朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)2月27日(土)放送。第21週「夢見る人」第126話より。
原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:西谷真一
ボクっ娘宜ちゃんの僥倖の極み「あさが来た」126話
イラスト/小西りえこ

126話はこんな話


藍之助(森下大地)に山王寺屋再建の夢を託していた菊(萬田久子)だったが、それは無理だと惣兵衛(柄本佑)言われて絶望。その後、倒れてしまう。

自分のことを「僕」と呼ぶ宜ちゃん


「お母ちゃん歩くの遅いな」って、ふゆは出てこないのかよ!
役員秘書になり、九州から大阪へ、家族で戻ってきた亀助(三宅弘城)。娘のなつは出てきても、嫁のふゆはいなかった。
後半になると、レギュラーの脇役が出てこなくなることは、朝ドラではよくあることとはいえ、「あさが来た」で注目された清原果耶が顔を出さないとはどういうことだ。何年も経っている設定にしては、彼女ではさすがに若過ぎるってことだろうか。いやいや、波瑠だって相当若いんだからいいと思うのだが・・・。
亀助が大八車を引っ張ってくるアングルが、見えないところにふゆがいるのかなと思わせぶりなのも、山王寺屋問題にがっかりする菊と同じレベルのがっかりだった。

126話はこれに尽きる。雁助(山内圭哉)の手紙とうめ(友近)の反応とか菊の倒れ方とか新次郎(玉木宏)の娘愛とかいろいろあったけれど、ふゆ問題にはかなわない。
と言って、ここで今日はおしまいっていうのもなんなので、126話で、「顔面のよき男は女を惑わせ破滅させ、ろくな男はいないという旧来の認識を改めざるを得ませんな」などと言っていた眼鏡っ娘・田村宜(吉岡里帆)について書こう。
千代(小芝風花)の御学友で同室の宜ちゃんは、東京の女学校で流行っていることの受け売りで、自分のことを「僕」「僕」と呼んで、かしましい。
「幕末の志士」(by惣平衛/柄本佑)に例えられるほど勇ましいあさ(波瑠)にすっかりかぶれて、男性と対等でありたいと意気込むが、あさは、「たまには男はんに頼っても、頼られてもいい」と余裕の発言で、宜には「僕」が似合ってないと指摘する。波瑠が妙に若々しく女性らしいことがこういう時に利いてくる。

だから、ふゆの清原果耶にも出てきてほしかった。そしたら「僥倖の極み」だったのになあ。
宜ちゃんがやたら使う「僥倖の極み」が、118回の「宝玉」に続き、字幕に。女子大学設立編に向け、“学び”に注目しているようだ。
この言葉のチョイスは、「カイジ」の映画(「カイジ 人生逆転ゲーム」/09年)の脚本描いている大森美香ならではか。

今日の、ナットク


東柳君(工藤阿須加)が華族のお家柄という情報。
ああ、だから浮世離れしていたのか。
(木俣冬)

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