「東電の記者会見とかけて、それなら事故現場でやってくれととく。その心は「水掛け」が必要なのは議論じゃなくて原子炉です。
経営陣はすぐに現場でやって下さい!」(3/26)
「首都圏の方は買い占めはいけませんが、地域経済のためにも近所の商店で買い物してあげましょう。ボクもいろんな種類の「夜のおかず」を買い揃えてます」(3/17)
「明日から停電があるかもしれないので、少しでも明るくなるように金髪にしてます。世界中が日本をトップニュースで伝えてます。ボクもアメリカのメディアのインタビューを連日受けて、支援のお願いをします」(3/13)

デーブ・スペクターは当初Twitterをやる気がまったくなかったのだという。「用がある時は友達や仕事関係者に直接メールを送る」「関係ない人まで巻き込むことはない」「共同生活をしているつもりもないし、共同結婚式にも出たことがない」と否定していたからだ。だが時間が経つにつれて「テレビで言えないギャグ」や「文字でないと通じにくいネタ」を発表する場として使えるのではないかという考えも芽生えてきた。
否定と肯定の間で悩んでいたある日に遭遇した出来事が、彼の背中を後押しすることになったのである。

ーーそこである日突然。ま、サンデージャポンの出演後だからある日突然ではないが。うわべだけの付き合いの共演者と局近くのつけ麺店に行く事になりました。そして、後でわかったことですが、そのとき誰かが「デーブ・スペクターが赤坂でつけ麺なう」とツイートした。
どうでもいいだろう、どこで何を食おうと! と思ったら笑ってしまいましたが、一方的に言われるならばこっちもTwitterをやってやろうじゃないか! と夏の甲子園的なチャレンジ精神が湧いた。
(後略)

こうして「日誌的なことは書かず、すべてギャグか辛口ネタに限定」するという方針を定めてTwitterを開始したのである。2010年12月1日に初めて書いたツイートは「歌舞伎座では注文出来ない料理→海老いため」(言うまでもなく梨園の貴公子が起こした騒動を皮肉ったものだ)。しかしギャグ投稿のみを行うという方針は、まもなく大きな障壁につきあたってしまう。東日本大震災が起きたからだ。2011年3月11日に起きた大災害は、日本に深い哀しみをもたらした。地震と津波によって多くの人命が犠牲となったばかりか、福島第一原発事故という二次災害までが起きてしまった。
日本列島全体の動きが止まり、わずかな曙光も見えない日々が続いた。当然のことながら空気は重苦しく、ギャグが許される雰囲気など皆無である。しかし。

ーー中断する選択肢もあった。でもそれでは、好きではない「自粛」に服従することになってしまう。
ならば受け狙いではなく、なんとなく激励のような冷静なメッセージもあるような、批判するところは多少批判を入れつつの笑いがあってもいいかなと思って、微妙な隙間ではあるが「クールギャグ」というものが何気なく生まれました。


ギャグが「滑る」「寒い」という自虐の発言をデーブは震災前からしていたはずだ。自身を客観視できる冷静さと、どんなときでも心の潤滑油としての笑いを忘れてはいけないという思いが、Twitterでの活動を続けさせることになった。大震災後のTwitterでは、有効な情報も提供されるが人心を迷わすだけの流言、パニックに陥った人の妄想も垂れ流しにされる混沌の状況が発生してしまった。その中でデーブのクールギャグは、文字通り一服の清涼剤として作用したのである。「まさかデーブのギャグに救われることがあるなんて」と誰かがツイートしていたのを覚えている。同感だった。
そして「Twitterにデーブがいてくれてよかった」とも思った。そんな日が来るなんて夢にも思わなかったよ、デーブ。でも本当にありがとう。助けてもらったよ。
『いつも心にクールギャグを』は、デーブ・スペクターが東日本大震災後に発したツイートを内容別、テーマ別に編纂してまとめた本だ。冒頭に載せた3つのツイートはその抜粋である。
いわゆる時事ネタに属するツイートも多いので脚注でその内容が解説されているが、今ならまだ記憶も風化していないはずだ。注釈なしでいくつかツイートを引用する。

「その心意気に全面的賛成のお笑いコンビ→賛同一致マン」(3/19)
「東京の繁華街とかけて、総理ととく。その心は「かんさん」としてます」(3/24)
「最近急にテレビから姿を消したCMキャラ→出ん子ちゃん」(3/27)

こうしたツイートが次第に注目されるようになり、デーブのフォロワー数はうなぎのぼりに上昇していった。この原稿を書いている6月26日の段階で280658人。この数はそのままデーブに信頼を寄せた人の数だといっていいはずだ。ただしデーブは、ネットの影響には悪い面があることを強く意識していた。毎年、4月1日のエイプリルフールには、ネット上にもさまざまなジョークサイトが現れるのが常だが、2011年に限っては自粛気味であった。デマ情報となり、風評被害をもたらすことが懸念されたからだろう。デーブ自身が4月1日に行ったツイートはこうである。

「僕はいまの日本の状況が嘘であってほしいと思ってます。今日は4月1日ですが気の利いた嘘は何も言えません。被災地の一日も早い復興をお祈りします」(4/1)

ちなみに3月31日のツイートはこうだった。

「もう、東電や政府のことをネタにしません。というかギャグはもう言いません。あ、いけね、まだ3月31日だった!」(3/31)

4月2日はこう。

「実は僕はホントに埼玉出身で県立高校を2年の時に中退してます。あ、いけね、もう4月2日だった!」

だはは、いいぞデーブ!
 政府の対応の鈍さや東京電力の見せた醜態を皮肉るなど、諷刺で笑いをとりにいくだけではなく、震災によって生まれ育った地を奪われた人々を思いやるかのように、土地の方言や地名を織り込んだツイートもデーブは連発していく。故郷を大事にする思いを自分も共有したいと願ったからだ。

「福島の皆さん、希望を持って! 英語だと「Lucky Island」ですから!」(3/14)
「茨城県の復興も応援したくて…いつかきっと皆さんと「Hi Touch」=「常陸」がしたいです」(4/9)
「智恵子抄の「東京には空がない 福島にあるのが本当の空だ」という言葉は感動的です。早く美しい空が戻ることを祈ります。ちなみに僕の故郷には海がありません」(3/26)

この故郷が公式プロフィールのイリノイ州シカゴなのかどうかは疑問が残るところだ(イリノイ州は内陸部なので海には面していない)。なぜならば上のツイートにもあったとおり、デーブには埼玉県上尾市出身の日本人説があるからである。

「ボクはアメリカの昼のニュースに生出演するので、朝の4時に日本について話をします。こんなにいい国と人達はいないって、一所懸命に不得意な英語で話します」(3/14)
「今から午前4:30全米のニュース番組に生出演しますが(ギャラ無し)こういう時は英検一級を苦労してとってよかったと思います」(3/27)
「僕はこれからも日本にいて、日本のことを世界にずっと伝えたいと思っています。ただ僕の英語力ではうまいギャグがまだ言えませんm(_ _)m」(3/28)

本書に引用されている新聞記事によれば、デーブは米国の放送局から「なぜ、危険な東京に残っているの?」としつこく聞かれたという。それに対する答えは「今、逃げたらひきょう者だから帰国しない。船長が船を降りたらどうすんの? そんな心境です」だった。

「いま、日本にいる外国人に関東からの退避勧告が出ています。ボクは埼玉県出身の噂もあるので、東京にいながら世界中にメッセージを伝えます」(3/15)
「一部の大使館から、不要不急の滞在者は関東地方から離れるよう連絡されてます。でもボクはこう見えてジャーナリストなんで、リポートしないと」(3/15)
「昨日「僕は東京に残ります!」とテリー伊藤に言ったら「お前が行くところがないだけじゃないか!」と言われちゃった」(3/19)

ツイートを読めばその心意気は伝わるだろう。余計な言葉は不要だ。ただ一言だけ言わせてほしい。本当にありがとう、デーブ。
今年の夏もおそらく暑いだろう。デーブはきっとクールギャグを連発してみんなに涼を与えようと努力するに違いない。本書を読んで残念なことはただ一つ。デーブの熱いハートを知ってしまったあとでは、去年までのように冷ややかな気持ちにはきっとなれないということだ。

「今年の夏にブームになりそうなデザイナー→冷え〜る・カルダン」(5/12)
「正直、今年の夏はいささか不安なバンド→TUBE電力」(5/11)
「暑さを忘れる石田純一さんの格言→風鈴は文化なり」(5/14)

……いや、そんなことも……ないかな。
『いつも心にクールギャグを』はものすごくくだらないギャグが満載された、しかしちっともくだらなくない本だ。それぞれのツイートにはまったく意味がないし、おおかたは単なる駄洒落にすぎない。しかしその吹けば飛ぶような140字の言葉が、生きる勇気を与えてくれたことがあったのだ。少なくとも私にはその瞬間がやってきた。言葉にとって大切なのは必ずしも内容だけではない。それが発せられたということ自体が大きな意味を持つこともあるということを改めて本書には教えられた。自分が表現に携わっている職業であると認識している者にとっては、大きな励みとなる本でもある。素敵だぜ、デーブ!

「ボクは辛い時、坂本九さんの「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」を歌います。ただし、すごい音痴です」(3/17)
(杉江松恋)