先の見えない大変な日々が続いています。会社にも行かず、友だちにも会えず、うちの中にいると、つい”ひとり”になってしまった気がして、寂しい気持ちになることも。

そこで、ウートピは「1往復エッセイ」を始めます。気になるあの人へ「最近、どうですか?」とたずね、「こちらはこんな感じです」と回答する。そんなささやかな現状報告と、優しくて力強いメッセージをお届けします。

今回は、前回の聞いた人と答えた人をスイッチ。フードライターの白央篤司(はくおう・あつし)さんから、ライターの西森路代(にしもり・みちよ)さんにこんな質問が届きました。

【西森さんへ】
西森さん、はじめまして。

往復エッセイの相手に選んでいただき、ありがとうございました。私もツイッターやコラムなどいつも拝見しています。興味や関心の幅広さ、そして愛着あるものへの深い思いが確かに伝わる文章、毎回読まされます。自粛が続く日々、私は昔から好きな本や映画のDVD、音楽アルバムを手にとることが増えました。長年変わらず、私を慰撫し、立て直してくれるものもの。西森さんもきっと同様のものがたくさんあるのではないでしょうか。
そこで、「これまでハマってきたもの」を伺いたくなりました。それらはきっと、今も自分から切り離せないもので、「書く」という力の源泉にもなっているのではないかと。お返事を楽しみにしております。

ブラックミュージックからスタート

白央さん、素敵な質問をありがとうございます。「自分のハマってきたもの」についてまとまった形で書いたことが意外となかったので、振り返るのが楽しい作業でした。またの機会に白央さんのハマったものについても教えてもらいたいです。

私は、物心ついたときからテレビや芸能が好きでした。

そんな中でも、自主的にドハマりしたのが、洋楽でした。中高生の頃は、NHK-BSやWOWOWの洋楽番組や、民放で少し遅れて放送される小林克也の「ベストヒットUSA」やマイケル富岡とセーラ・ロウエルの「MTV」を毎日のように見る日々でした。BSでは洋楽番組が月曜から金曜の夕方に放送されていました。ミュージックビデオも盛んになったころで、中でも私はブラックミュージックのダンス&コーラスグループにのめりこみました。NHK-BSでは『ソウル・トレイン』も放送していて、渡辺祐さんの解説も興味深く見ていました。

BSは田舎に住む私にも文化を届けてくれました。

私が高校の頃に、ボビー・ブラウンがソロデビューしましたが、今考えると、彼があの頃の私のアイドルで、「Every Little Step」や「Roni」のビデオを寝る前に見ながら歯磨きをしてた記憶があります(「Roni」には正式にはミュージックビデオはなかったけれど、ライブ映像があったのです)。

その後、ニュージャックスウィングの流行があり、当時の私はどんな胡散臭い一発屋のグループであっても、ほとんどのCDを買っていたと思います。そのころ、R&BやダンスもののCDのライナーノーツは、キレイめのものは松尾潔さんか、ワイルドめのものは泉山真奈美さんがほとんどを書いていて、将来はそんなライナーノーツを書きたいなと憧れていました。

大学に入ったか入らないかくらいのときは、「元気が出るテレビ」のダンス甲子園が人気になり、LL BROTHERSがアイドルでした。ニュージャックスウィングの名プロデューサー、テディ・ライリーがプロデュースしたHEAVY D & THE BOYZの「Now That We Found Love」が彼らが踊る代表曲にもなっていて、めちゃめちゃカッコよかったのを覚えています。

香港の黒社会ものにシビれた20代からやがてK-POPに

その後、20代はそこから離れて香港映画、それもチンピラの群像劇『欲望の街』シリーズやジョン・ウーやジョニー・トーなどの黒社会ものを好んで見ていました。

同時にタランティーノを観たり、竹内力のVシネマなども観ていました。当時の竹内力の自身が企画した映画は、日本製ノワールという感じで、アツいものが多かったのです。三池崇史の登場もそのころでした。

そこからまた数年。上京して編集業につくと、台湾や韓国の仕事も増え、K-POPのダンスものに夢中になります。

K-POPとアメリカのR&Bは切っても切れない関係性で、特にソロのRain(ピ)の登場には、アッシャー(Usher)、クリス・ブラウン(Chris Brown)の影響も多いにありました。ちょうど、彼らを生み出したプロデューサーのパク・ジニョン(JYP)や、東方神起などを抱えるSMのユ・ヨンジン(SMエンタ)、BTSを生んだパン・シチョク(Big Hitエンターテインメント)も、それぞれがアメリカのR&Bやヒップホップから影響を受けていました。私がK-POPを好きになったことと彼らの音楽的ルーツとは多いに関係があります。私は彼らと同年代でもあります。

韓国映画では、『新しき世界』の登場に沸き、当然のようにノワールものにハマりました。

そして現在では、仕事をきっかけに『HiGH&LOW』やLDHのアーティストの音楽にたどり着くわけですが、多くの“ハイロー”から興味を持ったファンと同じように、私は2015年くらいまでは、ほとんどEXILEについて知識がなかったのです。

でも、こうやって歴史を振り返ると、私はずっとダンスグループとギャングものが好きな人生でした。『HiGH&LOW』にはさまざまなギャング映画の要素が詰まっています。しかもボビー・ブラウンの来日時にダンサーをしていたのがHIROさんを始め、EXILEのオリジナルメンバーだったことや、彼らがボビーから「ジャパニーズ・ソウル・ブラザーズだね」と言われたことが、今の三代目 J SOUL BROTHERSまでつながっていること、また、LL BROTHERSが現在もLDHの楽曲製作にかかわっていることなどを考えると、私の中でも、「すべてはつながってたんじゃないか!」と思えてくるのです。

*西森さん、白央さんありがとうございました! 次の1往復エッセイは、内田るんさんと飯田華子さんが登場予定です。
(企画・編集:安次富陽子)