2010年1月8日、日本の人気スター・マッチこと近藤真彦が、親交の深かった故・梅艶芳(アニタ・ムイ)の七回忌追悼のために香港を訪問。メディアの取材を受け、「今でもアニタのことを気にかけている」と語った。
03年夏に子宮頚がんと宣告されたアニタは、会見を開き闘病を続けながら芸能活動の継続を発表。コンサートを開催するなど精力的な活動を続けていたが、同年12月30日に帰らぬ人に。享年40歳だった。
マッチは「03年7月19日の僕の誕生日に、アニタは日本に来て僕を祝ってくれた。数年ぶりに会ったけれど、病気のことは知らなかったし、元気そうに見えた。亡くなって初めて、彼女が病に冒されていたことを知った」と語り、「アニタは本当に偉大な人。スーパーウーマンだ!」と偲んだ。死の知らせを旅行先のハワイで聞いたというマッチは、04年1月12日に香港で行われた葬儀に出席。「アニタの死を受け入れることはできず、信じられなかった。葬儀の日は一日中泣いたよ」と当時を振り返った。
そして、「アニタは僕にとって親友であり、妹でもあり、師匠でもあった。そして確かに、交際していた時期もある」と恋人関係を認めたマッチ。1986年に交際をスタートしたが、1年も続かない短い恋だったという。「彼女の魅力は、男っぽい豪快なところ。兄弟のような感覚で、何でもストレートに語り合えた。コミュニケーションは英語と日本語でとり、東京でのデートは数々のレストランやバーを巡り、ショッピングを楽しんだよ。幸せでいい思い出ばかり」と微笑み、「歌にかける情熱と、友達を思いやる気持ち。アニタは本当に素晴らしい人で、そんな彼女を愛していた」と明かした。
03年夏に子宮頚がんと宣告されたアニタは、会見を開き闘病を続けながら芸能活動の継続を発表。コンサートを開催するなど精力的な活動を続けていたが、同年12月30日に帰らぬ人に。享年40歳だった。
マッチは「03年7月19日の僕の誕生日に、アニタは日本に来て僕を祝ってくれた。数年ぶりに会ったけれど、病気のことは知らなかったし、元気そうに見えた。亡くなって初めて、彼女が病に冒されていたことを知った」と語り、「アニタは本当に偉大な人。スーパーウーマンだ!」と偲んだ。死の知らせを旅行先のハワイで聞いたというマッチは、04年1月12日に香港で行われた葬儀に出席。「アニタの死を受け入れることはできず、信じられなかった。葬儀の日は一日中泣いたよ」と当時を振り返った。
そして、「アニタは僕にとって親友であり、妹でもあり、師匠でもあった。そして確かに、交際していた時期もある」と恋人関係を認めたマッチ。1986年に交際をスタートしたが、1年も続かない短い恋だったという。「彼女の魅力は、男っぽい豪快なところ。兄弟のような感覚で、何でもストレートに語り合えた。コミュニケーションは英語と日本語でとり、東京でのデートは数々のレストランやバーを巡り、ショッピングを楽しんだよ。幸せでいい思い出ばかり」と微笑み、「歌にかける情熱と、友達を思いやる気持ち。アニタは本当に素晴らしい人で、そんな彼女を愛していた」と明かした。