テレビバラエティの歴史絵巻『1989年のテレビっ子』を上梓した、戸部田誠(てれびのスキマ)さんのインタビュー後編です。なぜ「スキマ」を名乗るようになったのか、1989年のテレビに無くて今のテレビにあるもの、フジテレビ復活の可能性などお聞きします。


インタビュー前編はこちら→あの日「笑っていいとも」が取り戻した“日常” 『1989年のテレビっ子』に聞く
フジテレビ復活の希望は「日本テレビ」にある 『1989年のテレビっ子』に聞く
戸部田誠(てれびのスキマ)『1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記』(双葉社)

1週間でバラエティ40時間分


── スキマさんは雑誌やネットなど多くの媒体でテレビに関する記事を書かれていて、普段どのようにテレビを観て記録しているのかとても気になります。

スキマ 以前は全録でもない普通のHDDレコーダーで頑張っていたんですが、いまはSPIDERを導入してすごい楽になりました。SPIDERに全録されたものから、手元に残したいものをピックアップして吸い出すようにしています。バラエティだけでも1週間で40時間分くらい保存してますね。ドラマも1クールに5〜6本見ています。どんな番組でも一度観たら保存しないと気が済まないんです。


── 「あの番組であの人があれを言っていた」というのは覚えているものですか?

スキマ 記憶力が無いんで、覚えてないんです。僕がTwitterを始めた理由が「いつ誰が何をいったかメモするため」なんですよ。Twitterにセリフとかを実況で書いているのはメモ用で、何かを書く時はTwitterを検索して録画を見返しています。最終的にはExcelに「こういうことをこの時言った」というのを分類していて、『1989年のテレビっ子』だと番組ごとや芸人ごとにエピソードを整理していますね。

フライデー事件が書きたくて


── 執筆活動のきっかけとなったブログてれびのスキマは、どういった経緯で始めたんでしょうか?

スキマ ビートたけしの「フライデー事件」を書きたくて始めたんです。事件について知りたくて『たけし事件─怒りと響き』を読んだら、もうすごい興味深いんですよ。でも、いきなりブログにフライデー事件のことを書いても誰も読まないと思って、ある程度アクセスを集めてから書こうと始めました。


── 確かにブログの最初の記事はタモリさんのまとめですね(2005年8月17日 タモリのマトメ#1(全5回くらい)

スキマ 最初はやっぱりタモリさんだろうと。しばらく経ってからフライデー事件について書いて(ビートたけしとフライデー事件(序))、その後はテレビ番組の内容などを書き残していくようになりました。今のような書き起こしのスタイルの元になったのは高橋源一郎ですね。大好きなんです。高橋さんの書評は引用をふんだんに使うので、そのスタイルに影響を受けています。

悪口ってつまらない


── 他にも影響を受けた書き手はいますか?

スキマ もともと雑誌を作りたくて、ブログも雑誌的な感覚で始めたんです。「クイックジャパン」とか、資料的な価値を持つ雑誌が好きで。
あとは「格闘技通信」ですね。ジャンルは書き手と語り部がいないと発展しない、と思っていて、日本のプロレスや格闘技が発展したのもそういう書き手がいたからだと思うんです。テレビも、小林信彦やナンシー関が本格的に活動していた時代はやっぱり面白かったじゃないですか。だからいま、テレビが面白くないって言われるのは、僕ら今の時代の書き手の責任という面もあるのかなと思います。

── スキマさんは最初からテレビに対して好意的なスタンスで書いていますよね。

スキマ 僕がブログを始めた当時は、テレビについて書くというと悪口が当たり前だったんです。
でも僕、悪口ってつまらないと思うんですよ。毒舌の芸人さんって「毒」だけが面白いわけじゃなくて、そこにまぶしてある「ユーモア」こそ面白いわけじゃないですか。僕にはそのユーモアがないので。だから「てれびのスキマ」というブログは、テレビのファンサイトみたいな意識で作ったんです。それまであまりないスタンスだったんで「スキマ」って名付けたんですけど……。後から知ったんですが、ナンシー関の連載に「テレビのすきま」っていうのがあって。
真似したわけじゃないんですけどね……。

── カタカタとひらがなで違いますし…!今ではブログ名がご自身の名前になってますもんね。

スキマ ブログを始めた頃は「烏合」って名前だったんですよ。烏合の衆って意味と、あと格闘技の「烏合会」が好きで。でもTwitterで「スキマさん」って呼ばれはじめて、あ、僕スキマさんなんだと(笑)。じゃぁスキマさんでいいか、と今に至ります。


1989年のテレビに無くて今のテレビにあるもの


── 『1989年のテレビっ子』は決して「昔はよかった」という本ではなくて、これからテレビへの応援や期待を強く感じました。今のテレビの話も伺いたいんですが、1989年のテレビには無くて、今のテレビにあるものは何だと思いますか?

スキマ そうですね……やっぱりネットかなと。ネットによって90年代に失われたお茶の間的な感覚が復活したと思うんです。例えば紅白歌合戦なんかは、Twitterをはじめネットを上手く利用している番組ですよね。裏紅白にバナナマンを使ったりして、とても盛り上がるようになりました。ネットをテレビの敵とみなすのではなくて、一緒に盛り上がろうとする形が絶対いいと思います。

── テレビの中にネットを取り込むのではなく、それぞれで楽しむというか。

スキマ 画面の下にツイートを表示するとかじゃないんですよね。それをわかっていて、テレビがトップランナーじゃなくなった、と意識している作り手の番組は、やっぱり面白いなって思います。藤井健太郎さん(TBS)とか佐久間宣行さん(テレビ東京)は他ジャンルに対するリスペクトがあって、ネットを番組作りにうまく取り入れていますよね。『パイセンTV』の字幕だらけの画面も、ネット的なものを感じます。

僕らは、テレビを信じる


── 1989年のテレビと今のテレビを比較すると、どうしても避けて通れないのが「フジテレビ」です。

スキマ やっぱり80年代はフジテレビの時代だったと思います。いまも「テレビ」というと、特に端的な事をいう場合には、フジテレビがイメージされていますよね。

── 『1989年のテレビっ子』は、『笑っていいとも!』終了も大きなテーマになっているように感じました。

スキマ 『笑っていいとも!』は80年代以降のフジテレビのひとつの象徴で、それが終わるのもまたフジテレビを象徴的に表していると思います。ただ、この本にも書いているんですけど、60〜70年代に黄金期を迎えた日本テレビが80年代に低迷期を迎えた姿は、今のフジテレビの現状と重なっているんですね。日本テレビは90年代以降に復活を果たすので、フジテレビが復活する可能性だって全然あると思うんです。

── 2回目の波がちゃんと来るだろうと。

スキマ 僕がフジテレビ復活の可能性を話すと、必ず「元々低迷していたものが上昇するのと、一度黄金期を迎えたものが落ちて復活するのとは違うんだ」と言う人がいるんですけど、日テレはそのV字復活を過去にやっているんです。だからもう、今の日テレはテレビにとっての希望だと思います。テレビ朝日もTBSもテレビ東京も、いま面白いですし。

── 今度はみんながフジテレビを引き上げるみたいな。

スキマ これでフジテレビが復活したら、物語的に相当面白いです。

── まさに『1989年のテレビっ子』の帯にある言葉ですよね。

「僕らは、テレビを信じる。自分の人生と、同じくらいには。」
フジテレビ復活の希望は「日本テレビ」にある 『1989年のテレビっ子』に聞く
『1989年のテレビっ子』(双葉社)の帯文。作中に登場する芸人たちの言葉がビッシリ書かれている。

スキマ これ、編集さんが書いてくれた言葉なんです。素晴らしいですよね……ほんとに。泣きそうになっちゃう。これ自分で書きたかったですよ!


『1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記』
(井上マサキ)

フジテレビ復活の希望は「日本テレビ」にある 『1989年のテレビっ子』に聞く
戸部田誠(てれびのスキマ)。1978年生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛するテレビっ子ライター。『水道橋博士のメルマ旬報』『週刊SPA!』『日刊サイゾー』での連載のほか、多くの雑誌・メディアに寄稿。著作に『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コアマガジン)などがある。