
16歳の超ワイドスタンスに「こんなに広かったんだ!」と本人もビックリ【写真】
当時私は、ゴルフ雑誌ALBAの編集者として、主に男子ツアーの練習日に取材をしていて、2007年の「マンシングウェアオープンKSBカップ」が行われた岡山県の東児が丘マリンヒルズゴルフクラブにも行っていました。そのときは(今もですが)トップジュニアに詳しくなかったので、本戦が始まって東京に帰ってきた時点では、石川遼の存在すら知らない状態。試合のほうは豪雨のため、決勝進出者の人数を絞って最終日に36ホールを消化する変則的な日程になっていました。“奇跡”前夜の土曜日の時点で、36ホールを終えた遼くんの順位は首位と7打差の23位タイ。
そして運命の13年前の5月20日の日曜日、私はプロコーチの井上透さんの取材で、横浜市内の練習場を訪れていました。会うなり井上さんは「リョウなら優勝するかもしれない」と、携帯電話を片手に大興奮。井上さんは昔からジュニア育成に関わっていたので、石川遼くんのこともよく知っていたのです。私のほうは『リョウって誰ですか?』と思いながら、でもマンシング帰りで知らないともはっきり言えず、「タッド・フジカワはなぜ飛ぶのか?」という企画の取材を進めていました。前半の18ホールを終えた時点で遼くんは首位と4打差の9位タイまで順位を上げていたのです。