿って降下し,彩層や光球をたたいて,光のフレアやγ線バーストを発生したりする。さらに彩層からは多量のガスがループ状の磁力管の中に蒸発して,そこからもX線が放射され,やがて末期にはループ状紅炎を形成する。ループは単一ではなく幾本もあり,低いものから順次高いものへ着火していくと考えられている。またループの根もと付近からは加熱の衝撃でサージと呼ばれる高速の紅炎が噴出することがある。発火点からは太陽電波のマイクロ波バーストが発生し,そこから派生したコロナのじょう乱は,センチメートル波およびメートル波領域でいろいろな種類のバーストを起こす。これらのあるものはコロナに発生した衝撃波の波面で励起されたプラズマ振動によって放射され,あるものは高速の電子が磁場にまつわりつくように運動することによって放射され,またあるものは電子が高速でコロナの外へ出ていくようすを示す。

 太陽の自転は黒点で調べると赤道加速があり,周期が緯度によって27日から30日まで変化する。それにもかかわらず,太陽面上の活動領域を長期間にわたって観測すると,その持続性がよく,自転の何周期にもわたって,太陽面のある経度に固定しているように見える。この矛盾は例えば次のように解釈できる。太陽内部には太陽を数葉の子午面で縦切りにしたような大規模な対流運動があり,それが自転の影響を大きく受ける結果,ガスは低緯度では速く高緯度では遅く流れることとなり,ガスに乗せられた黒点は赤道加速を示すと考えるのである。またこのような大規模なプラズマの流れが磁場を引き連れて動いていると,電磁流体発電の作用が発生し,太陽全体の磁場がゆっくりと変形を受け,11年あるいは22年の太陽活動の変化を生ずることも可能であると考えられている。

太陽と恒星

太陽はその明るさ,表面温度,大きさ,質量のいずれを考えても,平均的で平凡な恒星にすぎないのであるが,そのために両者には多くの共通点がある。恒星はどんなに近いものでも点にしか見えないが,太陽は見かけの大きさが大きく,表面を詳しく観測できる唯一の恒星である。事実太陽を詳しく研究し,恒星を広く調べることによって太陽と恒星の物理学は進歩してきたのである。

 太陽に彩層があるように,恒星にも彩層がある。しかも太陽よりもっとりっぱな彩層が多数の恒星にある。これらの星でカルシウムのK線の吸収線中心部に現れる輝線がそれを物語っている。これらは表面温度がどちらかといえば太陽よりも低い星であり,太陽よりもっと大きく希薄な巨星や超巨星であることも多い。これらの星は太陽と同じく対流層をもっており,その副産物として彩層をもっているのである。輝線の幅から想像される彩層の運動の激しさは,主系列星から,巨星,超巨星へと増大していく。これは同じ表面温度を達成するためには,希薄な大気ほど,対流運動が激しくなければ必要なエネルギーを運び出せないという事情と合致している。また多くの恒星が太陽活動の11年周期に似た周期的な変動を示すことも明らかにされつつあるし,フレアも多くの恒星で見つかっている。

 コロナもまた恒星にある。地球大気外からのX線の観測から推測されるのである。コロナの高温は対流層の運動のエネルギーが熱化されるためであると考えられてきたので,太陽よりも低温の,彩層をもった恒星で,コロナを引きとめるに足る表面重力をもつ主系列星にだけ存在すると想像されていたのであるが,最近のX線の観測で,もっと高温の星にも,また巨星や超巨星にもコロナが存在することが確かめられ,従来のコロナについての考え方に大きな修正を迫られている。→フレア

末元 善三郎

太陽神話

太陽については事実上どの民族も何らかの神話や信仰をもっているといってよい。しかし,19世紀末に唱えられたような,すべての神話は太陽神話であるというのは明らかにいきすぎであって,太陽と無関係な神話も多い。

起源と運行

太陽の起源についての神話のおもなものは,(1)地上から投げ上げられた物体が太陽になった,(2)地上の人間が死んで太陽となった,(3)原初の巨人の目玉が太陽になったの3種がある。(1)の型は月についても語られることが多く,また世界の採集狩猟民に広く分布し,人類文化史的にみて古いものと思われる。例えば,中央カリフォルニアのガリモメロ族によれば,原初の暗黒のとき,鷹とコヨーテは可燃性のボールを2個集めた。鷹はこれらをもって天にとび上がり,火打石の火花で火をつけ,太陽と月になった。(2)の型は農耕民に多いが,採集狩猟民にもある。ポリネシアのハーベー諸島の神話は,太陽と月はもともと1人の子どもだったが,両親により二つに切断されて天に昇ったものという。(3)の型は世界の古代文明地帯とその影響圏に多い。中国の原初の巨人盤古(ばんこ)が死んで,その左目が太陽,右目が月になったのもその一例である。《古事記》に,伊邪那岐(いざなき)命が黄泉(よみ)から帰ってみそぎをしたとき,左目を洗うと天照大神(太陽),右目を洗うと月読命(月)が生まれたとあるのも,この形式の変種である。

 太陽は天を横断して毎日運行している。運行のしかたとしては次の3種が広く分布している。太陽が(1)鳥として,(2)舟に乗って,(3)馬車に乗って運行する。(1)の型は分布がきわめて広く,古いものと思われる。太陽の中に3本足のカラスがいるという中国の観念もその一例である。(2)の型は古代エジプトにもあったが,東アジア,東南アジアでは金属器時代に盛んになったものらしい。例えばベトナムの青銅器時代から初期鉄器時代のドンソン遺跡の古式銅鼓における上部表面中央の星形は太陽を表し,周囲の人物や動物も太陽と同じ方向に回って,それぞれ太陽またはその属性を表し,銅鼓の側面に表された舟は,太陽を乗せた舟であるというコラニM. Colaniの説がある。日本でも,松本信広によれば福岡県珍敷塚(めずらしづか)古墳の壁画に描かれた舟は太陽の舟であるとされる。(3)の型はインド・ヨーロッパ語系の諸族の世界に広く見られるほか,古代中国にも波及していた。古代ギリシアでは太陽は戦車に乗って天かけると信じられていたので,ロドス島民は戦車と4頭の馬を毎年太陽にささげ,その用に供するために海に投げこんだ。つまり,太陽は1年間の運行で,その馬も戦車も使いつぶしてしまうと考えられていたのである。中国の《淮南子(えなんじ)》天文訓によると,羲和(ぎか)という女が6頭の駿馬のひく馬車を御し,この馬車に太陽を乗せて天空を運行するのだという。また太陽の運行は,月の運行としばしば関連づけられる。カフカスのグルジア族の伝承によると,神が兄と弟にどちらか一方が昼の天体(太陽)になり,他方が夜の天体(月)となるように命じた。決められた日に早く起きたほうが太陽となるよう取り決められた。兄は早起きして太陽となり,母は寝坊の弟息子に腹をたて,パンをこねる粉のついた手でそのほおを打った。こうして月の斑点ができた。南アフリカのカフィール族によれば,月が欠けるのは,月がいつも太陽に追いかけられて,くたびれると生ずる現象である。

 太陽の正常な運行は人間の生活に秩序を与えてくれる。しかし,かつては太陽の運行があまり速くて困ったので,ある英雄が太陽にわなをかけて,その速度を遅くしたという形式の神話が,ポリネシア,北アメリカなどに分布している。日本ではむしろ,太陽があまり速く沈むので,田植が1日で終わらないことを心配した長者が太陽を招き返したが,この無礼なふるまいの罰として没落させられたという伝説が,鳥取県の湖山(こやま)長者その他について語られている。また,多数の太陽が(ときには多数の月も)天にあったため,暑すぎたり昼間ばかりだったりで,困った人間が太陽(月)を一つだけ残して,あとはすべて射落としたという神話は,中国を中心としてシベリアの一部,東南アジア,北アメリカ西部に分布している。ブリヤート・モンゴル族の神話によると,ブルハン・バタン神は一つの大きい太陽と二つの小さい太陽を作り,いっさいのものを焼きつくそうとした。神は名射手カラ・エルヒェ,ミルゲンを呼び,三つの太陽すべてを射当てられるかと問うた。射手は射当てられると約束し,失敗したら手足の親指を切断し,まだ創造されていない動物に変身して,地下に6ヵ月暮らすと誓った。神が真ん中の太陽を隠してしまったので,射手は約束どおりモルモットに変身した。古代中国の羿(げい)も射日英雄である。太陽が隠れてしまったため,人々がこれを引き出して秩序を回復した神話は,アッサムから中国南部,さらに北アメリカ西部に広く分布しており,日本の天の岩屋戸神話もその一つである。

日食と太陽崇拝

日食の起源についての神話や観念は,(1)怪物が太陽をのみこむ(月をのみこめば月食),(2)太陽が病気になるため,(3)太陽と月が夫婦で,2人が性交したりけんかするためなどの諸形式がある。例えば,太陽が怪物にのまれて日食が生ずる形式は東南アジアにも多いが,アッサムのクキ族の一派,アナル族に次のような神話がある。むかし牝犬を飼っている信心深い男がいたが,太陽と月はこの男が徳をもっているのをうらやみ,だまして徳を奪って天に逃げた。聖者は愛犬に泥棒を追いかけて捕らえるように命じた。犬は長い棒をもってきて,犬と聖者はこれを登っていった。しかし聖者が天に達する前にシロアリが棒の下の部分を食べてしまったので,聖者は天から落ちて首の骨を折って死んでしまった。しかし犬は聖者よりも敏しょうだったので,ひと足さきに天に達し,今に至るまで太陽と月を追いかけまわしている。ときに牝犬が彼らを捕らえることがあるが,そのときに日食や月食が起きる。するとアナル族の人たちは天の牝犬に向かって,〈放してやれ,放してやれ〉とどなる。日食や月食が超自然的なネコ科動物,ふつうジャガーが襲うため生ずるという信仰は,南アメリカの諸民族(ユラカレ,モホ,チキート,グアラニ,インカなど)に分布している。

 日食や月食が,太陽や月が病気になったり,気絶したり,死んだために生ずるという民族は,スマトラのミナンカバウ族,アフリカのコイ・コイン,南アメリカのアラチカノ族などの例がある。日食や月食を夫婦関係で説明する例は,太平洋のタヒチ諸島,ドイツのオーバーファルツの農民などにあるが,西アフリカのフォン族もその一つである。フォン神話によれば,原母ナナ・ブルクはマウとリサの双生子を生んだ。マウは月で女,夜を支配して西に住み,リサは太陽で東に住んでいた。最初,日月が別々のところに住んでいたときには2人の間に子どもは生まれなかったが,しまいに日月食のときに太陽と月はいっしょになった。だから今でも日食や月食があるとマウとリサが性交しているのだといわれる。その変種として,東南アジア大陸部では,次の形式の神話がある。太陽と月は兄弟あるいは姉妹だったが,その下にもう1人弟か妹がいる。この下の弟(妹)は行いが悪い。上の2人は死後,太陽や月になったが,下の弟(妹)は死後,怪物になった。日月食はこの弟(妹)のために生ずるという形式の神話である。日本の天の岩屋戸神話はこの形式に入る。

 太陽崇拝は,採集狩猟民の世界にも見られることもある。北海道のアイヌは日食や月食のときに,大地を踏みとどろかせ喚声をあげて光の神の危急を救おうとした。しかしアイヌはふつう太陽神や月神に木幣(ヌサ)をあげることはほとんどない。ただ釧路と十勝の一部では,もっとも太くてりっぱな木幣を選び,その表面に太陽の形,裏面に雷神の形を刻むことがある。この太陽の形を刻む地方では,湖沼に生えるヒシの実が重要な食料で,秋にヒシの実が実るときの祭りに,太陽神に木幣が供えられる。ザバイカル地方のツングース族では,太陽は下位神の中ではいちばん尊いので,しばしば至高神と混同されるほどである。狩人は獲物をとると,太陽に向かっておじぎをし,短い祈禱(きとう)をあげて,その頭蓋を木につるす。また遊牧民のブリヤート・モンゴル族のように,太陽と月にはそれぞれ女神が住んでいるが,どちらも人間に対して好意的だから,とくに崇拝することは不必要だと考える民族もいる。

 一般に,太陽崇拝が盛んなのは古代エジプト,古代インカ,現代ではインドのドラビダ諸族,東部インドネシアなど,かなり高度に発達した文化をもつ民族に多く,かつ王権と太陽祭祀が結びつくこともしばしばである。太陽の女神,天照大神を皇室の祖神とする日本もその一例である。南アメリカでは太陽崇拝はインカ帝国で発達しており,太陽は王家の祖先神とみなされていたし,またインカ帝国は征服した諸民族にも太陽崇拝を強制した。インカの支配領域のいたるところに,太陽神のための神殿が建てられたが,帝国の首都クスコの太陽神殿では,太陽は巨大な黄金の円盤で表されていた。ところが古代ペルー以外,南アメリカには太陽崇拝の例はきわめて少なく,多くの場合,太陽は単なる神話中の登場人物の1人(月とともに双生子と考えられることも多い)にすぎなかった。

大林 太良

錬金術,占星術と太陽

古代において統一と神性の象徴とされた太陽は,西洋のシンボリズムの体系の中で重要な位置を占めている。ギリシア神話でヘリオス,アポロンと同一視される太陽は,錬金術では金属位階の最高にある両性具有とみなされる。また,金属変成の最初の困難な段階とされる〈黒化〉の象徴として,〈黒い太陽〉が用いられることもあった。この過程における物質は,金属が純化され黄金となって復活するための準備段階として,死,腐敗の状態にあり,すなわち光り輝く太陽の反像と考えられたからである。(図)

 占星術では,太陽は活力の象徴で,吉位にある場合は長寿と健康,富と名誉を保証し,勇気,誠実,善意などの性質を授けるが,逆に凶位に立てば,失意,苦難,病気,零落をひき起こす。また,自然を大宇宙(マクロコスモス),人体を小宇宙(ミクロコスモス)とみて,両者の間に対応関係を設定する占星術的医学では,太陽はおもに心臓を支配する。なぜなら,心臓は人体の内部に刻印された太陽であり,地球内部の黄金に対比されるからである。その他の支配部位としては,目,脳髄,神経,身体の右半分が振り当てられている。→

有田 忠郎
図-太陽
図-太陽
表-太陽の自転周期
表-太陽の自転周期