昨年12月30日付の『信濃毎日新聞』に、驚くべき記事が載っていた。

同紙が県内小学校にアンケートを行ったもので、県歌「信濃の国」を「全校では歌わない」とする学校は、なんと87.5%!
その理由は、「長い」「内容が難しい」などのようだ。


ところで、なぜこの記事が驚きかというと……「長野県の人は、『信濃の国』を誰もが歌える」ということが、今では全国的によく知られているからだ。
『秘密のケンミンSHOW』をはじめ、テレビなどでよく取り上げられることがきっかけなのだろうが、たとえば、昨年7月30日の東京新聞においても「【TOKYO―首都圏―のわがふるさと】」において「長野(3) 県歌『信濃の国』 歌えない信州人はいない」という記事が掲載されている。
また、『新・不思議の国の信州人―すべては信濃の国から始まった』 (ワニ文庫) なんて本もあるほど。

自分自身、かつて会社員時代に、社長が長野県出身者だったことから、池袋の駅で社長と一緒に「信濃の国」を歌わされたことがあるし、友人の結婚式で「信濃の国」が流れるのを聞いたこともある。
実際、かつては「信濃の国を歌えない信州人はいな」かったのだろうけれど、実はこの衝撃的な記事が掲載される前にも、「学校ではいまあまり歌わない」ということが長野県在住の人たちの間ではすでに知られていたらしい。
たとえば、2005年頃のローカルニュースでは、「20代前半くらいから長野県の県歌である『信濃の国』が歌えるという人が少なくなっている」というニュースが報じられ、話題になっていた。

また、ウィキペディアの「信濃の国」項目でも、「昭和末期からは、長野県内でも『信濃の国』を歌わない学校が現れており、『信濃の国』を歌えない県民も徐々に増えつつある」とすでに記述されている。

ちなみに、今回、試しにヤフーで「信濃の国 歌わない」と検索したところ、こんな文言が。
「信濃の国 歌えない ではありませんか?」
そして、「私は歌えません」などと書いているブログも多数見つかった。
信州を離れているうちに、そして、時代も変わって、いろいろな事情が変わってきていたんですね……。

その一方で、「ケンミンSHOW」などの影響で、長野の様々な風習・慣習などが広く知られるようになったことによって、おかしな誤解も受ける機会が増えた。
たとえば、他県出身者によく聞かれる・言われるのは、こんな言葉だ。

「『信濃の国』って、100番ぐらいまであるんでしょ(※本当は6番まで)」
「『信濃の国』って、全部歌うと何十分もかかるんでしょ(※何十分もかかりはしない)」
「長野県の人はやっぱり南と北で憎み合ってるの?(※そんなことはない、と思う)」
こうした他県出身者からの誤解は、メジャーな地・大阪や名古屋などではもっと多いのだろうけど……。

誤解も変化も含めて、「信濃の国」や「長野の県民性」が全国的な知名度になったのだなぁと痛感します。
(田幸和歌子)