初代プレステ狂想曲 混迷の発売前夜から完売続出になるまで
画像は「プレイステーション クラシック」 ソニー・インタラクティブエンタテインメントのリリースより

一世を風靡した家庭用ゲーム機の「プレイステーション (以下、プレステ)」をミニサイズで復刻した「プレイステーション クラシック」が12月3日に発売される。
これを機にプレステ熱が再燃した方は多いのではないか。
筆者もそのひとりである。
そこで、あのころの熱狂を振り返りたい。リアルタイムで体感した興奮が伝われば幸いだ。


ゲーム業界参入は家電メーカーにとって鬼門だった


プレステの発売が発表された当時のゲーム業界は任天堂が独走中。しかも、待望の次世代機である「NINTENDO64」(当時は「プロジェクトリアリティ」と呼ばれていた)も控えている。2番手ポジションのセガも「セガ・サターン」をプレステと同時期に投入間近で、多くの期待を集めていた。

大手家電メーカーも続々参入し、ゲーム業界の競争は激化の一途にあった。
しかし、その家電メーカー参入組はコケてばかりといった印象。
パイオニアの「レーザーアクティブ」、パナソニックの「3DO REAL」、富士通の「FM TOWNS マーティー」と軒並み振るわなかったのである。

「ソニーブランドがゲーム業界に通用するのか」

ゲームファンや販売店など、ゲームに興味のある層ほど好奇の目で見ていた感が強かったように思う。


プレステはもともと任天堂と共同開発だった


そもそも、プレステの歴史が任天堂との共同開発から始まっていることをご存知だろうか。
90年前後から、任天堂とソニーは、スーパーファミコン(スーファミ)用のCD-ROMを共同開発していた。このスーファミCD-ROM構想は当時のゲーム雑誌で何度も紹介されており、93年には発売予定、任天堂以外にも50数社のメーカーが参戦予定など、具体的な発表もされていた。
コードネームが「任天堂プレイステーション」だった時期もあった。

ゲーマーだった筆者は、こういった情報に心躍らされたものである。

しかし、徐々に両社が思い描く未来予想図にズレが生じて開発は中断。結局、ソニーが単独で完成を目指すことになったのである。
友好関係から一転、完全なライバルに。ゲーム界の覇者、任天堂に弓引く形となったソニー。
「無謀な挑戦ではないか」
「ゲームに対して本気なのか」
発売前は不安視する声も大きかったのである。



当初の不安を吹き飛ばし、発売初日で10万台完売!


当初はソニー内でも不安の声が上がっていたが、熱狂的ファンを抱えるメーカー、ナムコの参入とアーケードゲームで大人気の『リッジレーサー』が本体と同時発売であることが発表されると流れが変わり始めた。
「1!2!3!」と発売日を連呼するCMも大量投下され、雑誌の特集や広告もド派手に展開。今までにない洗練されたイメージ戦略で、普段ゲームをやらない層の関心も引きまくった。
ファミコン世代には信じられないほどの美麗なグラフィックに、華麗なポリゴン。その衝撃は新時代の幕開けを感じさせるにふさわしいものであった。

94年12月3日、高まる期待に応える形で初日の出荷台数10万台を見事に完売。しかも、『リッジレーサー』に関しては15万本も売れたという。

つまり、5万人ものユーザーが本体購入を待ちきれずにソフトだけ手に入れたことになる。プレステがどれだけ待ち望まれていたかが伺えるエピソードだ。


「ゲーム=プレステ」圧巻の値下げ攻勢から市民権を獲得!


プレステの発売当時の価格は39,800円。セガ・サターンより5,000円安い価格設定だったが、95年7月には早くも29,800円に値下げし、ライバルを突き放しにかかった。
そして、96年の1月末には超ビッグタイトルの『ファイナルファンタジー7(FF7)』の発売が発表される。今まで、任天堂ハードで発売されていたスクウェアの看板RPGの最新作の登場は、購入を迷うユーザーを強く後押しした。
サターンとの差がさらに開き続けるなか、96年6月には19,800円までさらに値下げという大ナタを振るったのだが、この頃のプレステ人気は本当に凄まじいものがあった。


当時、筆者は静岡のローカル家電店チェーン勤務。CDやゲームを担当していたのだが、プレステ本体が入荷するたびにお祭り騒ぎだったことが思い出される。
基本的には予約で完売。それも、入荷を知らせる電話前に受け取りに来る方がほとんどだ。
しかも、普通のサラリーマンや若い女性など、今までのゲームファンとは明らかに違う客層が多かった。予定数より多く入荷した際も、店頭に並べると同時に即完売。
問い合わせ電話も連日殺到していた。

97年1月の『FF7』発売の際も、入荷即完売を何度も繰り返すお祭り騒ぎ。系列店まで在庫確保に車を走らせたこともあった。
この直前には、国民的PRGの最新作『ドラゴンクエスト7』の発売が発表されたこともあり、プレステ本体はさらにバカ売れ状態。社員の大半も本体を購入していたと思う。
世代を超えて、プレステに関する話題が当たり前に交わされる毎日に、プレステが完全に市民権を得たことを実感したものである。


今も見える任天堂に対する意地!?


ニンテンドークラシックミニのファミリーコンピュータ&スーパーファミコン、セガの「メガドライブ ミニ」 (仮称、2019年発売予定)と、各社が往年のゲーム機を小型化して復刻している現在、プレステもそうした「復刻ブーム」に追従したのかと思いきや、企画・開発・販売元のソニー・インタラクティブエンタテインメントの広報部によると、初代プレステが発売された94年12月3日から25周年の節目としての「記念的なもの」であり、「前々から計画していた」とのこと。
あくまで任天堂とは相容れないようである。
(バーグマン田形)