「プロ経営者」が会社を変えたが、その立役者が去るため株価が急落した。

 タカラトミーは11月7日、ハロルド・ジョージ・メイ社長が12月31日付で退任すると発表した。

この発表を受けて大量の売りが殺到。翌8日は一時、13%安の1628円まで株価が下げ、11%安の1658円で取引を終えた。11月1日に年初来高値(1927円)をつけていただけに、投資家の反応は速かった。その後も株価は低迷。12月15日の終値は1517円である。

 メイ社長の株式市場での評価は高かった。
2014年3月に副社長兼COO(最高執行責任者)に就く直前の株価は安値が437円(14年2月17日)。翌15年6月、社長兼CEO(最高経営責任者)に就任。在職中の株価の最高値は17年11月1日の1927円である。3年半あまりの間に株価を4.4倍にした。

 構造改革を実施し、収益を改善した経営手腕が高く評価されたわけだ。メイ氏の功績が大きかっただけに、引き続き社内改革を継続できるのかとの懸念から株が売られたという図式になる。


 18年1月1日付で、小島一洋副社長が社長に昇格する。1983年東京大学教養学部卒、三菱商事に入社。08年、三菱商事の子会社で企業投資ファンド、丸の内キャピタルの執行役員に就任。09年から資本提携したタカラトミーの社外取締役を経て、17年に副社長になった。

 タカラトミーの業績は順調だ。18年3月期の売上高は前期比6%増の1770億円、営業利益は49%増の115億円、純利益は30%増の70億円の見込みに上方修正した。
前期にあったオーストラリアの事業関連の減損損失がなくなったことから大幅増益となる。国内ではテレビアニメと連動した「ベイブレード」など、玩具の販売が好調だ。

 メイ氏は「改革の道筋が立ち、自分の役割を果たせた」ことを退任の理由としている。

●海外事業の失敗で苦境に

 2006年、トミーとタカラが経営統合してタカラトミーが発足した。トミー創業家の三代目、富山幹太郎氏がタカラトミーの初代社長に就いた。07年、グローバル化を目的に米投資ファンドTPGと資本提携し、ベトナムで生産拠点を立ち上げた。
さらに、09年に丸の内キャピタルと資本提携した。

 10年3月期と11年同期には最終利益89億円を計上したが、その後は低迷が続いた。相次ぐファンドとの提携も不発に終わり、13年3月期は経営統合後、初めて最終赤字(71億円の赤字)に転落した。海外事業の不振が原因だった。

 11年、米玩具メーカー、RC2コーポレーション(現トミーインターナショナル)を520億円で買収した。買収をもちかけたのはTPGだった。
タカラトミーの経営陣は買収に反対したが、富山社長は「親父を超えたい。米国にトミーの旗を立てたい」と主張して社内の反対を押し切った。

 だが、米国の玩具業界は、日本とはまるで違っていた。宣伝広告を一方的にFAXで送りつけられたとして、ユーザーからの集団訴訟に発展。14年に10億円の和解金を支払う破目に陥った。

 14年12月、タカラトミーはTPGとの資本提携を解消。
TPGが保有する4%強の株式を29億円で買い戻した。74億円のCB(転換社債型新株予約権付社債)も買い取って消却。海外事業が不振のタカラトミーにTPGは見切りをつけて撤退したかたちだ。TPGとの提携で富山氏は高い授業料を払った。

 タカラトミーは、「トミカ」「リカちゃん」が定番商品だが、バンダイナムコホールディングス(HD)の「妖怪ウォッチ」関連の玩具の大ヒットに押され、男児向け玩具で苦戦した。国内・海外ともに苦境に陥った富山社長が、再生の切り札として招いたのがハロルド・ジョージ・メイ氏だった。ヘッドハンティング会社を通じてスカウトした。

●メイ氏流の改革の成果

 メイ氏は1963年、オランダに生まれた。71年、8歳の時、父親の仕事の関係で、一家で横浜に移住。父親の転勤で、13歳でインドネシアに移った。米ニューヨーク大学大学院を修了後、「幼いころ育った日本で働くことにした」と語っている。メイ氏は流ちょうに日本語を話す。

 87年、オランダのビール会社の日本法人、ハイネケンジャパン(現ハイネケン・キリン)に入社。その後、日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)、サンスターを経て、2006年、日本コカ・コーラに副社長兼マーケティング本部長として入社した。

 14年3月、タカラトミー社長の富山氏に迎えられ、副社長兼COO兼海外事業統括本部長に就任。翌年15年6月の株主総会で代表取締役社長兼CEOになった。

 ハイネケンから現在に至るまで、新ブランドの立ち上げや育成・強化、プロモーションを行ってきた。ブランド構築を得意とするマーケティングのプロだ。

 社長1年目に手掛けた商品改革が、着せ替え人形「リカちゃん」のブランド力の向上だ。子ども向けの商品ラインに加えて、母親世代の大人向け新ブランドを打ち出した。初回生産分の1000体をわずか3日で完売した。空港にガチャガチャを設置したり、さまざまな企業とのコラボレーションを実施し、ライセンスビジネスに力を注いだ。その結果、「リカちゃん」など定番商品は見事に復活した。

 15年7月、メイ氏は大きな賭けに出た。ベーゴマ型玩具「ベイブレード」の新作を発売したのだ。ベイブレードは、シリーズで累計出荷台数が3億5000万個を超えている。パーツを組み替えて改造できるバトル専用コマを新たに売り出した。16年11月からアニメを放送した効果で、米国を中心に販売が伸びた。

「妖怪ウォッチ」の生みの親で人気ゲームの企画を連発するレベルファイブと提携してゲーム連動型の玩具に参入。今年の夏から、レベルファイブプロジェクトの家庭用ゲーム「スナックワールド」の関連玩具の販売を開始した。

 この間、組織を大幅に削減し、管理職の顔ぶれを刷新した。海外の不採算商品からの撤退、さらには海外事業で減損損失を計上するなど大ナタを振った。

 その結果、タカラトミーの業績は回復した。とはいえ、ライバルであるバンダイナムコHDの18年3月期の売り上げの予想は6200億円、営業利益は570億円、純利益は400億円だ。売り上げ約3.5倍、営業利益約5倍、純利益約5.7倍と大きな差があり、その背中はまだまだ遠い。
(文=編集部)