スーパーの納豆売り場などを見ると、圧倒的に多いのは「小粒」。次いで「ひきわり」「極小粒」があって、「大粒」はごくわずかしかない印象がある。


でも、考えてみれば、「小粒」と銘打つからには、もともと標準に比べて小さかったのだろうけれど、「中粒」というのはあまり見かけない。
これだけ圧倒的に多いのであれば、「小粒」はもはや標準であり、「極小粒」を「小粒」と呼んでも良い気だってする。
なぜ納豆は「小粒」が主流になったのだろうか。全国納豆協同組合連合会に聞いた。

「歴史的に見ると、納豆はかなり昔から食べられていたことがわかっていて、室町時代には確実に文献に出ていますし、江戸時代の川柳にも出てきます。江戸時代など、社会インフラや冷蔵流通のシステムが整っていない頃は、納豆は、たたいて納豆汁にして食べるのが主流でした」

また、冷蔵ができない時代、夏には傷むことから、納豆の季語は「冬」にもなったと言う。

「たたいて納豆汁にするには、中粒から大粒にかけての大きさの納豆が用いられていました」
つまり、今の小粒よりも大きなものが主流だったのだと言う。

そのように、江戸時代には、域内でとれた中粒以上の大豆を加工し、域内で消費していたそうだが、転機が訪れたのは、明治時代。
「鉄道の開発とともに、水戸の偕楽園の駅で、納豆を売ったんです。それが、小粒で、ご飯にからみやすく、非常に美味しかった。また、昔の日本人は食事にあまり時間をかけなかったこともあり、たたく作業も不要になる小粒納豆が人気となり、東京に広まっていったんです」

そもそも水戸の納豆がなぜ小粒だったかというと、水戸に流れている那珂川が影響していたそうだ。
「水戸では那珂川が氾濫しやすいことから、米がとれなくなることがあり、早めに収穫できる大豆の栽培を奨励していました。
早めに収穫するため、小粒で、豆腐などにするにはあまりとれないことから、そのまま加工できる納豆にされていたのです」
水戸の小粒納豆は、もともと種類の違いではなく、早い時期に収穫する「早生」だったということのよう。

ご飯にからんで美味しく、たたく作業も要らない小粒納豆の人気は、戦後に冷蔵・冷凍流通が発達したところから、タカノフーズによって、一気に全国に広まっていった。
もともとは中粒以上で「汁」の用途が主流だった納豆が、「早生」で作られた水戸の小粒納豆に取って代わられ、ご飯にかけて食べるようになって久しい。

「小粒」は、市場のシェアの上では主流になった今でもなお「標準」ではなく、「小さい」からこそ良いのかもしれない。
(田幸和歌子)