“著者はこの本のためではなく、10数年に渡って新幹線にまつわる文献を蒐集してきた。それがこの本に結びついている。
資料の数がパナイ”
と速水健朗も絶賛の『新幹線と日本の半世紀』(近藤正高/交通新聞社新書)がおもしろい。

〈はたして1億人の日本人は新幹線をどう迎え入れ、日常的に接するようになっていったのか。それについて、地域社会との関係、あるいは情報化や経済の動きなど、さまざまな切り口からたどってみたい。さらにいま、60億を超えるとされる世界の人びとに対し、新幹線はどんな役割を担おうとしているのだろうか?
本書ではそんなことを考えつつ、過去、現在、そして未来と、各時代における新幹線の姿を描き出すことができればと思う〉という「はじめに」を読んで、大きく出たなーって思ったら、本当にそういう内容が展開されていて、がうがう貪るように読んでしまった。

本書に出てくるエピソード群は、まあ、幅広い。
「タモリ上京に新幹線開通が影響を与えてる!」なんてエピソードも登場する。

ホテルの一室、盛り上がっている。たまたまドアの隙間からそれを見て、たまらず部屋に入ってしまうタモリ。
その盛り上がりは、ジャズピアニスト山下洋輔らの打ち上げだった。このとき仲間たちの注文にこたえて、タモリは次々と芸を披露。その後も、九州に公演に行くたびに打ち上げで一緒に騒いでいた。
タモリを東京を呼び寄せるため、山下らはスナックの客から金を募る。
ちょうど新幹線が博多まで開通した直後だったのだ。
それはまるで、タモリを上京させる為だけ作られたようではないか、なんて『ピアノ弾き翔んだ』というエッセイに書いているそうだ。

序章に登場するのは、1975年、イギリスのエリザベス女王が新幹線に乗るエピソード。
女王が来日した5月7日の翌日から10日まで、新幹線をふくむ国鉄全線でストが予定されていた。イギリス側からは「スト中にもかかわらず、女王ご一行のために、特別に新幹線を運転するようなことは避けてほしい」と言われている。さあ、女王の新幹線乗車予定日9日までにストは終わるのか?

東海道新幹線実現プロジェクトのエピソードも熱い。

戦後復興の段階を終え、経済成長期に入った1956年――。秘密裡に新幹線建設のための予備調査がはじまる。
「技術屋のおもちゃ」「世界の三バカ」などと新幹線計画が揶揄される中、政治、技術、資金不足などさまざまな問題を乗り越えていく過程、激動のプロジェクトが第一章後半で描かれる。
どう考えても一内閣の期間内でこのプロジェクトは完成しない。内閣が変わって「やっぱり止めた」なんてことになってはたまらない。では、どうするか?
そのために取った(しかも資金不足も補える)一石二鳥の秘策とは!?
熱い!
ぜひ、NHKは、この本を原作に「真プロジェクトX~新幹線編~」を5話連続で作るといいですよ、って提案したくなるぐらいである。


いや、実際に提案してみよう。

第1回「東海道新幹線、鉄道斜陽論を跳ね返す五年六ヶ月の軌跡」
オリンピック開幕直前、東海道新幹線開業の出発式をクライマックスに、そこに呼ばれなかった二人の功労者の功績と新幹線プロジェクトの運命を描く。

第2回「時速200キロ生中継、テレビマンが駆け抜けた3時間5分!」
東海道新幹線試運転をNHKが生中継した。この放送は、中継基地18ヵ所、飛行機1機、ヘリコプター2機、中継車10台、テレビカメラ40台、人員210人と大がかりな多元的生中継であった。
アナウンサー鈴木健二の「もしお宅のテレビにほんの一瞬でも何も映らない、あるいは真っ黒な画面が出たとしたら、それはテレビがスピードに負けたのです」という言葉から始まって、その生中継プロジェクトに迫る。

第3回「座席予約コンピュータシステムMARS」
実証済みの技術しか使わない方針であったために開業時に採用を見送られた座席予約システムMARS。
その開発と、導入までの道のりを描く。

第4回「情報化社会とディスカバー・ジャパンとシンデレラエクスプレス」
一大キャンペーンの企画秘話と、その裏側に流れる時代の変化。輸送からコミュニケーションメディアに変化していく新幹線の姿を浮き彫りにする。

第5回「新幹線は海外で走るのか?」
新幹線を海外に輸出しようという動き。イラン、台湾での輸出計画の苦戦と、米国市場参入への動きを紹介する。

東海道新幹線が開業したのは1964年。
その新幹線開業計画から未来までを描くドキュメンタリーは、1960年、1970年代生まれの人間にとってみれば、自分の人生をシンクロさせて、勇気を貰い、将来を考えるのにピッタリの題材ではないか。
『新幹線と日本の半世紀』は、とても冷静な筆致で書かれてるにもかかわらず、読み終わってちょっと興奮しているのは、どうしてもぼくの人生と重ねて考えさせる内容になっているからだろう。
というわけで、NHKさん、よろしくです。(米光一成)