NHKの金曜夜の人気ドキュメント番組『ドキュメント72時間』に対し、こちらも根強いファンを持つ日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。10月6日の放送は「好きなことだけして生きていく 前編~元ニートの再々再々出発~」。
あらすじ
日本一有名なニートのpha。京都大学を卒業後、一般企業に3年勤めるも決まった時間に出社する生活がつらく、退職。2008年にシェアハウス「ギークハウス」を発足する。12年には『ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法 』(技術評論社)を上梓し、現在もシェアハウスで生活する。phaの知人で、京都で会社経営をするひらうがシェアハウス拡大のためのビル建設を提案するが、計画は自然消滅してしまう。またシェアハウスの住民、似非原(えせはら)は、ひらうからカードゲームの開発を依頼され途中までは熱心に仕事をするものの、興味がバーチャルYouTuberに移ってしまい、自然消滅してしまう。
穏やかで、高僧のようなphaの気質
phaたちの生活を見て思ったのは、「人と暮らせる能力」は生涯で支払うコストを大幅に削減できる、楽に生きるためのスーパースキルだということだ。人と暮らすことができれば家賃は大幅に削減できるし、それ以外の食費や光熱費だって割安になる。家賃の高い東京などの都市部なら、人と暮らすことで年間60万円は生活コストを減らすことができるだろう。
しかし、この「人と暮らす能力」はそう簡単なものではないから、スーパースキルなのだ。シェアハウスはここ10年程度で大幅に普及し、敷居は低くなっているにもかかわらず、一人で暮らす人のほうがまだまだ多いのも「人と暮らすのはストレスだから」が大きいのだろう。
phaや彼のシェアハウスで暮らす似非原などは、番組を見る限り「人と暮らす能力」が高い。皆オタクっぽさがあり、こだわりは強そうなのだが、一方で、こだわりが強い人が持ちがちな「気難しさ」や「怒りっぽさ」を彼らからは感じない。気難しいのも怒りっぽいのも、人と暮らすには不向きな気質だ。特に、phaはそれらをどこかに置いてきたかのように穏やかで、高僧のようですらある。
シェアハウス拡大のためのビル建設計画が「なんとなく」とん挫したときも、phaは一切悔しそうだったり、残念そうな表情すら見せず、淡々としていた。「やろうと決めたから石にかじりついてでも、とは?」 と番組スタッフが尋ねるのだが、phaは「ないですね。そういうのをやったら不幸になりますからね。やる気がなくなっているのに、やんなきゃいけないとか、そういう義務感でやると不幸になるので。
シェアハウスのメンバーの一員、似非原はカードゲームの開発を手掛けるのだが、興味の対象がバーチャルYouTuberに移ってしまい、カードゲーム開発も「なんとなく」とん挫する。それに対しても、「似非原はそういうところある」とphaをはじめ、シェアハウスの面々は淡々と受け止めていて、「受けた仕事は最後までやるべきだ」が一切ない。「こうあるべき」がないのだ。それがないから「気難しさ」も「怒りっぽさ」もなく、淡々としているのだろう。
「働きたくない。
しかしphaは、「普通に働く」ことをばかにしていない。自分たちはそれができない、とただ受け入れていて、“逆ギレ的な居直り”もなければ“卑屈さ”もない。ありのままなのだ。そんなphaは「(自分も似非原も)自分が楽しくなるのがメインになっているので、それだけだと持続しない。
「こうあるべき」という執着や、評価や金儲けのモチベーションがないphaたちは、それゆえにあっさりといろいろな機会を手放してしまう。シェアハウスを兼ねたビル建設計画も、カードゲーム開発の仕事も、そして、phaは長年続けたシェアハウス運営すらあっさりやめて、一人暮らしに戻るという。
phaたちの生き方を見て、「こうあるべき」の功罪について思いを巡らせた。「こうあるべき」の自縄自縛で苦しむ人たちには、phaたちのようにそれを手放して楽になるという選択肢が残っている。しかし一方で、「こうあるべき」はよりよく生きたいというエンジンや、頑張りの源にもなり、つまり薬にも毒にもなるのだ。用法用量を守り付き合っていきたい。
次週の『ザ・ノンフィクション』は今回の続編。『好きなことだけして生きていく 後編~伝説のシェアハウス解散~』。シェアハウス解散の様子と、その後のphaの生活について。
石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂