ラオウがわかれば稀勢の里がわかる! 横綱と『北斗の拳』の関係とは?
撮影:コアミックス

稀勢の里が横綱になった記念の化粧まわしに描く刺繍の絵に『北斗の拳』を選んだ――それもケンシロウではなくラオウを選んだ。
それは、653万部時代の「週刊少年ジャンプ」編集長であり、『北斗の拳』の担当編集者であった堀江信彦氏(「月刊コミックゼノン」を編集するコアミックス代表取締役)と以前から親交があり、堀江氏が「横綱になったら化粧まわしを作るよ」と約束していたからだった。

このエピソードは、テレビやスポーツ新聞などで多数取り上げられた。

ラオウがわかれば稀勢の里がわかる! 横綱と『北斗の拳』の関係とは?
撮影:コアミックス


しかし、なぜラオウだったのか? 稀勢の里はラオウのどこに自分と相通じるものを感じたのか? 『北斗の拳』本編と絡めて突っ込んだ記事は極めて少ない。
生い立ちから、2017年春場所でのケガを押しての優勝に至るまでを描いたマンガ『横綱覇王伝説 稀勢の里』制作のため、稀勢の里にたびたび取材してきたコアミックス・花田健氏に、『北斗の拳』と稀勢の里が共振した漢(おとこ)の美学について訊いた。

マンガアプリのリリース前キャンペーンで「横綱にメッセージを!」という謎


――コアミックスさんのアプリ「マンガほっと」のリリース前のキャンペーンで「アプリ(サイト)を通じて横綱にメッセージを!」という“拳王軍キャンペーン”をされていましたよね。言葉を選ばずに言うと……「意味がわからない」と思いました(笑)。まずマンガと相撲という組み合わせが想定外ですし、常識で考えると「それでユーザーが増えるのか?」とかいろいろ疑問が湧くと思うんです。ただ、「何が起こってるんだ? こんなマンガアプリ見たことないぞ」とおもしろく拝見していました。

花田 「“拳王”ことラオウの化粧まわしを付けた新横綱・稀勢の里を応援する“拳王軍キャンペーン”をTwitterでやろう」というのは、弊社から稀勢の里に化粧まわしを贈ることが決まったあとで盛り上げ企画として浮上してきたんです。
「横綱にみなさんからの声を渡すことは可能ですか?」と「マンガほっと」の開発・運営担当のイマジニアさんからご提案いただいたのがきっかけです。
われわれは横綱のことをマンガにさせていただく関係で、取材や打ち合わせでお会いすることもありますので「できます」「じゃあ、やりましょう!」と。
2017年6月から弊社で「マンガほっと」というアプリを始めることは、以前から決まっていましたが、稀勢の里とラオウを絡めたキャンペーンについては事前に決まっていたわけではなく、完全に偶然です。
あれはアプリのためにやったというより、われわれとしても稀勢の里を何かしらのかたちで応援したい、横綱昇進を盛り上げたいという気持ちが大きいですね。
それで横綱になった直後の大阪場所の前にインタビューさせていただいて、マンガほっとのサイトにアップさせてもらい、また、稀勢の里の生い立ちから、ケガの中での優勝までを「美談にはしないでほしい」という約束でマンガ化させてもらうことになったんです。


「国技の頂点から、やっとマンガは認められた」


ラオウがわかれば稀勢の里がわかる! 横綱と『北斗の拳』の関係とは?
撮影:コアミックス

――『北斗の拳』の担当編集者であった御社の堀江信彦社長が稀勢の里と付き合うようになったきっかけは?
花田 知人の紹介で、稀勢の里のいる田子ノ浦部屋も属する二所ノ関一門の方々と食事をするようになりまして。
そのうちに食事の席などで、稀勢の里とも何度もお話させていただいたりするなかで「横綱になったら、まわしを作るよ」と約束をしたそうです。
堀江からすると、自社でIPを管理させていただいている作品であればなんでもかまわない、俺が話を付けるということだったようですが、稀勢の里の方から「『北斗の拳』でお願いします」と。
そして初優勝を決めて日本中が稀勢の里フィーバーになり、横綱昇進が決まったときに堀江に電話がかかってきたんです。
――「あの話、本気にしていいですか」ということですね。
花田 ええ。それで新横綱誕生の昇進伝達式があったその日に、弊社に足を運んでいただいて、社長室で『北斗の拳』の絵を見て選んでもらうなかで「ラオウでお願いします」と。

堀江も「え? ケンシロウじゃなくていいの?」と驚いていましたね。
「ラオウで」という要望は横綱の方からです。
でも、決まってみると「これしかない」という気がします。
堀江が言っていて、いいなと思ったのは「『北斗の拳』を選んでくれたということよりも、マンガが日本の国技である相撲の、それもトップである横綱の化粧まわしに使われたことが何より嬉しい」と。
堀江は今年で62歳になりますが、その世代だと「マンガは下に見られていた」という想いが強いみたいで。
堀江はかつて集英社にいたわけですが、集英社に純文学の作家先生が来社したら役員が迎えに出てくるけど、マンガ家はどれだけ売れてもせいぜい編集長クラスまでしか来ないとか、昔はざらでしたからね。

「クールジャパンだなんだと言われているけれども、2017年になってやっとマンガは横綱のまわしになれたんだ」と。
キン肉マンや西原理恵子さんの絵が幕内力士の化粧まわしに使われたことはあっても、横綱では初ですからね。
――たしかに、歴史的な瞬間ですね。
花田 稀勢の里は、歴代の横綱のビデオを観て研究したり、格闘技関連の書物は相当読んだりしているみたいですが、でも、決して熱心なマンガファンというわけではないんです。それでも『北斗の拳』を知っていてくれて、選んでくれたのが嬉しいですね。
ちなみに化粧まわしは刺繍で絵を再現するわけですが、原(哲夫)先生の絵は濃淡が密なので、表現が圧倒的に大変なようで、最初はまわしにするのを断られたんです。

「刺繍だけではムリだ」と。
だから江戸友禅の技法を使って、刺繍の上にパールなどを砕いて糊を混ぜたものを使って染めることで光や影を表現したりしているんですね。
同じ赤でも黄色っぽいところと黒いところもあるような色味は刺繍プラス江戸友禅で。
それは十年前、十五年前ならできなかったみたいですね。
モンゴル勢をはじめ、富士山、鶴といった伝統的なモチーフ以外を扱う力士が増え、だんだん絵に凝るようになって技術が積み重なってきたからできたものであると。


「強さとは、孤独であれ」という点でラオウと横綱は通じている


――ところで、稀勢の里はなぜラオウを選んだんでしょうか。
花田 経験上、多くの格闘家は『北斗の拳』のことをみなさん好きだと思いますし、なかでもラオウ好きが多いと思います。

男性ホルモンが強いタイプの人は好きなんじゃないかと。会社の社長さんにも多いですから。
そういう人たちからすると、ケンシロウはぬるく見える。まったくの個人的意見ですが、ラオウが好きな人の方が横綱になりやすいと思うんです。
稀勢の里に関しては、僕らもお話を聞くうちにわかってきたんですが、横綱の、相撲に対する美学をかたちづくった先代の鳴戸親方(隆の里)や北の湖的な、時に悪役に見られようともストイックな生き方を貫くところがラオウと近いんだなと。
たとえば「強さとは、孤独であれ」というのが先代鳴戸親方の教えです。
田子ノ浦部屋(旧鳴戸部屋)は元々、あまり出稽古をせず、他の部屋の力士と馴れ合いはしない部屋だそうです。ストイックで、ガチンコ。そういうところでしょうね。
――『北斗の拳』第73話「永遠の死闘!の巻」でトキがラオウについて「やつもまた孤独…」とつぶやいて、ラオウがひとり愛馬の黒王号に乗ってケンシロウの元から去る回がありますが、ラオウの孤独ってああいうやつですか?
花田 そのイメージみたいですね。
ラオウがわかれば稀勢の里がわかる! 横綱と『北斗の拳』の関係とは?
『北斗の拳』第73話「永遠の死闘!の巻」 (C)武論尊・原哲夫/NSP 1983

――ただ、ラオウも「孤独」と言いつつもトキやケンシロウたちと魂を通わせているし、『北斗の拳』の後半~終盤にかけては、いろんな人の精神的な支えになっていますよね。孤高たらんとするにもかかわらず、深い結びつきができていく。そういう逆説を稀勢の里にも感じるんです。
花田 そうかもしれないですね。
先日、大関に昇進した高安と稀勢の里は三つ違いで、盟友と言える仲ですが、ふたりとも中卒でこの道に進んで、ふたりで稽古して強くなっていった。
そこも北斗宗家の兄弟たちとイメージを重ねる人もいるかもしれません。
あとは稀勢の里が優勝したときに「見えない力が働いたように思います」とおっしゃっていたんですが、それもやはり、ひとりで勝ったのではなく、いろんな人の力に後押しされて勝てたような気がすると自然に思ったという意味だったみたいですね。
――なるほど。マンガほっと公式サイトに載っているインタビューで稀勢の里が「オーラ」云々と言っているのは『北斗の拳』の「失われた北斗の巻」とかで闘気(オーラ)の話が出てくることを踏まえているんですよね?
花田 もちろんです。
オーラは目に見えないものではあるんですけど……原先生によると『北斗の拳』を描いているときに、当時担当だった堀江の背後に赤いオーラが見えたらしいんですよ。
「締め切りに間に合わないぞ!」というタイミングになると、原稿があがるのを待っている堀江からの圧がすごくて、たしかにそこにオーラとでも呼ぶしかないものが存在していた、それを絵に表現したんだと。
――(笑)。
花田 稀勢の里も初めて幕内に入って朝青龍関と対戦したときに、圧倒的なオーラを感じて「勝てない」と思ったそうなんですね。
これはもう、戦う前に勝負が決まっている、そうか、土俵の上では相手に存在感を示さなければならないんだ、と。
だから、ずっとテーピングもしてこなかった。相手に弱みを見せる態度だからです。
そう考えていた稀勢の里が、先日の五月場所ではケガでテーピングをぐるぐる巻きにして出場したわけですから、よほどだったんだろうなと思います。
だけど、それでも「痛い」とは絶対言わない。

存在感は常日頃から作っていくものだ


花田 稀勢の里がさすがなのは、そういう闘気は、土俵の上だけではなくて、日頃から作っていくものだと考えているところです。
たとえば基本的に「TVのバラエティ番組には出ない」と決めていらっしゃっているそうなんですが、つまりバラエティに出て笑いを取っているような存在では、今後出てくる若い関取たちに対して「稀勢の里は怖い、これは勝てない」と感じさせることはできないと。
マスコミ向けにいい顔をせず、無骨であったのは稀勢の里の師匠である隆の里、そしてそのさらに師匠である初代若乃花もそうですが、そういう系譜を意識しているんだと思います。
そのイメージと、ラオウが近しかったんでしょうね。
ただ、「格闘家としては、最終的にはケンシロウみたいにポーカーフェイスであるべきではないか」ともおっしゃっていました。
ラオウのように感情を表に出すのは、本当の強者とは言えないんじゃないかと。
そこまで来るともう、哲学ですよね。
――威圧感は日常生活から作って発していかないといけない、同業者やメディアと距離をあえて作るという姿勢は、最近ではめずらしい気がします。
花田 インタビューで写真を撮らせてもらったときも、イメージを重視していましたね。
ラオウがケンシロウとの戦いで「我が生涯に一片の悔い無し!!」と言ったときのように(137話「さらば強敵(とも)よ!の巻」)天に向かって右腕を突き立てたポーズを取ってもらえないかなとお願いしてみたんですが「そういうのは、ちょっと」と。

ラオウがわかれば稀勢の里がわかる! 横綱と『北斗の拳』の関係とは?
『北斗の拳』137話「さらば強敵(とも)よ!の巻」(C)武論尊・原哲夫/NSP 1983


横綱になったときの挨拶でも「相撲道に一片の悔いもないよう精進して参ります」とかって言ってほしいなと少しだけ期待したんですが(笑)、そういうことはしない。
堀江が「『北斗の拳』などで描かれているのは、『格』の勝負なんだ。格の高い方が勝つ。向き合ったときの格の高さを表現することにこだわった」と言っていたんですが、そういうところできっと堀江と稀勢の里はウマが合うんだと思います。
『北斗の拳』では「漢」と書いて「おとこ」と読むとか、「強敵」と書いて「とも」と読むといった表現が出てきますが、きっと二人ともそういうタイプの人なんです。

マンガ『横綱覇王伝説 稀勢の里』がつなぐもの


――マンガ『横綱覇王伝説 稀勢の里』も『北斗の拳』イズムが感じられるものになっているんでしょうか?
花田 それはもう。作画は『義風堂々!! 疾風の軍師-黒田官兵衛-』も描かれた山田俊明先生ですが、読んでもらえれば「そういうことか!」とわかってもらえると思っています。
稀勢の里はあまり自分語りをしてこなかったんですね。
たとえばケガをしたときどう思っていたかといったことも、これまであまり語ってこなかった。
だけど、このマンガのために、生い立ちから初の優勝、あのケガでの連覇までをいろいろお話してくれまして。
前中後編で「月刊コミックゼノン」の6、7、8月売りの号およびアプリ「マンガほっと」に掲載予定です。
見えないところでの内面の駆け引きを描いたという意味では、山際淳司さんの『江夏の21球』的なおもしろさもあると思っています。
振り返ると、かつての少年誌には、時の有名野球選手とかオリンピックに出たスポーツ選手をマンガ化した物語が読み切りとか短期集中連載で載っていたと思うんですよ。
そういうものがあることで、マンガが限られたマンガ読みのためのマニアックなものにならずに、それまでマンガを読んだこともないチビっ子が立ち読みしたり、回し読みしたりしてマンガの世界に入ってきた。
そして「○○選手物語」の隣に載っている作品を読んでみたら「こっちもおもしろいじゃん」というかたちで新規流入してくるという効果があったと思うんです。
今回の「横綱覇王伝説 稀勢の里」を通じて「久しぶりにマンガ読んだわ」とか「アプリで初めてマンガ読んだ」っていう人が出てきてくれたら、マンガ界にとっていいことなんじゃないかなと。
それでたまたま載っている弊社の『ワカコ酒』を読んでくれたりしたら、なおいいなと。
――「マンガほっと」で公開されている『横綱覇王伝説 稀勢の里』の予告編を読むと、稀勢の里は自分を相撲界にスカウトしてくれた亡き先代・鳴戸親方への想いを背負って戦っているんだなと改めて思いました。『北斗の拳』でも、亡くなった人間は生者の胸の中で永遠に生き続ける、生者は死んでいった者の想いを引き受けて闘いますよね。
花田 ええ。それが優勝時のコメントで言った「見えない力」の話につながってくると思います。
「横綱になって初めて、心からみんなにありがとうと言えるようになった」と言っていたんですが、それはおそらく「強さとは、孤独」を追求する時期がなければ到達できなかった視点だろうと思うんです。
「俺が俺が」の時期があり、しかし「強敵」と書いて「とも」と呼ぶ存在との死闘を通じて、格が上がっていく。
勝手な見立てですが、そういうことなのではないかなと。

稀勢の里の「押す相撲」とラオウの「まっすぐ歩く」


――ほかに稀勢の里とラオウに通じるなと感じるところはありますか。
花田 そうですね……たとえば稀勢の里は「組む相撲」ではなく「押す相撲」しか師匠からは教わらなかったそうです。
「前に行け。そうすればケガはしない」と教えられてきた。
稀勢の里がほとんどケガをしたことがなかったのは、その教えを忠実に守ってきたからだそうです。
だけど、ケガしたときの取り組みでは、思わず引いてしまったんだ、と。
相手がどうこうではなく、自分が引いたのが悪いんだ、とおっしゃっていました。
その話を聞いたときに、僕が以前『北斗の拳』のスピンオフ作品『天の覇王 北斗の拳 ラオウ外伝』を担当させてもらったときのことを思い出したんです。
『ラオウ外伝』は「生涯に一片も悔いのない漢とは、どうやって生きたのだろう?」ということがテーマでした。
普通の人間の人生は、悔いだらけだと思うんです。
でもラオウはそうではない。
そのことを作家さんとずっと話していて、「まっすぐ歩く」というイメージが生まれてきたんです。
「まっすぐ歩く」と決めてまっすぐ歩けば、悔いはない。
曲がってしまったら悔いが残る。
だから第一話では、ラオウは曲がらずに「ただただまっすぐ歩く」。
「前に行け」は、それに通じるなと。
もちろん、実際にまっすぐ歩こうとすると、障害は多いし、横からいきなり突っ込んでくるものだってあるわけですから、普通の人間はそこでつい引いたり迂回したりしてしまう。
「まっすぐ歩く」「押す」を貫くのは、とてつもなく難しいんですよ。
ラオウは『北斗の拳』本編でも、南斗五車星・山のフドウとの戦いで自分の背後にに線を引いて「一歩でもここより退いたら容赦はいらぬ!! この背に向かい全矢射ち放てい!!」ということをやっている人間です(129話「拳に曇り許さず!の巻」、130話「栄光ある敗者!の巻」)。
ラオウがわかれば稀勢の里がわかる! 横綱と『北斗の拳』の関係とは?
『北斗の拳』第129話「拳に曇り許さず!の巻」(C)武論尊・原哲夫/NSP 1983


あのあたりの話や、原作の武論尊先生が、ご自身がそう感じて書いたという「我が生涯に一片の悔いなし!!」の回(137話「さらば強敵(とも)よ!の巻」)、それから、無抵抗主義の村長のいる村でヘラヘラしている村民に対して「なぜ闘わないのだ!」と激怒する回(108話「人間の証!の巻)、トキとの闘いで後ろから抱きしめて泣きながら「きかぬのだ!!」という回(105話「絆 熱く哀しく!の巻」)なんかはラオウを象徴するエピソードですから、稀勢の里ファンにもぜひ読んでもらいたいですね。
「マンガほっと」で7月31日まで全巻開放していますので。

アプリを使えばラオウがわかる!?


――「マンガほっと」で稀勢の里、『北斗の拳』関連で今後やっていくことがあれば教えてください。
花田 今回、稀勢の里のおかげでラオウにスポットが当たったこともあり、『北斗の拳』本編、『ラオウ外伝』、それからゆくゆくはラオウを主人公にしたアニメーション映画『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝・殉愛の章』『ラオウ伝・ 激闘の章』を分割してアプリ上でも観られるようにしようと思っています。
これらを読んで、観てもらえれば、稀勢の里がなぜラオウを選んだのか、強さ=孤独とはこういうことか、とわかってもらえるのではと。
あとはですね、あの化粧まわしのデザインのタオルを鋭意制作中です。
子どもがお風呂から上がるときに巻くと、横綱土俵入りごっこができるという。
――(笑)。
花田 今回、稀勢の里はラオウを選びましたけど、時機を見て「北斗の拳総選挙」をやってみたいですね。
改めていま人気投票をしたら誰が人気なんだろうと。
とくに女性ファンが誰を選ぶのかが知りたいですね。
――『ラオウ伝』の劇判伴は梶浦由記さんが担当されていますが、サントラCDのライナーノーツによれば「原作を拝読し、血湧き肉躍りそして涙にくれた」と。『北斗の拳』は女性の琴線にも触れる作品ですものね。
花田 そうなんです。
それから、稀勢の里が関係のないところでは『北斗の拳』のザコたちが活躍する2.5次元舞台――「ザコだから3.5次元だ!」とかわけのわからないことを言ってるんですけど――が9月から始まります。その舞台用に、あるものを作っています。そちらの発表も楽しみにしていてください!

(飯田一史)