8月5日に『村上RADIO』(TOKYO FM/JFN38局ネット)で初めてラジオDJを務めることが発表されて話題となるなど、相変わらず注目を集める国民的作家・村上春樹。彼の新作短編が、6月7日発売の文芸誌『文學界』に掲載されている。

村上春樹の新作短篇小説は、短歌を書き、人生論を語り、レコード愛を披露する「三つの短い話」
『文學界』2018年7月号

長篇『騎士団長殺し』を昨年刊行したが、短篇となると短篇集『女のいない男たち』以来約4年ぶり。「三つの短い話」というタイトルが付けられ、その名の通り15ページ前後の短い小説が3つ収められている。
主人公の昔経験した奇妙な出来事を語るというのが、各篇共通のストーリーラインだ。

短歌を書いた村上春樹「石のまくらに」


1篇目の「石のまくらに」は、〈僕〉が19歳の時の話。
〈僕〉はある日、アルバイトの同僚で20代半ばの女性と一夜を共にする。同僚は〈ねえ、いっちゃうときに、ひょっとしてほかの男の人の名前を呼んじゃうかもしれないけど、それはかまわない?〉と聞いてきたり、翌朝になると〈私は短歌を書いているの〉なんて言い出す、どこか風変わりな子だった。
一週間後、〈僕〉の家には彼女自作の歌集が送られてくる。
一度寝たのを境に、2人が再び会うことはなかった。それから長い時を経てなお、〈僕〉は歌集を時々読み返しては彼女のことを思い出している。

村上作品といえばビートルズの「ノルウェーの森」をはじめ、音楽が主人公の記憶を呼び覚ましたりテーマ曲的な役割を果たしたり、物語の鍵を握る存在であることが多かった。だが、今回は違う。どんなに大切な過去でも、戻ることはできないという喪失感。そのテーマを短歌に象徴させるのが珍しい試みで、要注目だ。


変なおじさんになった?村上春樹「クリーム」


2篇目の「クリーム」は、〈ぼく〉が18歳の時の話。
〈ぼく〉は同じピアノ教室に昔通っていた一学年下の女の子から、ピアノの発表会に招待される。仲が良かったわけでもないのに、突然なぜ?戸惑いつつも神戸の山の方にある会場に向かった〈ぼく〉だが、建物の門は閉ざされていた。だまされたのか?とりあえず公園のベンチに座った〈ぼく〉は、彼女の自分に対する恨みや憎しみを想像してしまう。感情がかき乱されてパニックになり、何か救いはないかと必死にさがす。
そこに60歳から70歳くらいと思われる男が現れる。しばらく無言だったが、突然こう言って人生論を語り始める。

〈中心がいくつもある円や〉

人間の邪悪さや悪意とどう向き合うかは、村上作品で繰り返し描かれてきた問題だ。シリアスなテーマだけど、ここでは怪しげなおっさんの登場により、どこかコミカルな話になっているのがおもしろい。
60〜70歳でややこしい話をしそうな男といえば、やはり思い浮かぶのは作者の村上春樹。彼が関西弁で人生論を熱弁する姿をイメージしながら、読んでみたくなる。

趣味を全開にする村上春樹「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」


3篇目の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、〈僕〉が大学生の頃に雑誌に書いたレコード批評の引用から始まる。

〈1963年の夏、チャーリー・パーカーは再びアルトサックスを手に取り、ニューヨーク近郊の録音スタジオでアルバム一枚ぶんの吹き込みをおこなったのだ。そのアルバムのタイトルは「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」!〉
チャーリー・パーカーは実在するが、アルバム自体は〈僕〉が冗談ででっちあげた架空のレコードだった。レコードを買いに行ってしまった人々から抗議の声が寄せられたものの、話はこれだけでは終わらない。
それから15年ほど後、ニューヨークの中古レコード店に入った〈僕〉。そこでなんと、「Charlie Parker Plays Bossa Nova」というタイトルのレコードを発見する。

盤面を丁寧にチェックし迷いに迷い、〈どうせ誰かのくだらない冗談だろう(略)A面とB面共に四曲ずつ入っている別のレコードをもってきて、水に漬けてラベルを剥がし、かわりに手製のラベルを糊で貼り付けたのだ〉なんて理由をつけて買わずに外に出たが、結局欲しくなって店に戻る〈僕〉。
面倒な奴である。

古い音源はちゃんとオリジナル版を買おうとしています。これほどの収集癖があるのはレコードだけですね(Casa BRUTUS「村上春樹さんの音のいい部屋を訪ねました。【外伝】レコードディガーとしての村上春樹。」)と語っているように、大のレコード好きである村上春樹。
レコード店の場面を描く際の、ディテールの細かさにその偏愛ぶりが窺える。趣味を全開にした音楽小説として、本人も楽しんで書いているだろうなと思えるのがいい。


謎の同僚と短歌、謎の老人と人生論、謎のレコードとその正体。読み解きたくなる魅力的な謎が提示される、村上作品ならではの特徴も健在。変わらなさと新しさの同居する、興味深い3つの短篇だ。
(藤井勉)