マンガは「とにかく意味がわからなくておもしろいもの」を作れる。
これを証明した漫画家、吾妻ひでおの新作『カオスノート』は、一コマとして意味がないマンガです。


全部のコマが日記調になっており、必ず吾妻ひでお本人が登場しています。
「○月○日 散髪に行った」
「○月○日 そそぎ込まれる」
「○月○日 額に切手を貼って首から宛先をぶら下げ、ポストの横に座っていた」
淡々と描かれる日常は、一つとして日常ではありません。
サンプルはアマゾンで数ページ見ることが出来ます。

例えばぼくの好きなネタの一つはこれ。
「○月○日 鹿威しにタマゴの火を消される」
吾妻ひでおの頭の上に鹿威しがついていて、上から水が注いでいて、タバコの火が消える。
これ言葉で説明しても全然おもしろくない。
絵だからいいんだよ。
ぼくがこのネタを素晴らしいと感じたのは、その後ろにガラケーをいじっている女子高生が描かれていて、とてもかわいいからです。

「ナンセンス」な作品です。
しかしこの軽快な「ナンセンス」は、吾妻ひでおが、長い道のりを経てたどりついたからこそ生まれました。

●『不条理日記』の時代
吾妻ひでおを知っている人なら、このマンガを見て真っ先に『不条理日記』を思い出すはずです。
1978年から79年にかけて、今までギャグ漫画を描いていた作者が、SF雑誌「別冊奇想天外」と、自販機雑誌「劇画アリス」で描いた作品です。

SFファンでこのマンガを知らない人はほぼいない。
『不条理日記』は『アズマニア2』が最も入手して読みやすいです。

吾妻ひでおは『不条理日記』で大革命を起こし、当時のファンをうならせました。
・物語が存在しない
・表情と心理がつながらない
・セリフや書き文字に本来の意味が無い
・物体の意味が喪失している。
例えば、ヒツジが電気ミシンを生み、電気ミシンが電気ガマを生み、電気ガマが電気カミソリを産んだりします。
アミガサにとっつかれた吾妻ひでおが人を撲殺し、女性を襲ったりします。

昼が夜に来てなにがなんだかわからなくなったりします。
次から次へと意味を壊していく。

『不条理日記』には、SFのパロディがふんだんに盛り込まれていました。
たとえば、突然檻にとじこめられるネタは、トマス・M・ディッシュの『リスの檻』。太陽が自殺して夏が終わるのは、エドマンド・クーパーの『太陽自殺』。
ファンはこぞって元ネタ探しをしました。


『不条理日記 SF大会篇』では、「クルムヘトロジャンの「へろ」」という本がオークションにかけられているネタがあります。当然そんな本ないです。
これに対し、吾妻ひでおファンの知香舎が、本当に「クルムヘトロジャンの「へろ」」の翻訳本を、SF本体裁で作ってしまった。
吾妻ひでおいわく「だからSFファンのやることは恐ろしいというのだ!」

ぼくのようにSF全く知らない人間でも、なにがなんだかわけがわからないことが面白かった。
パロディとしての訴求力と、「わけがわからない」ナンセンスギャグを両立させたのが『不条理日記』でした。
「元ネタがわからなくても面白いんだ」と、とり・みきをはじめとした作家が大きく感化されました。


●破壊しつくした先に
夏目房之介はBSマンガ夜話で、『不条理日記』をはじめとした80年代吾妻ひでお作品は「どう壊すか・壊れたらいいかを見せる芸」としての私小説だ、と評しています。

吾妻ひでおの作品は80年代大きくビッグマイナーとしてもてはやされていきます。
さらに、現在オタク文化の中心である美少女文化も牽引。どんどん吾妻ひでおは超有名カルト作家として、深くて狭くて多くのファンの心をつかみます。

そして、彼は失踪しました。

いしかわじゅん「ギャグ漫画を真剣にやってるやつってね、俺も十何年前に一度仕事休んでるんだけど、みんなね、ちょっとおかしくなるんだよ。
ギャグ漫画ってどんどん削ってく作業だから、ふと気づくと何も無くなってるんだよ。何も無くなっちゃったと思うと、何もかけないんだよね。」
(BSマンガ夜話より)

自分の蓄積を崩していくことは、面白くもあり、何も残らなくなることでもある。
すると、どこまでがギャグかわからなくなる。

いしかわじゅん「彼にとって、ものを創ることは、既に快感という感覚を越えていただろう。神経を剥き出しにしたままに寒風に向かうような、自己破壊の衝動に似たものだったろう。どれだけ自分を傷つけ、壊してゆけるかを、彼が自分自身で試していたように、彼の描いたものを読みながら、ぼくはずっと感じていた」
『夜の魚』あとがきより)

『不条理日記』では「なんだかわからないもの」が物体として何度も登場します。それは本当に「なんだかわからないもの」です。
後に描かれる作品で、それは彼の心を深刻に蝕むようになり、マンガの作中でどんよりと圧迫感をもちはじめます。

今、作者は明確にわかって描いています。
不安です。

●失踪とアル中病棟と女子高生
幾度も失踪を繰り返した様子は『失踪日記』に、アル中になって病院に入った日々は『失踪日記2 アル中病棟』で描かれます。
今までのギャグ漫画と全く変わらないタッチで淡々と描く、現実の日々。
腐ったりんごは温かい、というのは、この本を読まなければ一生知らなかった知識です。

『不条理日記』のアッパーなテンションも、その後の作品に含まれるダウナーなテンションもありません。
目の前で起きていることを、フラットに描いていきます。
一気にメジャー化した吾妻ひでお。ここから読んだ人は、過去作品のわからなさに驚いたと思います。

あわせてもう一つぼくが読んで欲しいのは『ぶらぶらひでお絵日記』です。
マンガでもなんでもない。散歩して仕事して散歩して本読んで。そして毎日、女子高生イラストを黙々と描いている、本当の日記です。
彼の女子高生への執念が尋常じゃない。徹底的な自己破壊をし、失踪をした後私小説的作品をを描き、「基本他人や世界やマスコミを信じていない」と言い、アルコールを断った末に掴んだのが、女子高生という記号でした。

吾妻ひでおの描く女子高生は、とにかくかわいい。問答無用でかわいい。
同人誌『シベール』で美少女文化をつくり、SF作家としてもてはやされ仕事に押しつぶされたり、突然失踪して誰にも見つけられなかったりした作家が、普通の日常をまた送り始めた。
再び創作を模索しはじめた時に、女子高生がいた。
破壊され尽くした「自分」と「世界」を、女子高生が繋ぎ直したように思えます。

●カオスノートは『不条理日記2』ではない
遠回りになりました。
『カオスノート』は一見『不条理日記』にそっくりに見えます。
しかし、明らかにテイストが違う。
『カオスノート』は基本的に、自分の身の回りの小さな空間で、意味のない出来事が起きます。
自己と世界の破壊ではない。身の回りの出来事を咀嚼した上で意味のないものに変換し、面白さを作っている。

間違いなくどのコマをとっても「わけがわからない」です。
しかし、今まで出てきた「わけがわからないもの」は、「鬱」と「不安」と名前をもって登場します。
うつ感情は一切ごまかさなくなりました。

吾妻ひでおはナンセンスギャグを、徹底的に計算して描く作家です。
ボツ原稿で、たこ焼き(これも吾妻ひでおおなじみ)が「回してください回してください爆発します」といって回すマンガがあります。これはボツ。絵面としては面白いけど、たこ焼きがたこ焼きとしての意味を持っていて「ありがちなのでボツ」と本人は言っています。

吾妻ひでお「不条理っつっても、オレはパロディーで描いているんだけど、それが一人歩きしてわけのわからないのを不条理漫画って言ったらしいけど。オレのは論理的な筋道を立てた四コマ漫画(笑)。ちょっとわかりにくかったかもしれない。もともと、道理に合わないことは嫌いなタイプだから」
『逃亡日記』より)

失踪とアル中の日々を乗り越えたことで、いかに不安と折り合いをつけるかがうっすらと浮かび上がってきます。
ぼくが好きなもう一つのネタが、「崖を登る」一連のシリーズ。
吾妻ひでおが崖を登ります。すると、女子高生が生えている。
女子高生の脚だけ生えていることがある。落ちそうになった吾妻ひでおは、彼女(?)の脚でひざまくらをして崖で休む。
ちょっとだけ自分の好みに心を寄せ、支えになっているのが描かれています。

吾妻ひでおの「不安」と「女子高生」と自分との距離は、かなり適度。依存もしないし、突き放しもしない。
出てくるネタにはなにかのパロディーかもしれない。
でも考えるだけ無駄だと思う。今回は吾妻ひでおの原点に戻る、破壊からの再生、ナンセンスの丁寧な構築作業だから。

『不条理日記』のワクワク感と逆で、本当に何もないことを描いた作品だからこそ、読んでいて疲れた心が癒やされる、と最初は思っていました。
それだけじゃない。吾妻ひでおが身を削った人生の上で、うまく折り合いをつけいった結果生まれたマンガだから、読んで笑えて、ほっとするのです。
(たまごまご)

吾妻ひでお『カオスノート』