信楽焼きは天平時代、聖武天皇が造営に着手した紫香楽宮(しがらきのみや)の瓦に始まるといわれている。そしてたぬきの置物イコール信楽焼きのイメージが定着したのは実は意外と最近のことなのだ。
そもそもたぬきの置物は昭和26年昭和天皇が信楽行幸の折、「おさなどき あつめしからになつかしも しがらきやきのたぬきをみれば」と歌を詠まれたのがきっかけで全国的に有名に。年に数十万というたぬきが信楽で生まれ全国へと散っているとか。最近ではオーダーメイドで自分だけの着せ替えたぬきを作ってもらうこともできる。
信楽焼きの窯元である大谷陶器によると30センチくらいの大きさのものであれば2万円くらいからお願いできるとのこと。サイトではお医者さんと看護婦さんが紹介されているが、どんな衣装でもOKとのこと。以前、関西電力からの注文で関西電力のマークをつけてペンチやドライバーを持った関西電力たぬきを作ったこともあるそうだ。この他にもHPにはガイコツのランプとか焼酎サーバーなど色々な製品が紹介されていておもしろい。
そんなほのぼのとした温かみを持つ信楽焼だが、驚くべきことになんとかつて兵器を作っていた時代もあったのである。
昭和19年、第二次世界大戦も日本の敗色濃厚となった頃のこと。
全国の鉄材は兵器や軍需物資用に供出されたがそれでも鉄材は足りない。そんな時、焼き物で戦争に尽くすことができたら、と当時の信楽焼き関係者は陶器での兵器作りを軍に進言。「陶器製の地雷なら金属探知機にもかからない。それに耐水性もあり効率が良い。鉄材も不要で好都合である」と陶器による利点を挙げた。
さっそく飛散テストが行なわれたがテストではポン、という低い音ともに白墨を散り巻いたような爆風をわずかにでる程度。
現在でもその実物は残っているものの、多くは割られ土中に埋められてしまったとか。ぬくもりのある焼き物にはやっぱり兵器は似合わないということなのかもしれない。(こや)