「バカッター芸人」

近頃、爆笑問題・太田光のことをこう呼ぶ向きがあるそうです。バカッターとはご存じの通り、Twitterで自らの反社会的行動を世間にアピールする輩のこと。

「反社会的」というのはちょっと当てはまりませんが、たしかに公の場で口を開けば、ネットで炎上するような発言を連発するその芸風は、無軌道なツイッター民っぽくもあります。

そんな無節操で場をわきまえず、時にサディスティックなまでに相方・田中などへ口撃を繰り返す太田ですが、彼が単なる乱暴者ではないことを証明する出来事が、今から18年前にありました。

古くからの芸人仲間だった“ハギ”


それは爆笑問題の古くからの芸人仲間だった“ハギ”こと萩原正人にまつわる話です。

1987年に、お笑いコンビ「キリングセンス」の片割れとして活動を開始。構成力の高い玄人好みなコントを持ち味とし、一部ファンからは熱烈な支持を受けましたが、テレビからお呼びがかかることが少なく、収入はスズメの涙だったようです。

なお、もともとキリングセンスは、アンジャッシュやおぎやはぎが在籍していることでも知られる『プロダクション人力舎』に所属していましたが、若手時代から苦楽を共にした爆笑問題が設立した事務所「タイタン」へ移籍。名実ともに一蓮托生の仲間となった2組でしたが、1999年、当時32歳のハギの身体に突如異変が起こります。


病院で末期の肝硬変と診断された


「ハギさん真黒ですね。ハワイにでも行ってきたんですか?」

ある時、ハギは芸人仲間からこう言われたといいます。鏡を見てみると、たしかに顔面が真っ黒。とくだん日に当たったわけでもないのに妙だな……そう感じながらも、貧乏ゆえに病院にも行かずしばらく放置していたら、今度は高熱で倒れてしまったとのこと。

ただちに救急車で運び込まれた先の病院で、ハギが告げられた診断結果はB型肝炎による肝硬変。しかも、「余命半年」を宣告されるほどの完全なる末期でした。

「死ぬな!」と励まし続けた太田光


こうなってしまうと、死を待つだけの状態。ハギ本人も家族も周囲の人たちも半ば生還を諦め掛けていた中、一人気を吐いたのが盟友・太田でした。


太田は、ハギが生存するために何か方策はないか徹底的に調べ上げ、「肝臓移植をしたらどうか」と提案。たしかに、日本でも1997年秋から臓器移植法が施行され、当時既に脳死肝移植が可能になってはいたものの、医師からは「B型肝炎による肝臓移植は適応外」と告げられてしまいます。

それでも諦めず、太田は次に海外へ目を向け、アメリカにおいてB型肝炎による肝臓移植が確立されている事実を発見。こうした情報を調べつつ、ハギの様態が急変したら病室まで駆けつけ、「死にたい」とハギが弱音を吐けば「死ぬのは勝手だけど、残された家族や周りの人に悔いが残って迷惑なんだよ!だから死ぬな!」などと励まし続けたといいます。

手術費用捻出にも尽力した


ハギが生き残るには、渡米以外選択肢はありませんでしたが、アメリカでの手術には、医療費・渡航費・滞在費含めて、約5000万円もの莫大な資金が必要となります。むろん、コンビニバイトで糊口を凌いでいたハギに支払えるはずもありません。


しかし、ここでも太田や仲間たちが尽力しました。ホームページで手術費用の募金を呼び掛けて、さらには支援団体にも協力を要請し、なんとか渡米に成功。そして2000年4月28日、肝臓・腎臓の同時移植を施されたハギは、無事日本への生還を果たしたのでした。

なお、ハギがアメリカへ旅立つ際、太田は「これで運が開けたから」と言って、『爆笑問題の日本原論』のベストセラー記念で出版社から送られた高価な腕時計をプレゼントしたのだとか。テレビの前では、芸人としてある種のヒールを演じている太田ですが、本当は仲間想いの熱い男なのかも知れません。
(こじへい)

※文中の画像はamazonより爆笑問題 太田光自伝 (小学館文庫)