米海軍の原子力空母ニミッツが8月24日、神奈川県横須賀市の米海軍横須賀基地に入港した。目的は「物資の補給や乗組員の休養」(ジョン・ミラー司令官)としているが、同基地を原子力空母の拠点として強化するための一環とも見られている。

 これに対し各左翼団体は敏感に反応。日本共産党が組織する「原子力空母配備阻止神奈川県闘争本部」らは、入港当日の早朝6時から横須賀市の観音崎公園に集結し、東京湾に入るニミッツに「出ていけ」「帰れ」とシュプレヒコール。小型船を使った過激な海上行動で知られる反米団体「ヨコスカ平和船団」も、今回も2隻のボートで海上から抗議活動を行った。

 一方、こうした反米運動を冷めた目で見る現地住民も少なくない。市内で雑貨店を経営する50代の男性は、「あの船団(ヨコスカ平和船団)はアメちゃんには抗議するけど韓国の駆逐艦は黙認する。平和団体じゃなくて反米組織でしょう」と懐疑的。

同じく50代のタクシー運転手も「デモするのはいいけど渋滞が起こって大変。米軍よりそっちが大迷惑」と手厳しい。40代の女性スナックオーナーは「よくも悪くも横須賀はアメリカと共存してきた文化と歴史がある。そこらの事情も知らずに出て行けといっても......」と困惑の色を隠さない。

 とにもかくにも米軍の巨大空母は横須賀に入港を果たしたわけだが、そのニミッツ乗組員約120名が26日、同市三笠公園に保存されている戦艦「三笠」の塗装や清掃などのボランティアを行い、地元の話題を集めた。東郷平八郎司令長官が乗艦した戦艦「三笠」は、明治38年の日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を撃破し、海戦史上例を見ない圧倒的な勝利に貢献したことで知られる名鑑のひとつ。

しかし、戦後は連合軍の進駐により、マストや各砲、煙突、はては内部のシャンデリアや家具類までもが撤去され、見る影もなく荒廃していた。

「三笠」建造時の乗組員と親交のあったイギリスの貿易商、ジョン・ルービン氏は、昭和30年に来日した際に「三笠」の惨状を知って深く悲しみ、帰国後「ジャパンタイムス」にこのことを寄稿。記事は大反響を巻き起こし、「三笠」復元の機運がアメリカから起こるという事態に。そして、生前の東郷平八郎の優れた人間性に深く心酔していた米海軍司令官、チェスター・ウィリアム・ニミッツ提督をはじめとする米海軍の協力や、これに後押しされた日本政府の支援、一般からの募金などにより、「三笠」は昭和36年に現在の姿に復元されたのだ。復元後、ニミッツ氏は以下の一文を日本人に寄せている。

『東郷提督の旗艦として名を残す三笠の復元を支援された全ての日本の愛国者へ "東郷提督を尊敬し、師と仰ぐ"米国海軍元帥 C.W.ニミッツ』

 空母ニミッツの名がニミッツ元帥から由来していることはいうまでもないが、今回のボランティアは「三笠復元の物語を知った乗組員たちが、いわばニミッツ氏の魂を引き継ぐ形で行ってくれました。

大変ありがたいと思っています」(三笠保存会=神奈川県横須賀市)とのこと。「約6,000名の船員にボランティアを募ったところ数百名が手を上げたため、掃除道具の数や三笠の規模を勘案して120名に絞りこんだと聞いています」(同)。

 現地で塗装作業をする船員たちに話を聞くと、A・ロッド似の屈強な20代男性は「よほど若い乗組員でもトウゴウの名前を知らない奴はいない。我々はみんな彼をリスペクトしているよ」との答え。めがねをかけた小太りの女性船員は「ペインティングをすることで彼ら(ニミッツ氏や東郷氏)の歴史と関われることは非常に光栄。日本人もこの艦を大事にしてほしい」としみじみ語った。

 こうした動きを左翼団体はどう考えるのか。先の「ヨコスカ平和船団」に聞いてみると、「ボランティア自体をどうこういう考えはない」としたうえで、「三笠」を保存して後世へ残すことについては「戦艦は軍国主義の象徴ですから、もし行政がそれを行うというのであれば当然抗議しますよ。子供たちにも悪影響です。ただ、三笠の場合は三笠保存会という財団法人が保存活動を行っていて、会員には遺族もいる。それを無下にやめろとも言えませんからねぇ」とのこと。

 日本の戦艦を敬愛するアメリカ人と、なくしてしまえという日本人。

あべこべのような気がしないでもないが、これも政権交代前夜における一つの現実か。ニミッツの"日本滞在"は28日までの予定だ。
(文=浮島さとし)



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