アニメ『どろろ』(→公式サイト)。今日5月13日(月)22:00より、TOKYO MXほかで、第十八話「無情岬の巻」が放映される。

Amazon Prime Videoで毎話24:00頃から配信予定。
「どろろ」屍だらけになり、この世に独り取り残された時「人間であり続ける」には…完全オリジナル17話

寿海と賽の河原


十七話「問答の巻」は、完全オリジナルの内容。原作には最序盤しか出てこない、育ての親の寿海百鬼丸の再会を描いている。
寿海は、アニメでは全く原作と違う人生を送ってきているキャラクターだ。

・昔、多くの人を捕らえて、生きたままはりつけにしながら殺す仕事をしていた。
・その後身体を失った人のため、義手義足を作る医師として活動。しかし自分が殺した人間の子供に蔑まれ、資格がないと辞めてしまう。

・身を護るために教えた剣術で、百鬼丸は妖怪を数多く惨殺。自分の行動が間違いだったと苦悩する。
・今は戦場の死体に作った義体をつけて弔い続けている。

彼は優しい人間だが、聖人ではない。「誰かに懺悔している」というよりは、「自分は罪ゆえに贖われることも死ぬことできない」と苦しむ、こじれた人間だ。
人間を救おうとして拒絶され、百鬼丸には命を奪うという自分の過ちを引き継がせてしまった。
行き着いた先が死体。
寿海がエンバーミングしてすぐに、義手義足義眼を死体漁りに盗まれる様子は、石を積んでは崩される、セルフ賽の河原だ。

彼が苦しみの果にたどり着いたのは、自分はもう人間には戻れない、という思いだ。
前半で他の人が妖怪に襲われたにもかかわらず、寿海は認知されず襲われなかった、というシーンが入っている。
百鬼丸が心の様子をもやで見分けられるように、寿海の心も妖怪からは、人間の命には見えなかったのだろう。
ただ、百鬼丸にはちゃんと、寿海の魂は見えているのが描写されている。


寿海と問答


自分には生きることも死ぬことも許されない、という彼の負のスパイラルは、百鬼丸の生き方に対しての問答とかぶる。

寿海「なぜ戦う。ここを出れば、また修羅の世界に戻ることになる。それでも出たいか」
百鬼丸「出たい」
寿海「身体が欲しいのか」
百鬼丸「欲しい」

百鬼丸が自らの身体を取り戻すために鬼神やあやかしを斬れば、国が滅びる。
そうすれば多くの人が敵になる。敵になったら戦うしかなくなる。
周りが屍だらけになり、この世に一人だけになった時、残った百鬼丸は果たして人間なのか……というのが、寿海の問答。


寿海がかつて殺し続けてきた時も、今も、周りに死体しかない。慕ってくれていた弟子の少年も離れていってしまった。
「なぜ」の語は百鬼丸に対してと同時に、人間ではないと苦しむ自らに行動に対しての問いにもなっている。

ただし、寿海は「人間であり続ける」方法として、一つの解を持っていた。
側にいて、人間だと認めてくれる存在がいること。
寿海には、いなかった。

しかし百鬼丸はそれに対し「いる」「今は、今はいない」と答えた。
はぐれているどろろに対し、百鬼丸が大きな信頼を寄せていることを、初めて言葉にしたシーンだ。

物語後半。百鬼丸は寿海に触れて、語りかける。
「知ってる。これが何というものか。
おっかちゃん、だ」

百鬼丸がそう呼んだのは、どろろが「おっかちゃん」の語を大切にして、いつも話聞かせていたからだ。この場面では父でも母でもいい。守り育ててくれた大切な存在としてのどろろの言葉を、寿海に対しても表現した場面。
無口だった(しゃべれなかったから)百鬼丸が、どんどん自分の感情を言葉にしている。

寿海は自分を、人間として認めてくれる人がいるとは思っていなかった。
だが自分のことを「おっかちゃん」だと思ってくれる百鬼丸が世界に存在したことを知り、一気に心の中の人間性を取り戻した。
もっとも、「救われた」とまではいかないのがこの物語らしいところ。
人間に近づけただけで、罪の意識が消えるわけではない。寿海の「死ぬ資格があったとはな」というモノローグに、贖えない罪の重さがこめられている。
彼自身、生きる資格は一切感じていない。

多宝丸の側にいる人


「誰かが見てくれるから人間になる」という思考は、百鬼丸だけでなく、これから屍の中を進まざるを得ない多宝丸にも関わっている。
今回多宝丸は、忠実な部下の陸奥兵庫をつれ、ばけねずみ退治にでかけている(原作の四化入道とちょっと似ていますね)。
今まで優しいかった彼も、すっかり冷淡に。
ばけねずみが子供を育てているのを見て、陸奥と兵庫はためらいを持っていた。
しかし多宝丸は、親ネズミを殺し、そこに寄り添う小ネズミもろとも焼き殺している。

国を守る人間としてなら、多宝丸の行動はとても理にかなっている。放置して民衆に対して問題が起きるよりも、即座に排除して然るべき。
しかし子供を守ろうとする親と、親の死を悲しむ(ように見える)子供を、ゴミのように焼き殺すのは人情としては気が引けてしまう。
陸奥と兵庫が「一思いに」と直接殺そうとしているのは、哀れに感じたからゆえの、せめてもの情けだった。

多宝丸「陸奥、兵庫、私は二度と剣を情で鈍らせることはしない。この国を、民を、守るために」
百鬼丸は「身体を取り戻す」覚悟のために全てを敵に回す決意がある。そして側には、自分を人間として見守ってくれるどろろがいる。
多宝丸は「国を守る」と心に決めて、父が間違っているとわかっていても刀を振るう。そして側には、自分に命をかけてついてきてくれる陸奥と兵庫がいる。
それぞれの、自分を映す鏡のような存在との距離がどうなるのかが、今後のキモになりそうだ。
(たまごまご)