この男は変わらない。

16年シーズン終了後、39歳の福留孝介は金本監督から一塁転向を打診されるも、「外野一本で専念したい」と返答したという。
嫌なものは嫌。世の中の仕組みを理解するベテランと呼ばれる年齢になっても、自分の意見はハッキリ言う。思えば、あの頃からそうだった。

「ヨッシャー!」福留を引き当てた近鉄


95年ドラフト会議、高校生選手としてはあの清原和博の6球団を超える史上最多の7球団から指名を受けたPL学園の超高校級スラッガー。福留は事前に「巨人、中日以外なら日本生命へ」と明言も、他チームも怪物清原・ゴジラ松井以来の大器と称された18歳の逸材を簡単に諦めるわけもなく、近鉄・中日・日本ハム・巨人・ロッテ・オリックス・ヤクルトの7球団が競合。
意中球団は7分の2の確率だったが、「ヨッシャー!」の絶叫とともに、スーツの下に紅白のフンドシをつけるという一歩間違えば変態とも言えるスタイルでこの勝負に臨んだ、近鉄の佐々木監督が当たりクジを掲げた。

当然、入団交渉は難航し、無謀なギャンブルと批判も受けた指名だったが、当時の近鉄バファローズはその賭けに打って出なければならない理由があった。


94年から95年にかけてチームは混乱を極め、大エース野茂英雄が鈴木啓示監督とぶつかり、メジャー移籍を目指して退団。あの10.19時代の悲運のエース阿波野秀幸は巨人へトレード移籍。いてまえ打線の一角を担った金村義明もFAで中日へ。ついでに本拠地の藤井寺球場は助っ人選手が絶望するくらいボロボロ。追い打ちをかけるように成績不振の責任を取り、95年夏に鈴木監督が休養。水谷監督代行が指揮を執るも、7月13日に単独最下位になってから一度も浮上することなく、86年以来9年ぶりの最下位に沈んだ。
観客動員数は100万人の大台を割り、功労者ラルフ・ブライアントも寂しすぎる退団。
そんな中、新監督に就任したのが佐々木恭介である。

意志が固かった福留孝介


フロントも佐々木も、この暗い雰囲気を吹き飛ばすことのできる新たな球団の顔を欲していた。近鉄はやはり打のチーム。新・いてまえ打線の中核として、4年目で20本塁打を放った伸び盛りの中村紀洋とコンビを組めるようなスラッガーが是が非でも欲しい。

いわば福留指名は、野茂も阿波野もブライアントもいなくなった球団再建への第1歩だったのである。夢の中村・福留のNF砲実現へ。
初交渉時に便せん5枚に及ぶ手紙を持参するストーカー行為一歩手前の佐々木監督。
しかし、福留の意志は堅かった。当時近鉄スカウトの故・河西俊雄氏と和やかに雑談に応じても、肝心の入団に関しては頑として首を縦に振らない。

すでにスーパースターだったオリックスのイチローがメディアを通じて「一緒に球界を盛り上げよう。運命に従った方がいい」と近鉄に援護射撃コメントを出すも、福留は「ドラフトでこういう結果になって、それで社会人への道を選ぶ。これも運命に従うということだと思います」と堂々と応戦。

河西は球界関係者や周囲の大人たちが説得しても自分の本心を明かさない福留に「賢い子やな」と思うと同時に、その信念の強さに恐れの気持ちすら持ったという。

3年後に中日に入団…その後の福留孝介


結局、福留は初志貫徹で日本生命へ進むと、アトランタ五輪日本代表選手として野球銀メダル獲得にも貢献し、3年後に逆指名で中日ドラゴンズに入団。当初は内野守備がド下手すぎてチームメイトをドン引きさせた逸話が残っているが、本格的に外野転向した4年目の02年には、打率.343で松井秀喜の三冠王を阻止する首位打者を獲得。
08年にはFAでシカゴ・カブスと4年総額4800万ドル(53億円)の大型契約を結び海を渡る。メジャーで5年間プレーしたのち、阪神で日本復帰。16年シーズンはチーム最多の103試合で4番を務め、打率.311、11本塁打、59打点の好成績を挙げ、2度目の首位打者を獲得した06年以来となる自身10年ぶりの打率3割を達成した。


あの入団拒否から早22年。なお福留は中日入団が決まった際、3年前に近鉄スカウトを引退していた河西のもとに「お会いしてご挨拶がしたいのですが」と丁寧に電話を入れたという。そして、因縁のイチローとはプロ入り後に日本代表でともに戦い、06年の第1回WBC初優勝に大きく貢献。
さらにヨッシャーボス佐々木恭介とは巡り巡って、02年に中日打撃コーチと選手という関係で再会。福留のメジャー移籍後も、自費で渡米し応援に駆け付ける佐々木の姿があった。

プロ入り、メジャー移籍、日本球界復帰、契約やポジションまで。
言いたいことも言えないこんなポイズンな世の中で、自らの意見をハッキリと主張し、結果も残してみせる男。ある意味、真のプロフェッショナルと言えるだろう。福留孝介は今季、不惑のシーズンを迎える。


(参考資料)
ベースボールマガジン冬季号1995年プロ野球総決算
週刊ベースボール95年12月11日号
サンケイスポーツ16年11月23日 阪神・金本監督、明言!糸井「中堅」福留は一塁打診も「右翼」
ひとを見抜く 伝説のスカウト河西俊雄の生涯(澤宮優/河出書房新社)