ここまで何回かバチカン銀行と“神の銀行家”ロベルト・カルヴィの死をめぐる複雑怪奇な金融スキャンダルについて述べてきたが、最後に、この事件を題材にした映画や小説などを紹介してみたい。

[参考記事]
●バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち -前編-
●バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち -後編-
●「ぜったいに知られてはならない」教会の秘密を守るバチカン銀行
●イタリア・フリーメーソンと「陰謀論者ロベルト・カルヴィの運命」
●バチカン銀行と陰謀論者ロベルト・カルヴィの死の謎

映画『ゴッドファ-ザ-PART3』

 1978年9月、新ローマ教皇ヨハネ・パウロ1世が在位わずか33日で急死すると、その直後からさまざまな陰謀説が唱えられた。

 その決定版となったのがイギリスのジャーナリスト、デビッド・ヤロップの『法王暗殺』(文藝春秋)だ。この本でヤロップは、膨大な取材に基づいて、清貧を旨とするヨハネ・パウロ1世がバチカンの綱紀を正そうとしたため、改革を嫌う反動勢力によって暗殺されたとの説を開陳した。

 ヤロップによれば、バチカンのナンバー2である国務長官ヴィロー枢機卿とバチカン銀行総裁ポール・マルチンクス大司教はフリーメーソンの秘密結社P2のメンバーで、新教皇はそれを知って2人の解任を決意した。その背後にはP2の創始者リチオ・ジェッリ、シチリア生まれの銀行家でマフィアの代理人でもあるミケーレ・シンドーナ、シンドーナの失墜後にバチカン銀行の利権を引き継いだロベルト・カルヴィらがいる。また与党キリスト教民主党の大物政治家ジュリオ・アンドレオッティ元首相や軍部情報機関、CIAなども事件に関与していた可能性がある。

 こうしたヤロップの「P2陰謀説」をそのまま映画に取り込んだのがフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザーPART3』(1990年)で、舞台をイタリアに移し、マフィアの頂点に立ったマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)の晩年を描いた。

 映画の冒頭で、マイケルは多額の寄付によってバチカンから叙勲される。ここで登場するアメリカ人のギルディ大司教のモデルは、バチカン銀行総裁のポール・マルチンクスだ。

 ギルディ大司教は、金融スキャンダルでバチカン銀行が7億ドルを超える巨額の負債を抱えたことで窮地に陥っている。マイケルはそれを利用して、バチカンが実質的なオーナーとなっている国際的な投資会社インモビリアーレの株式を6億ドルで買い取る取引を持ちかける。マイケルはマフィア関係の事業を清算し、多国籍企業のオーナーになることで、父ヴィトー・コルレオーネから譲り受けた使命を完成させようとするのだ。

 ところがインモビリアーレの取締役会が、マイケルによる買収を阻止しようと画策する。

取締役会にはギルディ大司教のほかに、銀行家のフレデリック・カインジックと政界の大物でマフィアのドンでもあるリーシオ・ルケージがいた。カインジックはアンブロジャーノ銀行頭取ロベルト・カルヴィ、ルケージはP2創始者のリチオ・ジェッリとキリスト教民主党のジュリオ・アンドレオッティ元首相をモデルにしている。

 マイケルはその後、バチカンでランベルト枢機卿と出会い、兄フレドを粛清した罪を告解する。新教皇に選出された直後に急死するランベルト枢機卿は、もちろんヨハネ・パウロ1世となったアルビーノ・ルチアーニのことだ。

「教皇暗殺」を知ったマイケルは、カインジック(カルヴィと同様にロンドンのブラックフライヤーズ橋に吊るされる)、ギルディ大司教(バチカン内で射殺)、ドン・ルケージ(殺し屋が眼鏡をこめかみに突き刺す)を次々と処刑するが、自身も相手の放った刺客に狙われ、最愛の娘(ソフィア・コッポラ)が凶弾に倒れる。娘の亡骸を抱えて天に咆哮するアル・パチーノの名演は印象深い。

 このように『ゴッドファーザーPART3』はイタリア現代史とヤロップの『法王暗殺』を下敷きにしているため、予備知識がないと物語の展開についていくのが難しい。これが前2作に比べて評価が高まらなかった理由だろう。アメリカの観客にとっても、ローマやバチカンの事件は他人事なのだ。

暗殺説への反論

 バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の脇に歴代教皇の墓所がある。地下の霊廟にはヨハネ・パウロ1世の名を刻んだ大理石の墓があり、巡礼団が必ず立ち寄る名所となっている。そこでは10代の少女までが「これが殺された教皇様?」と訊く……。

 暗殺説があまりにも有名になったことに困惑したバチカンは、教皇の死から10年を経てようやく反論を試みようとする。

 ジョン・コーンウェルは司祭を目指して神学校で7年間の教育を受けたが、悩んだ末に信仰を捨ててケンブリッジに進学し、新聞社に勤めた後、小説家として名声を得た。

 1987年10月、コーンウェルはバチカンの広報部長から驚くべき提案を受けた。教皇を含め誰にでも自由に取材していいという条件で、ヨハネ・パウロ1世の死の真相を調べてもらえないかというのだ。そのなかにはもちろん、これまで沈黙を守ってきたバチカン銀行総裁ポール・マルチンクス大司教も含まれる。内部調査では誰にも信用してもらえないのだから、中立で客観的な外部の人間に任せるしかないとバチカンの広報部長は決断したのだ。

 まるで小説の書き出しのようだが、これは実話だ。コーンウェルの調査結果は、『バチカン・ミステリー』(徳間書店)としてまとめられている。

 コーンウェルは関係者への徹底した取材によって、暗殺説の根拠とされていた謎を一つひとつ解いていく。その過程はとてもスリリングだ。

 ヤロップの『法王暗殺』では、教皇の遺体が午前5時半に発見されたにもかかわらず、葬儀屋は教皇庁から午前5時に呼び出しを受け、検死や解剖もせずに遺体は防腐処理されたと書かれている。この葬儀屋は、すべての真相を話す前に死んでしまったという。

 だがコーンウェルはかんたんな調査で、葬儀屋がまだ現役で活躍していることを突き止めた。葬儀屋は3人兄弟で、そのうち1人はたしかに死んでいた。だがヨハネ・パウロ1世の葬儀のためにバチカンに行ったのは生きている方の2人なのだ。

 この2人の証言は拍子抜けするほど単純だ。

 バチカンから呼ばれたのはその日の午後か夕方だ。教皇を検死・解剖しなかったのは特別な理由があったわけではなく、そもそも教皇の遺体を解剖するなどという発想はバチカンにはない。遺体は大聖堂で信者たちの弔問を受けることになるが、できるだけ早く防腐処理しないと崩れてしまう。すべては従来の手順どおり行なわれ、なにひとつ異例なことなどなかった。

 それではなぜ、ヤロップは葬儀屋が早朝にバチカンに呼ばれたと書いたのか? ここでコーンウェルは驚くべき事実に出会う。

 イギリス人のヤロップはイタリア語を話せず、イタリア人の関係者への取材は現地の調査員に任せていた。この調査員は葬儀屋に話を聞いたが、それは兄弟のうちバチカンに行っていない一人だった。彼は事情がよくわからず、「二人が呼ばれたのは早朝だと思う」と述べた。もちろんこの葬儀屋は死んでしまっているから、これが事実かどうかはわからない。確かなのは、ヤロップの調査員が葬儀を行なった業者本人の話を聞いていないことだ。

『法王暗殺』には、教皇が死んだ日の早朝、スイス人の衛兵がバチカン内でマルチンクス大司教に出会ったとも書かれている。ヤロップはこの証言をもとに、暗殺にマルチンクスが関わったと強く示唆している。

 だがコーンウェルがスイスまで元衛兵に会いにいくと、彼は『法王暗殺』に憤慨していた。ここでもヤロップは相手に直接取材せず、やって来たのは調査員だったという。

 衛兵が事件の朝、マルチンクスの姿を見かけたのは事実だ。ではなにが問題かというと、彼は毎朝その時間にマルチンクスを見ていたことだ。

 バチカン銀行総裁のマルチンクスは早起きで、いつもどおりバチカンにやって来た。そこにはなにも変わったことはなかった。だがヤロップの本では、その朝だけ、なにか特別な事情があって、朝早くバチカンに来たように書かれているのだ。

 ヤロップは『法王暗殺』で、ヨハネ・パウロ1世が健康体で、急死するのは不自然だと強調している。だがコーンウェルは、バチカンの医師や教皇の姪(彼女も医者だった)などの話から、教皇が血管の塞栓症を患っていたことを知る。血液が凝固して動脈や静脈に血餅ができる症状で、教皇になる前に網膜動脈の塞栓で目の手術をしており、バチカンに来てからは靴が履けなくなるほど踝が腫れていた。

 この血餅が肺動脈を塞ぐと、患者は予告なく即死してしまう。教皇の健康が優れないことはバチカンでは広く知られており、関係者が病死を信じたとしてもなんの不思議もなかったのだ。

ヨハネ・パウロ1世が服用していた薬とは?

『バチカン・ミステリー』の山場は、“陰謀”の当事者とされるバチカン銀行総裁ポール・マルチンクス大司教への事件後はじめてのインタビューだ。だがそれは、必ずしも読者の興味を満足させるものではない。マルチンクスは、バチカンはアンブロジャーノ銀行の破綻になんの責任もなく、「後援状」はたんなる善意で書いたもので、イタリア政財界やフリーメーソン(P2)との関係はすべてデタラメだと述べただけだからだ。なんの証拠も持たないコーンウェルは、こう断言されると引き下がらざるを得なかった。

 マルチンクスは、彼を直接知るひとたちのあいだではきわめて評判がよかった。「教皇のゴリラ」と呼ばれる巨体で、アメリカ人らしい率直なもの言いをする彼はバチカンのなかでは異質だったが、その一方でどんな頼みも断わらず、窮状にある者には同情の言葉をかけるだけでなく救いの手を差し延べた。「バチカン銀行を利用して私腹を肥やした」といわれるが、これも誤解で、晩年はアメリカの小さな教区で司祭としてつましい生活を送った。

 またコーンウェルは、事件当時、イタリアに派遣されていたFBI捜査官からの証言も得ている。捜査官は、FBIが組織を挙げてマルチンクスの疑惑を徹底的に調査したことを認めたうえで、犯罪の証拠はなにひとつ発見できず、「彼の潔白を確信している」と述べたのだ。

 コーンウェルの緻密な調査によって、暗殺説の決定版とされたヤロップの著作には重大な疑問があることが明らかになった。そのうえFBIがマルチンクスの潔白を保証してもいる。

 だがコーンウェルは知るゆえもなかったが、このときバチカン自身が内部調査によって、バチカン銀行とイタリア政財界との癒着やアンブロジャーノ銀行破綻の責任を認めていた。

 この事実は、コーンウェルの調査から20年を経て白日の下に晒されることになった。当時、バチカン銀行の問題処理を担当していたレナート・ダルドッツィ師が、遺言によって4000点に及ぶメモや文書をジャーリストに託したからだ。

 そこには、バチカン銀行がジュリオ・アンドレオッティ元首相をはじめとする有力政治家や財界人、フィクサーなどのために秘密口座を開設し、それがマネーロンダリングや贈賄に利用されていたことが証拠とともに示されていた。

参考:「ぜったいに知られてはならない」教会の秘密を守るバチカン銀行

 コーンウェルは『バチカン・ミステリー』で、ヨハネ・パウロ1世の死についてひとつの大きな謎を残している。

 先に述べたように、教皇は重度の塞栓症で、日常的に抗凝固剤を服用していなければ生命にかかわる状態だった。教皇の世話をしていた秘書や修道女も定期的に薬を飲ませていたと証言している。

 バチカン内には薬局があり、教皇居館の薬はすべて帳簿につけられている。コーンウェルが薬局に行くと、担当者はその帳簿を見せてくれた。

 だが不思議なことに、教皇の薬を記載した帳簿は、パウロ6世(ヨハネ・パウロ1世の前任者)のページからいきなり後任のヨハネ・パウロ2世へと飛んでいた。帳簿には番号が振られ、ページが切り取られた形跡もない。

 それでは、ヨハネ・パウロ1世が服用していたはずの抗凝固剤はどこから取り寄せたのだろうか。それがもし偽薬であれば、暗殺のような手段を使わなくても、教皇はいずれ病死しただろう。

 だがヴェネチア以来の教皇の侍医は、バチカンからの要請があるにもかかわらず頑として取材を拒否し、コーンウェルはついにこの謎を解くことができなかった。

松本清張もバチカンのスキャンダルを書いていた

 バチカンのスキャンダルを扱ったそれ以外の作品にもかんたんに触れておこう。

 ポルトガルの若手作家ルイス・ミゲル・ローシャの(新潮文庫)は、P2の秘密名簿リストを偶然手に入れ、生命を狙われることになった女性記者が、謎の男とともに悪の組織と戦う物語だ。ポルトガルらしく物語に「ファティマ第三の予言」を絡ませたところが工夫だが、小説としての出来ははっきりいって感心しない。

 もっとも著者のローシャは、これはフィクションではなく、「教皇暗殺」に直接かかわった人物の告白と、本人の日記や資料に基づいて書かれたのだと述べている。この証拠書類は、ヨハネ・パウロ1世の没後40年にあたる2018年9月29日午前1時に公開されるという。

 2008年カンヌ映画祭審査員賞を受賞した『イル・ディーボ 魔王と呼ばれた男』は、戦後のイタリア政治を操ったジュリオ・アンドレオッティ元首相の伝記映画で、政治家としての栄華を極めんとして大統領を目指したアンドレオッティがさまざまなスキャンダルにまみれて権力の座から失墜していく姿を描いている。

 いちばんの見せ場は、アンドレオッティがシチリアマフィアの大ボス、サルヴァトーレ・リイナと抱擁しキスを交わす場面。その場に立ち会っていたリイナの運転手が裁判で証言したため、アンドレオッティは窮地に追い詰められていく。

 とはいえ、これも娯楽作品としてはあまりお勧めできない。主役を演じるトニ・セルビッロは素晴らしい演技だが、イタリア現代史のかなりの知識がないとなんの話をしているのかまったくわからないだろう。

 あまり知られていないが、バチカンのスキャンダルを舞台にした小説に松本清張の『霧の会議』(文春文庫)がある。アンブロジャーノ銀行頭取ロベルト・カルヴィがブラックフライヤーズ橋に吊るされる場面を日本人のカップルが目撃し、P2の暗殺者に追われることになるという設定で、巨匠が“イタリアの黒い霧”に挑んだ。

 文庫本上下2巻で1000ページを超える大作で、せっかくの機会なので2日間かけて読んでみた。

 物語のベースになるのは、ヤロップの『法王暗殺』とラリー・ガーウィンの(新潮文庫)だ。清張独自の推理は薬で意識を失ったカルヴィを橋に吊るした方法だけで、それ以外は先行する2冊に書かれた「フリーメーソンの陰謀」が解説されている。

 1984年から2年間にわたる長期の新聞連載で、物語を破綻なく進めるために、事件の真相をあらかじめ明かしたうえで、登場人物が右往左往する様を描くという構成になっている。読者は真相をすべて知っているので、正直、読書の快楽はあまり感じられない。

 それにもかかわらず最後はまとめ方に苦慮したようで、主人公の一人(カルヴィの殺人現場を目撃した日本人女性で、カトリック信者でありながら大学の助教授と不倫旅行をしていた)がいきなりスイスの修道院に出家し、なんの説明もなく自殺してしまう。そのうえ彼女の遺骨を受け取った日本人ジャーナリストは、遺族に知らせることもなく、「このひとは日本に帰りたくないに違いない」と決めつけてその場で散骨してしまう。1000ページ読んでこの結末では、清張ファンといえども落胆するのではないだろうか。

 とはいえ、3週間におよぶヨーロッパ取材の後、松本清張が長期の新聞連載を始めたのは75歳で、その旺盛な執筆意欲には驚嘆するほかない。1980年代半ばに、ロンドンのシティ、モナコ、スイス、リヒテンシュタインなどヨーロッパのタックスヘイヴンを舞台にした作品を書いたのも巨匠の慧眼というべきだろう。

<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>

作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。