世界中のアスリートが集い、磨き抜いた技を競う。本来ならば歓声に溢れていたはずの東京は、新型コロナウイルスの脅威にさらされ、例年にはない静かな夏を迎えている。

オリンピックが延期になった現在、4年に一度の大目標に照準を合わせてトレーニングに励んできたアスリートたちもこれまでの競技人生では経験したことないような状況下にある。リオデジャネイロオリンピックでアジア人初のメダルを獲得したカヌースラロームの羽根田卓也に話を聞いた。

(インタビュー・構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、撮影=高須力)

オリンピックコースが使えない! カヌーから遠ざかった日々

――新型コロナウイルスの世界的な感染拡大、緊急事態宣言の発出される中、東京オリンピックの会場でもある江戸川区のカヌー・スラロームセンターが使用できない状況が続いたと聞きました。現在はどんな状況ですか?

羽根田:そうですね。カヌー・スラロームセンターが使用できなくなってからは、かなり制限された中でトレーニングをしなければいけませんでした。まったくカヌーに乗れない時期がずっと続いて、先週(7月の第5週)になってようやくカヌー・スラロームセンターが使えるようになりました。

――コースでカヌーに乗るのはどれくらいぶりですか?

羽根田:12月ですね。

カヌー自体は池や川で漕いではいたんですけど、人工コースで漕ぐのは昨年の12月以来です。

――10月には東京オリンピックの出場権を獲得したNHK杯、オリンピックのテストイベントなど、このコースを使った大会も経験していますが、新型コロナウイルス感染拡大までは自由に使えていたんですか?

羽根田:カヌー・スラロームセンターは、日常的に開放されているわけではありません。コースが使える決められた期間に使わせてもらうという感じでした。

――それがまったく使用できなくなったと。感染拡大以前の予定では2020年のスケジュールはどんなふうに組んでいたんですか?

羽根田:1月は陸上トレーニングをして、2月、3月はオーストラリア合宿。オーストラリアには行けたんですが、その後にこういう状況になったという感じですね。

元々の予定では、3月~5月くらいまでは東京のコースでトレーニングをして、5月から6月にかけてはヨーロッパ遠征、オリンピックの3週間か1カ月くらい前に日本に帰ってきて調整という予定でした。

――例年はほとんど日本ではなく、第二の故郷でもあるスロバキアを本拠にされている感じなんですか?

羽根田:昨年7月にカヌー・スラロームセンターがオープンしてからは日本にいることも増えていましたが、例年はほとんどスロバキアでトレーニングをしていました 。本来ならこの時期はスロバキアで現地の選手たちとトレーニングをしているのがいつもの流れだったんですけど、今となってはスロバキアに行くことも、日本から出ることも難しくなってしまいました。日本でもカヌーに乗ることがなかなかできなくて、今までにないくらいカヌーから遠ざかった、本格的な練習ができない日々でしたね。

区の「公園の池」にメダリストが…延期決定で変わった過ごし方

――スロバキアにいるクバン・ミランコーチとも直接会えずに、テレビ電話で話し合って練習メニューなどを決めているそうですが、緊急事態宣言、自粛期間が長引く中でのトレーニング、モチベーションを保つ難しさもあったのではないでしょうか?

羽根田:その前に「オリンピックが延期になった」ということが大きかったですね。自分の中で精神状況をすごく左右する出来事だったんじゃないかなと思っています。延期は報道で知ったんですけど、2週間前からまず延期になるだろうと自分の中でほぼ確信に近いものがあったので、聞いた時は「だろうな」と。

しょうがないっていう気持ちとすごく残念な気持ちの両方がありました。

 オリンピック延期の発表が出た時点では、すでに全国に自粛ムードが漂っていたので、トレーニングも含めた過ごし方は大きく変わりました。延期が発表されるまでは、もちろんオリンピックが今年開催されるつもりで自分を追い込んでいましたから、トレーニングもしっかりやっていました。

 正式に今年はオリンピックがないという発表があったことで自分の中のスイッチを変えることができました。それまでのトレーニングプランを全部組み立て直して、1年後にベストな状態に持っていくにはどうしたらいいかということを考えて、過ごし方を変えました。

――カヌーに乗れない時期の国内でのトレーニングの工夫のお話も聞きたいんですけど、自宅のバスタブを使ったトレーニングなどをSNSで発信して話題にもなっていました。

羽根田:トレーニングのSNSでの公開自体は、コロナ以前から発信していて、自粛期間は本当にそういうトレーニングしかしてなかったので、引き続きアップしたという感じでした。

――近くの公園の池で練習していたとか。そういうところで練習するのにも許可とかいるんですか?

羽根田:自分が通っていたところは江戸川区にある本当に「公園の池」で、一応ゲートはぶら下がっているんですけど、区民のみなさんがチケットを買ってカヌー体験ができるようなところなんです。自分も100円でチケットを買って練習させてもらっていました。

――カヌーに乗れるとはいえ、競技に使われる激流とはほど遠い環境ですよね。

羽根田:その期間は本当に今、自分にできることを考えながらやるしかなかったので……。

やっぱりオリンピック延期が決まっていたから、今できることをやろうと思えたのは大きいですね。まだ今年やります、やるかもしれませんとなっていて、それなのに東京のコースが使えなくて十分な練習ができない状況だったら結構厳しいものがあったと思います。

――オリンピックの代表選考が終わっていて、延期になっても代表選手は変わらないというのも大きかったのでは?

羽根田:それもやっぱり大きかったですね。これから選考がどうなるかわからない競技もあるわけですから。1年後に向けてとりあえずは代表を維持できるというのはすごく安心感がありました。

スロバキアに行くか日本に残るか ギリギリの決断だった

――江戸川のカヌー・スラロームコースが7月下旬になって使えるようになったのは、いい知らせでしたね。

羽根田:(日本)カヌー連盟を通して掛け合ってもらったり、個人的にもいろいろな人に相談したりしていたんですが、僕にできることって限られてますから。

オープンの2日前に連盟の人から連絡が来て、明後日開きますって。

 6月くらいからもう開くって聞かされている中で「やっぱり今週はダメでした」「来週から2週間はダメみたいです」「今週は開きそうです」って1~2カ月そんな状態が続いていたんです。コーチとは電話で東京のコースが使えないならスロバキアに行って練習したほうがいいと話していたりしたんですが、8月に入っても開かないならもう行くしかないと思っていた矢先に「明後日開きます」と言われて行ってみたら本当に開いていてびっくりしました。

――この間、他のインタビューを拝見していると、延期を前向きに捉えるポジティブな発言が多かったのですが、落ち込むことはなかったんですか?

羽根田:僕が普段親しくしているスロバキアの選手とか、海外の選手が普通にカヌーコースで練習をしているのを見ると、少し焦りは出てきたというのはありますね。他の国の選手の状況は入ってくるので、近くにコースがあるのに使えないというジレンマはありました。

――国によって感染状況にも違いがあるのが今回のパンデミックの特徴ですよね。スロバキアの感染状況はどうなんですか?

羽根田:現在は比較的抑えられていると聞いています。ただ抑えるために日本より前の段階ですごく厳しい制限をかけていて、その時は選手たちもカヌーを漕ぐことができなかったり、トレーニングができなかったりして戸惑っている様子がありました。現在は、選手たちもフルに練習していて、国内の大会も開催されています。

――国際大会の予定は?

羽根田:10月くらいからやる予定はあるようです。

――例えばヨーロッパの大会に行くとなると、渡航の際の隔離期間を含め不確定要素がたくさんあると思いますが、羽根田さんは参戦する予定ですか?

羽根田:そうですね。状況って10月までにどんどん変わっていくと思うんですね。良くもなるし、悪くもなると思う。状況を見ながらになりますが、予定としては参加するというのは変わってないですね。

100秒の中で変化し続ける水と戦うカヌーから学んだ対応力

――オリンピック選手、アスリートだけでなく、世の中のほぼすべての人が例外なくそれまで予期していなかった状況になってしまった感があります。現代は何が起こるかわからない、不確実性の時代といわれることもありますが、自然を相手に競技を行うカヌーがこれからの時代を生き抜くのに役立っていると感じることはありますか?

羽根田:自分としてもここ数シーズンは、水の流れに対して臨機応変に反応する、どんなことが起きても対処できる対応力をつけるというのをテーマにしてきたことが、今回のコロナ禍でも平常心でトレーニングができている要因の一つなのかもしれないと思うところはあります。

 カヌー競技って、100秒の競技時間の中でいろんなことが起こり得る競技なんです。波の一つひとつ、ゲート一つひとつに大きな失敗の可能性もあれば、タイムを削るチャンスの可能性もある。100秒間の中に無限の可能性がある競技なんです。人生もまったく同じで、いろいろなことが起こり得るし、もし、事前にいろいろな想定、イメージをしていても、思ってもみなかったハプニングが起きて、その時々でどう対処するかが大切になってくる。

 最初は「どうやって早くゴールするか」という競技のことしか考えていなかったんですけど、人生も同じなんじゃないかなと思うようになりました。高校を卒業してスロバキアに行った時にも結構いろんなハプニング、壁があって、でもその12~13年の生活の中でカヌー競技、スポーツを通してさまざまなことを学んで壁を乗り越えることができたのかもしれません。

――今後の予定について、コースも無事に使えるようになったところでしばらくは日本で調整ですか?

羽根田:しばらくは日本にいる予定です。コース自体が都の管理しているものなので、コロナの状況によってとか、不公平性の問題とかお金の問題、何かの拍子でまた使えなくなる可能性は十分にあるので、とにかく状況を見ながら自分が今できるベストのトレーニングを続けていこうと思っています。

<了>

[PROFILE]
羽根田卓也(はねだ・たくや)
1987年生まれ、愛知県豊田市出身。ミキハウス所属。9歳から父と兄の影響でカヌーを始める。高校卒業後に単身、カヌー強豪国であるスロバキアへ渡り、以降同国を本拠に国際大会で活躍。2008年北京大会でオリンピック初出場。ロンドン大会で7位入賞、リオデジャネイロ大会では、カヌースラローム競技でアジア初となる銅メダルを獲得。2018年アジア大会で金メダル、2連覇を達成した。東京2020大会でさらなるメダル獲得を目指す。