12月4日、夕方5時過ぎの大宮駅東口。駅前で人々が「号外で~す」と何やら配っている。


大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった


大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
真っすぐ見つめる新聞少年



新聞を見てみると・・・号外として配られていたのは、手作り新聞だった。

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった


自分の日常を新聞にして号外として配る


さかのぼること4時間前。「市民会館おおみや」のとある一室で、越谷在住の写真作家・浅見俊哉さんが何やら語っていた。

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
写真作家の浅見さん


「多い時で1日5枚書いてました。授業中も書いてましたね。あんまり褒められたもんじゃないですけど(笑)」

これは浅見さんの小学校時代の思い出である。彼が通っていた小学校では、生徒1人ひとりが日常のニュースを新聞にして教室の後ろに掲示する「個人新聞」という取り組みが行われていたという。


他のクラスメイトが10号ほどしか発刊しない中、浅見さんは昼休みや授業中など1日に多い時で5枚も書き、小学校5年生の1年間で120号、6年生の1年間ではさらに多い200号、のべ320号も発刊したという。そんな21年前の新聞を今もすべて保存してあるというのだが、その一部がこれだ!

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
小学校5年の1年間で累計120号発刊した「友達」 6年生のときの新聞の名称はなぜか「あなのあいたくつした」だったいう


浅見さんは続ける。

「例えば、昨日図書館で借りた本がすごく面白かったということを新聞に書くと、貸出希望者が殺到したりしたんです。そのとき、個人的なニュースでも『新聞』というメディアに載せると他の人にも広がる楽しさを経験しました。そんなことから皆さんにも、『新聞を作る楽しさ』を知ってほしいと『私新聞(ししんぶん)を作ろう』と銘打ったプログラムを開かせてもらったんです」

ちなみにこれは、さいたま市を中心に行われている芸術祭「さいたまトリエンナーレ2016」のプログラムだという(「トリエンナーレ」は11日まで)。


アパートの敷地内にある巨大なハクサイのオブジェ


今回、このプログラムに参加したのは、小学4年生の男の子や大学生、社会人など、さいたま市や東京在住の男女9人。

浅見さんから「ニュースを発見する目」について、さらにもう1人の講師でグラフィックデザイナーの中村隆さんから新聞のレイアウトのコツについて指導を受けたあと、いよいよ彼らは「取材記者」となって街へ飛び出していくのであった。


筆者が同行したのは、小学校4年生の生地歓大(しょうじ・かんた)くん。「絵づら」的に子どもがいいだろうという安易な考えでついていったのだが、ラーメン店のオーナーで、最近56歳年下の台湾人女性と結婚したと自慢するおじさんと偶然出くわしたのだが、そんな大人が食いつく取材対象には歓大くんは何の関心も示さないなど、子どもの目線で見る街は新鮮だった。

さて彼がたどり着いたのは、近くのアパートの敷地内にある狭い児童公園。
ここに、なぜか巨大白菜とカボチャのオブジェが置いてあったのだ。

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
ナゾの巨大白菜のオブジェを激写する少年記者


そして記事作成へ


さて、それぞれ1時間程度の取材を終えて戻ってきた彼らはまず、撮った写真をどのように紙面に配置するか決めることに。

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
写真のデータを取り込んだ新聞


ここに、今回取材した「ニュース」を手書きで書いていく

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
街で見かける謎のオブジェを観察したり


大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
ほかの方々も、思い思いの書き方で


大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
制作も大詰め テストか居残り授業を思い出す風景


そしておよそ1時間後、ついに完成した。


大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
世界に一つだけの号外

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
街で見かける謎のオブジェを観察したり


ほかの方々が作った記事もいろいろな視点から街にアプローチしていた。

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
カップルの生態をウォッチングしたり

大宮駅で配っていた「号外」は世界一素敵な新聞だった
来年の干支・酉(鶏)のかぶりものをつけた犬に密着したり


そして最後に、冒頭で述べた号外配りをしたというわけである。さてプログラムを終えた講師の浅見さんはこんな感想を寄せてくれた。


「『!(驚き)』や『?(不思議)』をテーマにした『私新聞』づくりは、普段見慣れた街を改めてみる機会になりました。参加者の方のそれぞれの視点が生き生きと現れた『私新聞』になったと思います」

今回記者となって新聞を作った人にとっても、またそれを駅前でもらった人にとっても、まさに世界に一つだけの「号外」になったことだろう。あなたも自分のニュースを新聞にしてみてはいかがだろうか?